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Hear'n Aid(ヒア・アンド・エイド)/大人になれないオヤジのロック74。

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1985年、アフリカの貧困層を解消する目的で作られたチャリティ企画があった。
作曲作詞はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが担当し、ポップ・ロック界からそうそうたるミュージシャンが参加。
キャンペーンソング『ウィ・アー・ザ・ワールド/(We Are The World)』は、米国だけで750万枚のシングルが売れ、シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収益をあげ、すべての印税はチャリティとして寄付された。

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折しもMTV全盛期。
ビルボード(Billboard)TOP100には、HR/HMバンドも盛んにチャート・インしていた時期で、翌年、シーンの親父的なポジションにいたロニー・ジェイムス・ディオが提唱し、メタル版ウィ・アー・ザ・ワールドともいうべきヒア・アンド・エイドが実現した。

『Hear'n Aid(ヒア・アンド・エイド)』には、参加シンガーだけで、
●ロニー・ジェイムス・ディオ(ディオ
♪dio - holy diver ←動画をチェック!
●ロブ・ハルフォード(ジューダス・プリースト
♪Judas Priest - The Hellion/Electric Eye (Live) ←動画をチェック!
●デイヴ・メニケッティ(Y&T
♪Y&T - Mean Streak ←動画をチェック!
●ケヴィン・ダブロウ(クワイエット・ライオット)
♪Quiet Riot - Cum On Feel The Noize ←動画をチェック!
●ドン・ドッケン(ドッケン
♪Dokken - In My Dreams ←動画をチェック!
●ジェフ・テイト(クイーンズライチ)
♪Queensrÿche - Nightrider ←動画をチェック!
●エリック・ブルーム(ブルー・オイスター・カルト
♪Burnin' For You - Blue Oyster Cult ←動画をチェック!
●ポール・ショーティノ(ラフ・カット)
♪rough cutt - piece of my heart ←動画をチェック!

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ギタリストは、
●ヴィヴィアン・キャンベル(ディオ)
♪Dio - Don't Talk To Strangers Live ←動画をチェック!
●イングヴェイ・マルムスティーン
♪Yngwie Malmsteen - Evil Eye ←動画をチェック!
●エディ・オジェイダ(トゥイステッド・シスター)
♪Twisted Sister - We're not gonna take it ←動画をチェック!
●ジョージ・リンチ(ドッケン)
●クレイグ・ゴールディ(ジェフリア)
♪Giuffria - Call To The Heart ←動画をチェック!
●ニール・ショーン(ジャーニー
♪Journey-Separate Ways (Worlds Apart) ←動画をチェック!
●ブラッド・ギルス(ナイト・レンジャー
♪Night Ranger - (You Can Still) Rock In America ←動画をチェック!
●カルロス・カヴァーゾ(クワイエット・ライオット)
●ドナルド・ローザ(ブルー・オイスター・カルト)
●デイヴ・マーレイ(アイアン・メイデン
♪aces high ←動画をチェック!
●エイドリアン・スミス(アイアン・メイデン)
♪Iron Maiden: Run to the Hills ←動画をチェック!

ベースに、
●ジミー・ベイン(ディオ)

ドラムスに、
●ヴィニー・アピス(ディオ)
●フランキー・バネリ(クワイエット・ライオット)

コーラスだけの参加ミュージシャンが、
●トミー・アルドリッヂ(ドラムス)
●カーマイン・アピス(ドラムス、キング・コブラ。ヴィニー・アピスの兄)
♪Blue Murder - Drum Solo,1989 ←動画をチェック!
●ヴィンス・ニール(ボーカル、モトリー・クルー
♪Motley Crue - Girls, Girls, Girls: Dolby Stereo - MTV Version ←動画をチェック!
●ブラッキー・ローレス(ボーカル&ギター、W.A.S.P.)
♪W.A.S.P. - I Wanna Be Somebody ←動画をチェック!
●テッド・ニュージェント(ボーカル)
♪Ted Nugent - Wango Tango ←動画をチェック!
●クロード・シュネル(キーボード、ディオ)

という、そうそうたる顔ぶれが集まった。
若い人には、馴染みのうすいアーティストもあるかと思うが、間違いなく当時のヒット・チャートを賑わしていた面々である。

こうやって改めて振替えると、このブログでも取りあげていないバンドはまだまだありますね。

特筆すべき点は、ジャーニーのスティーブ・ペリー(Vo)は、We Are The Worldに参加。ギタリストのニール・ショーンがHear'n Aidに参加。
ニール・ショーンの確かなテクニックが郡を抜いている。
ヴィヴィアン・キャンベルやジョージ・リンチも壮絶である!
そしてイングヴェイがかなり我侭で、ロニーを手こずらせたらしい……。
反してナイト・レンジャーのブラッド・ギルスなんか、性格もテクもナイスである。

当時、LAメタルの頂点を極めていたモトリー・クルーのヴィンス・ニールがバック・ヴォーカルに甘んじているのは、一応ソロ・パートも録音したそうだが、あまりに下手でロニーによってボツにされたという記事を当時読んだ記憶がある。


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1. STARS
(Additional Songs)
2. To The Limit/ACCEPT ←動画をチェック!
3. On The Road/MOTORHEAD ←動画をチェック!
4. Distant Early Warning/RUSH ←動画をチェック!
5. Heaven's on Fire/KISS ←動画をチェック!
6. Can You See Me/JIMI HENDRIX ←動画をチェック!
7. Hungry for Heaven/DIO ←動画をチェック!
8. Go for the Throat/Y&T ←動画をチェック!
9. The Zoo/ SCORPIONS ←動画をチェック!



♪Hear 'N Aid - Stars1(ヴォーカル編) ←動画をチェック!
♪Hear 'N Aid - Stars2(ギター編) ←動画をチェック!
♪Hear 'N Aid ←動画をチェック!
♪Dio - STARS (Live in Japan 1987) ←動画をチェック!





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  1. 2008/04/30(水) 15:49:08|
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スラッシュ/大人のための、最新ロック情報2。

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前回、14年ぶりとなるガンズ・アンド・ローゼスのオリジナル・アルバム『Chinese Democracy』年内発売が叶えば、ドクターペッパー社が、脱退したスラッシュとバケットヘッド以外の全米国民にドクターペッパーを無料で一缶ずつ進呈するという記事を紹介した。

そこでヴァン・ヘイレン然り、やはりオリジナル・メンバーで元の鞘に納まってもらいたいと思っている僕としては、スラッシュの動向が気になるところだ。

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スラッシュの頁でも取り上げたが、現在彼はヴェルヴェット・リヴォルヴァーというバンドで活動している。
そして輝かしいスラッシュのプロフィにはそぐわない、あまりにも貧弱なヴォーカリスト、スコット・ウェイランドを起用していることに憂慮していたのだが……。

●Velvet Revolver-Slither ←動画をチェック♪
●velvet revolver - fall to pieces ←動画をチェック♪
●Velvet Revolver - She Builds Quick Machines ←動画をチェック♪
●Velvet Revolver-The Last Fight ←動画をチェック♪
●Velvet Revolver - Get Out The Door ←動画をチェック♪

案の定、メンバー間はギクシャクしていたようで、3月20日に行ったグラスゴー公演ステージ上で、スコット・ウェイランドが、「これが最後のツアーだ」と暴言を吐き、解散騒動に揺れていたヴェルヴェット・リヴォルヴァーだが、今月1日無事ウェイランド脱退が決定。

僕にはどうでもいいことだが、ウェイランドは古巣ストーン・テンプル・パイロッツを再結成し、5月17日に米・オハイオ州コロンバスでライヴを行う模様。

●Stone Temple Pilots - Vasoline (Letterman Show 1994) ←動画をチェック♪

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一方ヴェルヴェット・リヴォルヴァーは、4月1日付米音楽誌Billboard誌電子版に、「このバンドは完全にファンと音楽のためのものだけど、スコット・ウェイランドはそのどちらにも100%の力を捧げていない。なにより、彼のステージ上での常軌を逸した行動や個人的な問題が、俺たちに前進することを決めさせた」と声明を発表。

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スコット・ウェイランドとの確執については、ドラマーのマット・ソーラムが自身のブログで、「時にはただ気が合わないこともある。嘘はつかないよ、最近はもっといろんな問題を抱えているんだ」と声明。
対して、ウェイランドもブログ『BlabberMouth.net』で、「彼は幼稚過ぎて、子供を持てないのはもちろん、ホンモノの人間関係を築くことすらできないだろう」と返した。
いずれにせよ実際ウェイランドは、薬物乱用とリハビリ治療のためにヴェルヴェット・リヴォルヴァーのツアーをスッポカしたことがあるようだ。

そして新ヴォーカリストについては、ヴェルヴェット・リヴォルヴァー公式HPでも発表されたが、スラッシュがBillboard誌電子版に対し、「実はWEBサイトを立ち上げて、そこでオーディションをやろうと話しているんだ」と声明。
特設サイトを設け来月にもネット・オーディションでシンガーを募集すると発表した。

さらにスラッシュ曰く、ウェイランドの後任候補は現時点では挙がっていないとし、「今はいろんなものを聴いている。上手くいえないけど、聴いたときにわかるものなんだよ。ああ、これこれ!ってフィーリングになるのを待っているんだ」と述べた。

このスラッシュの微妙な肉声は、原文を上手く意訳しているとは思う。
しかし来月にはネット・オーディションを、とはいっているが、深読みすればウェイランドの後任ヴォーカリストに関しては、焦らずかなりシビアになっているとも受けとれるのだ。
上記リンクのヴェルヴェット・リヴォルヴァーの動画を観れば一目瞭然なのだが、スラッシュのプレイ・フォーマットはガンズ時代からさほど進化していない。
トーンもフレーズもガンズ時代のままだ。
スラッシュが、これこれ!っていえるフロントマン……。
僕には明らかに、彼はアクセルの再来を求めているのではないか? と思えて仕様がないのだ。
何故なら、縁故筋で行うのが常のオーディションを、ネットで広く募集するのだから。

ヴェルヴェット・リヴォルヴァーの現在のメンバーは、
●スラッシュ Slash(G)/元ガンズ・アンド・ローゼズ他
●ダフ・マッケイガン Duff McKagan(B)/元ガンズ・アンド・ローゼズ他
●デイヴ・クシュナー Dave Kushner(G)/元 zilch、デイヴ・ナヴァロバンド他
●マット・ソーラム Matt Sorum(D)/元ガンズ・アンド・ローゼズ他


ウェイランドが脱退する前に決定していたラスベガスのライブでは、バンドの友人たちが交代でマイクを握るとのこと。スラッシュいわく、「誰かは言えないけど、有名な人がたくさん登場する」とのこと。

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ヴェルヴェット・リヴォルヴァーには、一時期モトリー・クルーのベーシスト、ニッキー・シックスも関わっていたとされ、ラスベガス公演に参加する “ 友人たち ” が、極めて気になるところだが、以上のニュースを拾ってみても、ガンズ=アクセルとの復縁の兆しは皆無。

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やはりスラッシュだけは、ドクターペッパーをもらえそうもないようだ……。

●Sweet Child O' Mine Music Video ←動画をチェック♪






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  1. 2008/04/22(火) 18:00:00|
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大人のための、最新ロック情報!

たまには大人のロック、最新情報でも。

●世界初のレッド・ツェッペリン・コースターに6万円!

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MTV Newsによると、米国サウスカロライナ州マートル・ビーチに、本日オープンのテーマパーク “ ハード・ロック・パーク ” には、レッド・ツエッペリン・コースターなるアトラクションがあるそうです。

で、このアトラクションに一番乗りするためのチケットをオークションしたところ、なんとある女性ロック・ファンが654ドル(約6万5400円)で落札したという。
落札した女性シンディ・エニスさんは、最前列2席と2列目2席の合計4席に、1829ドル(約18万2900円)を支払った。

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彼女は決して、絶叫マシーン・マニアではなく、単に世界で初めて最前列を陣取ることに魅せられたそうである。

それにしても米国人らしいユーモアの効いたオークションであるが、エニスさんが入札したチケット代は、ちゃんとチャリティーに寄付される。

さすが、ボランティアの母国である。
ちょっと行ってみたいなあ、 “ ハード・ロック・パーク ” 。

♪Led Zeppelin - Immigrant Song - 1972←動画をチェック!
♪Led Zeppelin - Rock and Roll - Rock'n roll←動画をチェック!
♪Led Zeppelin - Rain Song - Earls Court 1975←動画をチェック!



ガンズ・アンド・ローゼス、お待たせニューアルバムにドクターペッパーが掛け?

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1993年のカヴァー・アルバム『Spaghetti Incident』以来、14年ぶりとなるオリジナル・アルバム『Chinese Democracy』がいよいよ発売されるという噂が、そこかしこで聞かれるようになった。

で、あのドクターペッパー社は、ニューアルバム『Chinese Democracy』が年内に発売されたら、米国民全員(脱退したスラッシュとバケットヘッド以外)に、ドクターペッパーを一缶無料でプレゼントすると発表したという。

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因に、いまや “ 独りガンズ ” であるアクセル・ローズ曰く、
「バケットヘッドはアルバムに参加したから、俺のドクターペッパーを分けてあげる」。
なるほど。バケットヘッド以外にもどんな面子が参加したのか興味津々である。
なんせ10年以上も “ 録音中 ” が続いているわけだし……。

それにしてもアメリカの人口は現在、約3億人。
このキャンペーンは、ガンズ14年ぶりのニューアルバムのプロモーションの一貫と考えて良いのだろうか?
一説には、リリースに合わせてガンズのドキュメンタリー番組も企画されているとかいないとか。

ともあれ、所属レーベルのゲフィン・レコードはバンドから同作の完成盤を受け取ったと認め、現在はアクセル・ローズと、契約金や著作権について調整中だという。

米ビルボード誌電子版によると、ドクターペッパーのマーケティング部ディレクター、ジャキシー・オルト氏曰く、
「ファンに愛されているドクターペッパーの味を、23種類のフルーツフレーバーのブレンドによって生み出すまでには、忍耐が必要でした。だからこそ我々は、完璧で平均以上のアルバムを求めるアクセルの探求を、完全に理解かつ重要視しています。アルバムはリッチで力強いサウンドのミックスで、きっと“耳で聴くドクターペッパー”と称されることでしょう」。

ガンズ・アンド・ローゼスのニューアルバム『Chinese Democracy』には既に1300万ドルがレコーディングに費やされたと報じられている。
それでも、アルバムが全世界でヒットすれば元はとれるということか?
失敗したら洒落にならない話であるが、ドクターペッパーの宣伝効果は凄いでしょうね!
あんなもん、原価はタダみたいなもんでしょうから……。

♪Guns n Roses Welcome to the Jungle←動画をチェック!
♪Guns N' Roses - You could be mine←動画をチェック!
♪Paradise City Guns n Roses←動画をチェック!

とにかくガンズ・アンド・ローゼスの他にも、秋にはクイーンポール・ロジャースニューアルバム発売予定。

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ひょっとしたら再結成ヴァン・ヘイレンのライヴ盤&DVDもでる可能性大である。

さらに公式HPによると、ツェッペリンの再結成ライヴDVDも発売された模様。

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♪'Say It's Not True' - Queen + Paul Rodgers←動画をチェック!
♪Queen + Paul Rodgers - C-lebrity←動画をチェック!
♪Queen & Paul Rodgers - We Are The Champions←動画をチェック!

何故か、クイーン+ポール・ロジャースの “ We Are The Champions ” で、ちょっと泣けちゃいました……。

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いずれにせよ、オヤジロック世代にはなにかと物入りな年になりそうだ。






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  1. 2008/04/15(火) 18:00:00|
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レッドツェッペリン/復活秘話。

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リハーサル場所はイングランド某所。それ以外はいっさいの秘密とされた。
27年という時を経て、3人のツェッペリンがふたたび集結するきっかけは、彼等にとって親友であり師と仰ぐ、2006年12月に死去したアトランティック・レコードの創始者、アーメット・アーティガン追悼チャリティーライブにおいてであった。

●Black Dog←動画をチェック!

昨年6月10日午後2時30分。
ギタリストのジミー・ペイジ、ヴォーカリストのロバート・プラント、ベーシストのジョン・ポール・ジョーンズはとあるリハーサル・スタジオに集合した。
1995年 “ ロックの殿堂入り ” 以来、この元メンバーが同じ場所に介したのは実に12年ぶりのことである。
1980年。ジョン・ボーナム死亡以来、初のフル・ライヴを貫徹するためのパワーと集中力をメンバーが維持できるのか? それは彼らにとって、より高い賭けでもあった……。

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●Led Zeppelin - Lost Performances (4/5)←動画をチェック!

当初、再結成ライヴは11月26日を予定していた。
しかし10月弟1週目の週末、ジミー・ペイジが左手の小指を骨折。
医者から3週間はギターを弾いてはならぬ、と宣告される。
結果ライヴ日程は、2週間延期。

●Stairway To Heaven←動画をチェック!

差し迫るライヴへの不安と焦りの日々。
ロバート・プラントはファンの “ 多くのビッグ・スマイル ” を思い出しながら重圧を跳ね除け、ジョン・ポール・ジョーンズはライヴが成功することになんら疑いをもたず、曲選びに邁進することでプレッシャーを跳ね返す。

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●Whole Lotta Love←動画をチェック!

そしてジョン・ボーナムを欠いた3人のツェッペリンが、ふたたびバンドとして成立しえた重要な要因は、現フォリナーのドラマーであるジェイソン・ボーナムの存在であった。

●Jason Bonham on his childhood←動画をチェック!
●Foreigner - Jukebox Hero←動画をチェック!

いまや自らが2児の父でもあるジェイソンは、偉大な父の後継として一夜限りとはいえ5人目のツェッペリンたりえるには、即興で叩くわけにはいかず、相当の時間を要するだろうと覚悟したという。
だが、そんなジェイソンの不安は意味をなさなかった。

リハーサルではまず1973年『聖なる館』から “ No Quarter ” をジャム・セッション。
そして1975年『Physical Graffiti』から “ Kashmir ” の砂漠のキャラバン行進を叩いたとき、3人のツェッペリンは思わず演奏を中断。
ジミー・ペイジが「ハグしてもいいかい?」
ロバート・プラントは「雷(ジョン)の息子よ!」と絶賛したという。

●"NO QUARTER" London O2 Multi-cam←動画をチェック!
●Led Zeppelin--Kashmir, London O2 Arena←動画をチェック!

リハが終り最後に3人のツェッペリンはジェイソンにいった。
「次に集まるとき、君は5人目のツェッペリンだ」

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※この記事は、2007年11月29日『Rolling Stone』誌に掲載された記事をもとに、管理人が意訳しました。



●12月10日、ロンドンはO2アリーナ、セットリスト♪
'Good Times Bad Times'
'Ramble On'
'Black Dog'
'In My Time Of Dying'
'For Your Life'
'Trampled Under Foot'
'Nobody's Fault But Mine'
'No Quarter'
'Since I've Been Loving You'
'Dazed And Confused'
'Stairway To Heaven'
'The Song Remains The Same'
'Misty Mountain Hop'
'Kashmir'
'Whole Lotta Love'
'Rock And Roll'



♪レッド・ツェッペリン公式HP



♪過去のツェッペリン記事。
●レッド・ツェッペリン/大人になれないオヤジのロック15。
●ジミー・ペイジ/大人のギタリスト講座5。
●レッド・ツェッペリン/年末スペシャル特集!
●レッド・ツェッペリン/年末スペシャル特集2。
●レッド・ツェッペリン終章/年末スペシャル特集3。






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  1. 2008/04/09(水) 16:37:42|
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ヴァン・ヘイレン/近況とオリジナルVH解散秘話。

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4月に入っても、精力的に活動を展開するヴァン・ヘイレン。
現時点でのツアー日程は以下の通り。
5月23日のNYマジソン・スクエア・ガーデン公演は、既にソールドアウト。
アメリカ人が、羨ましい……。

4.17.08 - Reno, NV - Reno Events Center
4.19.08 - Las Vegas, NV - Mandalay Bay Events Center
4.22.08 - Cincinnati, OH - US Bank Arena
4.24.08 - Dallas, TX - American Airlines Center
4.26.08 - St. Louis, MO - Scottrade Center
4.28.08 - Milwaukee, WI - Bradley Center
4.30.08 - Pittsburgh, PA - Mellon Arena
5.02.08 - Charlottesville, VA - John Paul Jones Arena
5.05.08 - Raleigh, NC - RBC Center
5.07.08 - Columbus, OH - Value City Arena
5.09.08 - Atlantic City, NJ - Boardwalk Hall
5.11.08 - Duluth, GA - Gwinnett Arena
5.13.08 - East Rutherford, NJ - Izod Center
5.15.08 - Baltimore, MD - 1st Mariner Arena
5.18.08 - Hershey, PA - Giant Center
5.20.08 - Uncasville, CT - Mohegan Sun Arena

5.23.08 - New York, NY - Madison Square Garden
5.25.08 - Providence, RI - Dunkin Donuts Center
5.28.08 - Manchester, NH - Verizon Wireless Arena
5.30.08 - Chicago, IL - Allstate Arena
6.02.08 - Grand Rapids, MI - Van Andel Arena


現行のオフィシャル・サイトによると、直近のコンサートはカリフォルニア州、サンフランシスコで3月28日、先週金曜日に開催されたリノ公演。
昨年の北米ツアーの成功により、前述の通り6月まで追加公演も決定し、圧倒的なパフォーマンスで観衆を魅了しているようだ。

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毎年恒例のプレイ・ボーイ誌の “ 2007年ベスト・ライブ・ミュージック ” 人気投票(2008年3月号)では、ヴァン・ヘイレンが選出された模様。

●Eddie Van Halen Solo Tampa 2-18-08←動画をチェック!

来る、4月19日ネバダ州ラスヴェガス、マンダレイ・ベイ・イベントセンターで開催される公演では、あのタイガー・ウッズが主催する “ タイガーウッズ基金 ” に収益の一部が給付される模様。
集まった義援金は、ラスヴェガスのスラムに暮らす青少年の自立支援に活用されるそうである。

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とまあ、なにかと話題を提供してくれる新ヴァン・ヘイレン。
マイケル・アンソニー(B)こそ、不在であるが、クラシック・ヴァン・ヘイレン・マニアの僕たちには吉報ばかりでなによりである。

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サミー・ヘイガー(2代目Vo)のファンの方には、申し訳ないが僕にとってサミー在籍時のヴァン・ヘイレンは、なかったこととして受け止めている。
サミー・ヘイガーというアーティストが嫌いなわけではないのだ。
現にモントーロ−ズ(サミーが在籍していた)のアルバムも数枚だが所有している。

●Van Halen With Sammy - Love Walks In←動画をチェック!
●Montrose - Bad Motor Scooter←動画をチェック!

だが、クラプトンを完コピした、エディの一見トリッキーなギター・プレイのそこかしこに垣間見えるブルース・フィーリングと、一見華やかだが、やはり根っこの部分ではブルースへの憧憬を抱くデヴィッド・リー・ロスのヴォーカル・センスは、これ以上ないほどにマッチングしていると、僕は思う。

では、何故に大成功したアルバム『1984』の直後、オリジナル・ヴァン・ヘイレンは崩壊したのか? 
前回も参考にした雑誌『beatleg magazine』3月号掲載の99年のインタビューによると、それは1978年の衝撃のデビュー・アルバム『Van Halen』にまで遡るようだ。

●Van Halen - You Really Got Me←動画をチェック!

今更なにを語るもがな、のデビュー・アルバムが新世代HR/HMの方向性を示唆した歴史的名盤なことは周知の事実であるが、600万枚以上のビッグ・セールスを記録したこのアルバムを、決してレコード会社は成功と位置づけなかった。
シングル・ヒットを戦略の最重要課題とするレコード会社の、バンドへのプレッシャーが、メンバー間の不協和音を徐々に醸すことになる。

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1982年5thアルバム『Diver Down』では、売上のための話題作りからレコード会社他が画策した半分をしめるカヴァー曲に、エディがうんざりしていたという。

「他人の曲で成功するぐらいなら、自分の音楽をやり通して潰れるほうが本望さ」(エディ・ヴァン・ヘイレン談)

結果、エディは自らの音楽に没頭するための環境として、自邸の庭に本格的な個人スタジオを建設。アレックス(D)、マイケル、エディの3人はこのスタジオで自らのロックに没頭するようになる。

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1983年頃には、ツアーに継ぐツアー、レコーディングに疲弊し、ドラッグやアルコールの過剰摂取。マネージメントのゴタゴタによるプレッシャー。
それらの点でしかなかった不興要因が、線となり、メンバー間に緊張をもたらす。演奏を支える3人が、それから逃れるようにエディの個人スタジオで創作に没頭しているあいだ、野放しのデイヴはマスコミ攻勢を一手に引き受けるかのように、独断で突拍子もない発言や行動に走る。

「最初はリード・シンガーがスポットを浴びるのを良しとしていたんだ。そのあいだ俺たちは音楽に集中できるからね。でもそのうちデイヴが、お前たちもこういう衣装を着なきゃ、って金ラメの衣装なんか着せられちまった。」(マイケル・アンソニー談)

そうしてバンドは、デイヴ&バック・バンド的な2分を余儀なくされた。

デビュー以来、影のヴァン・ヘイレンであったプロデューサーのテッド・テンプルマンからの離脱も、エディの個人スタジオで、望むバンド・サウンドに辿りついた自信によるものであり、そんな中で大ヒット曲 “ Jump ” が生まれる。

●van halen - jump←動画をチェック!

でき上がったばかりの未完成な “ Jump ” を聴いたアレックスは間違いなく最高の曲になると予感したという。
一方、初めて “ Jump ” の片鱗を聴かされたデイヴは、

「悪くないけど、お前はギター・ヒーローなんだから、キーボードなんか使うなよ」

と返し、エディが憤激したそうである。
もう、この一件だけでバンド崩壊が垣間見えるような気がする。
既にそれだけ、デイヴとアレックス、エディ、マイケルのあいだに音楽的ギャップもあったのだ。
結果、『1984』は発売後90日で300万枚のセールスを果たす。
そしてますますデイヴは、巨大になったヴァン・ヘイレンの大部分、あるいは全てが自分であると思い込んだような言動に走ることとなる。

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さらに解散に至る決定打として、元ボディ・ガードだったノエル・モンクをマネージャーに据えたこともあるようだ。メンバーに過剰なボデイ・ガードを張りつかせたり、移動中トランシーヴァーで帝王の如く仕切るノエルと、デイヴ以外のメンバーは反りが合わなかったようだ。
ツアー中、常に7人の警護をはべらせることが心地よく感じたのは、Mr.ロックンロールを地でいくデイヴだけだったのだろう。

『1984』ツアー中、殴り合いの喧嘩も絶えなかったようで、そんな中、マネージャー、ノエルのことで混乱しているメンバーの隙を突いたように、デイヴは “ California Girls ” をリリースしてしまう。

●David Lee Roth - California Girls (Music Video)←動画をチェック!

エディ曰く、俺たちには青天の霹靂だった。それでもそのことで吹っ切れたデイヴがバンドに復帰することを望んでいたという。
マイケルの回想によれば、1984年はバンド・キャリアにおいて最高の時期であり、デイヴの脱退において最悪な年でもあり、いずれにせよ特別な年だった。
そして、デイヴはスティーヴ・ヴァイとソロ活動に突入していく……。

●Yankee Rose - Sheehan Vai Roth←動画をチェック!
まあ、いま観てもヴァイのギターが鮮烈で、凄いことは凄いのだが……。

そんな確執を越え、エディの息子ウルフギャングを加えた新星ヴァン・ヘイレンから、しばし眼を放せない。
そしてマイケル・アンソニー不在が、是か否かは、現在サーキット中のツアー模様が何らかの形で公式に発表されることを待つのみである。

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●いままでのヴァン・ヘイレン記事
♪ヴァン・ヘイレン/大人になれないオヤジのロック12。
♪ヴァン・ヘイレン/大人になれないオヤジのロック14。(番外編)
♪エディ・ヴァン・ヘイレン/大人のギタリスト講座15。
♪ヴァン・ヘイレン近況!!

●ヴァン・ヘイレン公式サイト






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  1. 2008/04/01(火) 19:44:01|
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バディ・ガイ/大人のギタリスト講座33。

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シカゴ・ブルースの大御所、マディ・ウォーターズのチェス・レコード時代、バッキング・ギターを担当した第2世代ブルース・ギタリスト、バディ・ガイ。

このブログで、紹介してきたいにしえのブルースマンの中で、恐らく最も現在のロック・ギター・スタイルに近いバディ・ガイのプレイは、ジミヘンジェフ・ベックエリック・クラプトンスティーヴィー・レイヴォーンらのギタリストに直接大きな影響を及ぼした。

クリームを結成した理由のどこかに、ブルース・バンドを率いてイギリス版バディ・ガイになるっていう結構無謀な夢があってね。創造性のあるベーシストと組んで、バディ・ガイになりたかったんだ」(エリック・クラプトン談)

1936年6月30日、バディ・ガイ(本名ジョージ・ガイ)は、ルイジアナ州レッツウァースに生を受けた。

幼少時のバディ・ガイは、ピルグリム・トラヴェラーズのルー・ローズとか、ソウル・スターラーズのサム・クックといったゴスペル・シンガーに親しんでいた。

1949年、アコースティック・ギターを手に入れた彼は、ライトニン・スリムを真似てピック・アップを取り付け、独学でギターを弾きながら、最初に覚えた曲はジョン・リー・フッカーの “ Boogie Children ” だったという。

「俺がギターを覚えた頃って、プリンスやクラプトン、ベック、キースみたいにギターで金を稼ぐ連中なんていやしなかった。みんな心からギターに惚れていたんだ。さもなきゃプレイなんてやってられなかったよ」(バディ・ガイ談)

思春期を迎える頃、ナッシュヴィルWLSC局から配信されるラジオから、
●マディ・ウォーターズ(シカゴ・ブルース)
●リトル・ウォルター(シカゴ・ブルース)
●ライトニン・ホプキンス(テキサス・ブルース)
●Tボーン・ウォーカー(テキサス・ブルース)
といったブルース・マンに親しみ、ニュー・オーリンズのデュー・ドロップ・インでプレイしていたギター・スリムからは、ステージ・パフォーマンスにおいて多大な影響を受けたとされる。
150フィートのシールドでアンプとギターを繋ぎ、ステージから客席に降りていったり、そのままクラブの外へ出ていったりといった意表を突くパフォーマンスは、ギター・スリムからヒントを得た。

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そして、アール・キングとライトニン・スリムからは、

「彼らを見るまでは、エレキ・ギターなんて見たこともなかったんだ」(バディ・ガイ談)

と語っており、フェンダー・ストラトキャスターを手に入れた。
1953年には、
●ビッグ・ポッパ・ティレイ
●ライトニン・スリム
●レイジー・レスター
●スリム・ハーボ
とともにルイジアナ中をギグで回るようになり、ブルース以外にもロックンロール、ゴスペル、カントリー&ウェスタンなどのテクニックを物にし、次第に彼のスタイルが構築されていった。

1957年、シカゴへ移住。
この直前に、友人からギブソン・レスポールを贈られたが、数週間後に盗難にあう。この事件を、バディ・ガイはシカゴからの洗礼と定め、以後ストラトキャスターがメイン・ギターとなる。

シカゴに渡ったバディ・ガイは、
●オーティス・ラッシュ
●マジック・サム
●マディ・ウォーターズ
●ハウリン・ウルフ
●リトル・ウォルター
●ジュニア・ウェルズ
●サニー・ボーイ・ウィリアムソン
といった大御所の中に、自らの腕をさらすこととなった。

1958年、ブルー・フレイム・クラブで行われたバトル・オブ・ザ・ブルース・コンテストで、ギター・スリム譲りの前述パフォーマンスで見事優勝。
これがきっかけとなり、マディ・ウォーターズのバッキング・ギタリストに抜擢されたのである。

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1960年、チェス・レコードのハウス・ミュージシャンになる。
1968年、ファースト・ソロ・アルバム『A Man & The Blues』リリース。
1970年、ストーンズのツアーに前座として参加。映画『Chicago Blues』にマディ・ウォーターズとともに出演。

バディ・ガイの演奏の特色としては、ワイド且つアグレッシヴなチョーキングがあり、本人曰く、

「細くてかわいいE弦を、太いE弦にキスさせてやるんだ」(バディ・ガイ談)

ときには長3度の域まで達するチョーキングを、スタッカートでピッキングしながらゆっくりとチョーク・ダウンさせ、独特のビビリ音を得たり、異なった音やコードをピッキングせずにグリッサンドさせて得るレガート・スライド、プリング・パターンの速い3連符も彼のオリジナルで、他のブルース・プレイヤーのみならずジミー・ペイジ、ジェフ・ベックらにも真似されている。

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前述したように、フェンダー・ストラトキャスターがトレード・マークのバディ・ガイだが、1967年にギルド社と契約してからは、セミアコ・ボディのスター・ファイアー4、12弦同様ナイチンゲール、ブルース・バードの両モデルも使っている。ピックはギブソン製のライト。弦はアーニー・ボールのライト・ゲージ「.009 .011 .012 .026 .032 .042」を使用。

1950年代。初期のアンプはフェンダー製4×10ベースマン。
1960年代後半。ギルド社と契約した際、15インチ・スピーカーを2個マウントしたギルド・サンダーバード。
1980年代には、クラプトンの影響でマーシャルJCM800モデル2210アンプ・ヘッドと、高出力のセレッション・スピーカーを搭載したマーシャル1982A 4×12キャビネットを使用。
多くのウルース・マン同様、ジム・ダンロップ製クライ・ベビー以外、ほとんどエフェクターは使わない。

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1971年、英国の音楽誌ニュー・ミュージカル・エクスプレスの人気投票で、クラプトン、ジミヘンに次いで5位獲得。
1972年、クラプトンと共同プロデュースの『Buddy Guy and Junior Wells Play The Blues』リリース。
1989年、クラプトンのアルバム『Journeyman』共作。

1991年、シルバートーンから「Damn Right, I've Got The Blues」をリリース。このアルバムは、前年に亡くなったスティーヴィー・レイ・ヴォーンに捧げられた曲も収録され、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、マーク・ノップラー等が参加したことも手伝って、ロック・ファンからも注目を集めた。

バディ・ガイは、シカゴ市内でブルース・クラブ「バディ・ガイズ・レジェンズ」を経営しており、シカゴの名所のひとつとなっているそうだ。

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「ブルースって、本を読んでも身につかないよ。君の身体に染込ませるのさ。深く君のソウルにまでね」(バディ・ガイ談)


♪Buddy Guy's Legends


バディ・ガイの動画をチェック!
●Big Mama Thornton ft. Buddy Guy - Hound Dog
●Buddy Guy 1965 - Out of sight
●Muddy Waters Wells Guy: That Same Thing
●Accoustic Buddy Guy in 1969
●Buddy Guy - Money (1970-07-01)
●Buddy Guy & the Rolling Stones The Checkerboard Lounge 1981
●BB King & Buddy Guy - I Can't Quit You Baby
●Buddy Guy - Sweet Home Chicago
●Buddy Guy - Sweet black angel
●Buddy Guy playing Cream & Hendrix & Hooker
●Eric Clapton & Buddy Guy - Sweet Home Chicago
●BB King Eric Clapton Buddy Guy Albert Collins Jeff Beck
●Buddy Guy - Feels Like Rain
●Buddy Guy "She's 19 Years Old"
●Buddy Guy- Dayton Riverblast 2007 - Part 1
●Buddy Guy- Dayton Riverblast 2007 - Part 2






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  1. 2008/03/25(火) 18:35:47|
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フレディ・キング/大人のギタリスト講座32。

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アルバート・キングB.B.キングに並ぶブルース3大キング、フレディ・キングの登場です。

「いまフレディ・キングにハマってるんだ。彼のチョーキングは凄いよ。1インチも引っぱってあの音を出すんだ。かなり練習しているはずだよ。1音出すにも、それを裏付ける努力が必要なんだね。」(ピート・タウンゼント談)

「これまでステージで一緒にプレイしてきた中で、最も刺激を受けたのがフレディ・キングなんだ。彼はかなり意地悪で、その意地悪さが巧妙なんだ。うんと褒め上げておいてから、奈落の底に突き落とすって感じなんだ」(エリック・クラプトン談)

フレディ・キングの、テキサス・ブルースと様々な音楽スタイルの混合プレイは、マイケル・ブルームフィールドジェリー・ガルシアなどのロック、ブルース・ギタリストにも影響力をもち、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、デイヴ・エドモンズピーター・グリーンミック・テイラーZZトップらにカヴァーされ続けてきた。

1934年9月3日、フレディ・キング(本名フレディ・クリスチャン)は、テキサス州ギルマーに生を受けた。
ドイツでは、アドルフ・ヒトラーが総統に就任、日本では戦艦大和の設計を開始した年であり、作家筒井康隆が9月24日に誕生している。

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母親エラと、伯父のレオンがギターを弾いていたことから、フレディ・キングも6歳の頃からギターを弾きはじめた。
シルヴァー・トーンのロイ・ロジャーズというアコースティックが最初のギター。
当初ゴスペルとブルースにハマり、
●Tボーン・ウォーカー
●ロバート・ジョンソン
●ライトニン・ホプキンス
●サニー・ボーイ・ウィリアムソン
●ジョン・リー・フッカー
といったレコードを聴きあさっていたが、1949年15歳のとき、憧れのブルースマンに会うべく、シカゴへ旅に出る。

翌年の1950年、フレディ一家はシカゴへ移住。
ブルース・クラブを転々と渡り歩くようになり、マディ・ウォーターズハウリン・ウルフリトル・ウォルターのステージを熱心に見て回る。

楽屋にも出入りするようになったフレディ・キングは、マディ・ウォーターズのバック・ギタリストのジミー・ロジャーズと知り合い、ロジャースと一緒にジミー・リードのバンドでリードを弾いていたエディー・テイラーが、フィンガー・ピック、サム・ピックの使い方をフレディ・キングに伝授したとされる。

結局、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、リトル・ウォルターらと仕事をするようになったフレディ・キングは、彼自身やB.B.キングにも影響を与えたロバート・ロックウッドJrの音楽にも出逢う。

1952年、ジミー・リー・ロビンソンとエヴリ・アワー・ブルース・ボーイズを結成。
1953年、バロット・レコードから数々のセッション・レコーディングを開始。
1954年、家族とシカゴ定住を決意。
1956年、シカゴ・エル・ビー・レーベル所属アーティスト契約。シングル “ Country Boy/That's What You Think ” をリリースするもヒットには至らず。

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デルタ、テキサス、シカゴ・ブルースに、カントリー&ウェスタンなども取り入れたフレディ・キングのプレイ・スタイルは、それまでヴェンチャーズデュアン・エディのレコードばかり買っていたポップス・ファンにも強くアピールした。

「人々の眼を僕やB.B.キングはじめ、多くの仲間に向けさせたのは、白人の若手の力なんだ。それがなけりゃブルースは相変わらず黒人マーケットの域を出なかっただろうよ。ジョニー・ウィンタージョン・ハモンドポール・バターフィールド、ガキの頃からシカゴで僕らのまわりにたむろしていたマイク・ブルームフィールド、みんな彼らは本物のブルース・キャットたちさ。」(フレディ・キング談)

実際、ロック創世の源は、ブルースがなかった英国における若者たちが、それを模倣したことによる。ストーンズフー、クラプトン、ベックと挙げたら切りがないが、特にフレディ・キングの功績は大きいといわざるを得ない。

そんなフレディ・キングのプレイの特色は、人差し指と中指のスティール製フィンガー・ピックと、親指のプラスティック製サム・ピックで、本人曰くフラット・ピックは使ったことがないそうである。

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1960年、キング・レーベルと契約。
1961年、ハウンド・ドッグ・テイラーの “ Taylor's Boogie ” を練り直した、シングル “ Hideaway ” が、R&Bチャート5位。ポップ・チャート29位にランキング。ファースト・アルバム『Freddie King Sings』をリリース。

1950年代にフレディ・キングが使用したギターはほとんど知られていないが、キング・レーベルでレコーディングを開始した頃は、シングル・コイルP-90を2個マウントした1954年製ギブソン・レスポール・ゴールド・トップを使用。
1960年代中期、セミアコ・シンラインのエレクトリックから、ギブソン・ステレオE-355を入手。これが終生のフェイヴァリット・ギターとなった。
他には、ES-335、ES-345、レスポール、ファイアー・バードなどのギブソン・ギターを好んだ。
使用弦は、アーニー・ボールのライト・ゲージ「.010 .011 .012」を上の弦に、ギブソンのミディアム・ゲージを下の3弦に張っていた。

これを直接アンプにプラグ・イン。ノン・エフェクトでフェンダー・ツイン・リヴァーブを鳴らし、晩年は12インチ・スピーカーを4個マウントした1972年製フェンダー・クアッド・コンポ・タイプを使用していた。

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1968年、サックス奏者キング・カーティスの力添えで、アトランティックの子会社コーティリオンと契約。
1969年、ヨーロッパ・ツアー敢行。
1970年、レオン・ラッセル主宰のシェルター・レーベルと契約。
1974年、ポリドールに移籍。エリック・クラプトンとのアルバム『Burglar』レコーディング。ツアー敢行。
1975年、クラプトンのレーベル、RSOに移籍。アルバム『Larger Than Life』レコーディング。
1976年12月18日、肝臓障害によりテキサス州ダラスで死去。享年42歳だった。


♪フレディ・キング公式HP


フレディ・キングの動画をチェック!
●Hideaway
●Ain`t No Sunshine When She`s Gone
●Goin' Down
●Have You Ever Loved A Woman
●Ain't nobody's Buisiness
●Ghetto Woman
●Look On Yonder Wall
●Blues Band Shuffle
●Whole Lotta Lovin'
●Freddie King at the Travis County Jail 1976 Rare video





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  1. 2008/03/18(火) 19:10:36|
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ヴァン・ヘイレン近況!!

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離婚、咽頭癌、アル中との戦いを経て、53歳のエディ・ヴァン・ヘイレンが帰ってきた!

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55歳になった実兄アレックス・ヴァン・ヘイレンのドラミングが、かつてのグルーヴを蘇らせる!

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そして、ヴォーカルは待望のデイヴィッド・リー・ロスであり、得意のパフォーマンス、蹴りの高さは往年のそれ以上だとさえいわれる。
髪こそ短くなったが、54歳のデイヴはいささかも弛みのないシェイプアップされた肉体を駆使し、縦横無尽にステージ上を駆け回る!

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そして、もう一人の立役者(ベース・マン)は、なんと16歳のエディの息子、ウルフギャング・ヴァン・ヘイレンである!

残念ながらオリジナル・メンバーである、マイケル・アンソニー(B)の姿はそこにはない。誰もが待ち望んだ23年ぶりの復活は、クラシック・ヴァン・ヘイレン再編には至らなかった……。

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2007年〜2008年北米ツアー発表の席上、

「これは新しいヴァン・ヘイレンであり、再結成じゃない」

と、エディが豪語したのが昨年8月。実は当初、ツアーは5月からスタートする予定であった。エディのアル中治癒に時間を要し、9月27日からシャーロットをかわきりに全米主要都市25会場でのツアー開始。

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マイケル・アンソニーの解雇理由としては、2002年の活動休止時、当時エディと敵対関係にあったサミー・へイガー(2代目ヴォーカリスト)のツアーにマイケル・アンソニーが参加したことにエディが怒ったからだそうである。
同時に、エディにとってこのツアーの目的の第一義に、息子とのセッションがあったこと。
それにしてもマイケル・アンソニーへの、エディの怒り心頭は冗談ではなく、事実ツアー発表記者会見時まで、マイケルには電話連絡すらなかったようだ。

「俺のところには、一言の相談も電話もなく、除外されたことをみんなと同じようにインターネットで知ったよ。まあ、エディが息子と演りたいなら俺には文句をつけられないさ。この事実を受け入れて、俺なりの活動を続けていくしかないね」(マイケル・アンソニー談)

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このようにマイケル・アンソニー解雇、若干16歳の息子を伴った過酷なツアー管理には、スタッフ・メンバー共に相当に神経を使っているようだ。
デイブとのかつての諍いもあり、メンバーの移動・宿泊先には、デイヴが別行動をとり、エディの健康面と16歳の息子を気づかって、ツアー日程も連日公演を避け、さらに不用意にメンバー間の緊張を再燃させないために一切のインタヴューを受けず、ローリング・ストーン誌の表紙オファーでさえ蹴ったそうである。

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これらの過剰なまでの管理は、エディの現在の恋人であるジェイニー・リスズースキー嬢がマネージメント。
未成年のウルフギャングには、エディの前妻であり、ウルフギャングの実母であるヴァレリーが全ツアーに同行し、見守っているという。

この過敏な管理下により、ツアーは大成功している模様だ。
全公演の音源あるいは映像が、ブートレグで存在するそうで、

●Two Nights in North Carolina(2007年9月27〜29日、2枚組CD)
●Philly 2007 Two Nights(2007年10月1〜3日、CD)
●You Really Got Them(2007年10月14〜16日、2枚組CD-R)
●Izod Center November 3rd,2007 DVD(2007年11月3日、DVD)
●Really Got The Best(2007年11月10日、CD)
●Van Halen 2007.12.03.Seattle WA,MASTER(2007年12月3日、ビットトレント音源)


などが、演奏面、音響面でかなり優れているようだ。
今年のツアー日程を終了するまでは、公式な音源・映像はお預けであるが、粗いながらも一部ブートレグからの動画もひろい、下記にリンクしてみました。
エディほかの勇姿を確認できるだけでも、ファンにとっては幸いである♪

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いずれにせよ、ツアー真っ最中。
1979年9月13日武道館公演以来の、エディ&デイヴの晴れ舞台を是非日本で実現してほしいものである!

※参考資料:beatleg magazine 2008 3月号

●Reunion Tour Press Conference (Full Version 1/2)
●Van Halen Last Rehearsal 2007
●Eruption (Seattle, 2007)
●Jump (Greensboro)
●MEAN STREET- 2007 - CHICAGO, IL
●Cox Arena San Diego 2007 Panama
●2007 Aint Talkin Bout Love
●IZOD Center 11.03.07 2DVD 2 cam mix! complete!
●IZOD 11-03-2007 You Really Got Me
●IZOD 11-03-2007 Running With The Devil
●IZOD 11-03-2007 Pretty Woman
●2008 - Fort Lauderdale - Hot for Teacher
●2008 Spanish Fly
●Guitar Solo (10 mins) - Houston 2008
●Mean Street 1981






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  1. 2008/03/11(火) 18:41:14|
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ピート・タウンゼント(The Who)/大人のギタリスト講座31。

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最も派手なステージ・アクション!
最もパワフルなリズム・ギタリスト!
パンク、モッズからヘヴィ・メタルと、数世代に渡って支持され続けるザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼントは、1960年代のジミヘンやベックといった同世代ギタリストにも強い影響力を誇っていた。

※ザ・フーの来歴は、ここで。

1945年5月19日。
ピート・タウンゼント(本名ピーター・デニス・ブランフォード)は、ロンドン、チズウィックに生を受けた。
因に、1945年とは第二次世界大戦終結、国連が発足された年である。

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父親がサックス奏者、母親がヴォーカリストで、両親共にビッグ・バンドで働くプロ・ミュージシャンであった。
そんな中、幼いピート・タウンゼントが、最初に手にした楽器はハーモニカだった。

1956年、11歳の頃に初めてギターを手に入れた。
当初は友人の自作ギターを弾いたのがはじまりだったが、そんな原始的なギターを弾きこなすのを見た祖母が、誕生日にアコースティック・ギターをプレゼントしたという。

父親から基本的な弾き方を学び、コードやハーモニーについては本から独学で学んだ。譜面の勉強はしなかったそうで、

「もっと譜面の勉強をしておけばよかったって、いまでも後悔しているよ。作曲家として他のライターとか共作者、プレイヤーと意思疎通の面で不自由を感じるんだ。もし読譜を学んでいたら、仕事も人生もだいぶ違った感じになっていたと思うよ」(ピート・タウンゼント談)

と、語っている。
この頃、ギターと同時にバンジョーも弾きはじめたピート・タウンゼントは、トラディショナルなジャズ、ディキシーランド、ブルーグラスに傾倒し、派手なギター・スタイルはなんとバンジョーを弾いたことから起因すると語っている。

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さらにポップス、ロックンロールへと興味が広がり、イングランドのジョニーキッド&ザ・パイレーツのミッキー・グリーンの演奏からは、3弦の音幅のある強烈なチョーキングを学びとり、以後、
●ジェイムズ・バートン
●リンク・レイ
●ハンク・マーヴィン
●チェット・アトキンス
といったミュージシャンや、ジャズ・ギタリストからは、
●ウェス・モンゴメリー
●バーニー・ケッセル
●ケニー・バレル
●ジョニー・スミス
●チャーリー・クリスチャン
などから影響を受けたとされる。
この頃、ミッキー・ベイカーの著書『Complete Course In Jazz Guiter』から、コード・チェンジについて学んだ。

1961年、最初のロック・バンド、ザ・ディトゥアーズに参加。
ロジャー・ダルトリーからもらった、ソリッド・ボディのエレクトリック・ギターを弾いていた。
この頃のピート・タウンゼントは、

「ジャズとポップスの影響力を一緒に引き出したのが、R&Bだって気がしたんだ」(ピート・タウンゼント談)

と、語っており、アート・スクールに通いながら、
●マディ・ウォーターズ
●ボ・ディドリー
●チャック・ベリー
●レイ・チャールズ
●ジミー・スミス
といったミュージシャンに触れ、
●ジョン・リー・フッカー
●バディ・ガイ
●B.B.キング
●フレディ・キング
●ジミー・リード
●ハウリン・ウルフ
などからも、強い影響を受けたとされる。

1964年、ハイ・ナンバーズのシングル “ I'm The Face/Zoot Suit ” でレコード・デビューを飾る。このバンドが後にザ・フーと改名することとなる。

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1965年、ザ・フーのシングル “ I Can't Explain ” と、アルバム『My Generation』発表。

この頃、リッケンバッカーのフルアコ1996(6弦)や、1993(12弦)など、何本ものギターを手にするが、ステージでことごとく破壊するパフォーマンスを繰り返す。
また、当時のザ・フーのマネージャー、キッド・ランバートから、17世紀のイングランド人の作曲家ヘンリー・パーセルを薦められ、強烈なインパクトを受ける。

「バロックのサスペンションが溢れていたんだ。これ以上ないってほど、深く影響されたよ。すぐに自分たちのデモを書きはじめたんだけれど、それはシンフォニーのサスペンションを全て網羅したっていっていいくらいだった」(ピート・タウンゼント談)

そしてこの頃、トレンド・ミュージックを強く意識するようになり、
●エリック・クラプトン
●ピンク・フロイド
●ジミヘン
などを聴きに、クラブやコンサートに出かけるようになる。
同時に、米国のジェイムズ・ギャングのジョー・ウォルッシュ(現イーグルス)にも感化され、互いの楽器を交換したりセット・アップを教わったりしている。

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相変わらず使用ギター、
●フェンダー・ストラトキャスター
●フェンダー・テレキャスター
●フェンダー・エレクトリックXII
●フェンダー・ジャズマスター
は、ことごとくステージで破壊され、1960年代後期には、ギブソンSGのサウンドが気に入り、メイン・ギターとなるが、はやり破壊され続けた。
そんな中、手元に残されたヴィンテージ・ギターは、
●1957年製グレッジ6120チェット・アトキンス
●1953年製ギブソン・レスポール
●1950年代後期のギブソン・フライングVは、ジョー・ウォルッシュからもらったもの。
●ダンジェリコ・ニューヨーカー、アーチドトップ・ジャズ・ギターも所有していたが、これはボートを買うために売ったそうである。
使用弦は、1960年代はフェンダーのレギュラーセット、1970年代初期に例外的に「.022 .028 .028 .032 .044 .056」。1980年代にはアーニー・ボールの「.011〜.052」で、3弦にはプレーン弦を張っていた。

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アコースティックでは、
●ギブソンSJ-200
●タカミネのエレアコ
といったギターを好み、アーニー・ボールの「.013〜.056」を張っていた。

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なんといっても、右腕をぐるぐる回転させながら弾くウィンドミル(風車)と呼ばれる奏法が取り沙汰されることの多いピート・タウンゼントだが、ルート/5度音、ルート/5度音/ルートによる、パワー・コードを発明したり、フィード・バックのコントロールにいち早く取り組んだり、ピック・アップのセレクト・スイッチを素早く動かしマシン・ガンのような擬音を鳴らしたり、チューニングをわざと外したり、マイク・スタンドでネックを擦りノイジーなサウンドを鳴らすなど、創意工夫に溢れたギタリストでもあり、アップ・ダウンストローク・カッティングで、フラメンコ・スタイルの16分音符での3連符など、彼ならではのテクニックでもある。

1966年、ピート・タウンゼントの激しいステージ・パフォーマンスに巻き込まれて負傷した、ドラマー、キース・ムーンがバンド脱退をほのめかす。

1967年、ドラッグで告発、収監されたストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズのため、ストーンズの曲をレコーディング。その収益を二人の救済資金に提供する。

1969年、ロック・オペラ『Tommy』作曲。ウッドストック・フェスティヴァルに出演。


「トミー」オリジナル・サウンドトラック

1971年、ザ・フーの最も成功したアルバム『Who's Next』リリース。


ザ・フー/フーズ・ネクスト+7

1972年、初のソロ・アルバム『Who Came First』レコーディング。


ピート・タウンゼント/フー・ケイム・ファースト(スペシャルプライス盤)(CD)

1975年、映画ロック・オペラ『Tommy』が、ニューヨークでプレミア公開。この席でクラプトンが、ヘロイン中毒から再復帰するにあたり、力を貸してくれたピート・タウンゼントに謝意を述べた。


ロックオペラ「トミー」コレクターズ・エディション / ロジャー・ダルトリー

1978年、キース・ムーン死去。

1982年、ザ・フー解散。

前述したように、様々なトリッキー奏法はピート・タウンゼントが先なのか? はたまたジミヘンが先なのか? 気になるところである。
ピート自身のこんな談話もある。

「ジミヘンを聴いたときなんて、天にも昇る心地だったよ」(ピート・タウンゼント談)

残念ながら、真相は謎であるが、こんな談話もある。

「ギターを最初にフィード・バックさせたのは、絶対にピート・タウンゼントなんだ。彼がはじめたことが他の多くの連中、例えばベックやジミヘンなんかの功績になっちまってるのさ。ステージでギターをぶっ壊したのもピートが最初さ。もちろん彼のコードセンスも最高だよ」(リッチー・ブラックモア談)

ロック・マニアの間で、いつも囁かれることだが、日本でのザ・フーの知名度は極めて低い。だが、ザ・フー及びピート・タウンゼントを知らずして、ロックは語るなかれ、とあえて僕はいいたい!

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♪THE WHO 公式サイト



それでは、THE WHO、ピート・タウンゼントの動画をチェック♪
●The Who - Magic Bus
●The Who - I Can't Explain
●Pinball Wizard at Woodstock - The Who
●The Who - Baba O'Riley
●The Who - Behind Blue Eyes
●The Who - Wont Get Fooled Again
●The Who - Let's See Action (1974)
●Sheraton Gibson - Pete Townshend (Studio)
●Pete Townshend - Empty Glass (promo video)
●Pete Townshend - Rough Boys (promo video)
●Pete Townshend - Keep On Working (promo video)
●Pete Townshend - Let My Love Open The Door 1998
●Pete Townshend / The Who - Bargain
●English Boy-Pete Townshend
●Pete Townshend-Magic Bus





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  1. 2008/03/04(火) 18:00:00|
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AC/DC プラグ・ミー・イン!

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先週の『ボン・スコット(AC/DC)/本日28回目の命日!!!』楽しんでいただけましたでしょうか?

僕はといえば先週末、遂に買ってしまいました!
必殺の『PLUG ME IN』コレクターズ・エディション・3DVD・セット(¥8610税込)でございます。

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完全生産限定ボックス。
●フルカラー28Pブックレット
未公開の秘蔵写真/英文ライナーノーツ
●豪華レア・レプリカ・グッズ
コンサート・ポスター、チケット、パス他全8点
●ピクチャー・レーベル
●AC/DCロゴ型押しスリーブケース/デジパック仕様
●日本語字幕(日本盤のみ)
●歌詞/対訳/英文ライナーの翻訳(日本盤のみ)
●バイオグラフィー(1973〜2003)(日本盤のみ)
●解説:伊藤政則(日本盤のみ)


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イエ〜〜〜っ!
かなり昂奮しております。

ボン・スコット没後28年を記念したスペシャルDVDセット。
ディスク1は、ボン・スコット・イヤーズ・ディスクで、1975〜1979年の主に各国のTV出演時の貴重な映像満載。
僕もほぼYouTubeでしか観たことがなかったボン・スコットの勇姿と、二十歳前後のアンガス・ヤングが必見です!!
これだけクリアーな映像で見せられると、改めてボン・スコットの実力を再確認できるというもの。

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ディスク2は、お馴染みブライアン・ジョンソン・イヤーズ・ディスク。
1981〜2003年の白熱のライヴ映像の数々。
ディスク3ビトウィーン・ザ・クラックス(ボーナス・トラック)と合わせ、全7時間、どっぷりAC/DCに浸れるマニア仕様。

1980年、AC/DCがボン・スコットの死後、『バック・イン・ブラック/Back In Black』で軌跡の復活を遂げ、全米を制覇したのはアルバム『悪魔の招待状/For Those About To Rock(We Salute you)』であり、80〜83年の彼等の一番ノッていた頃のライヴ映像は極めて少ないそうで、かなり貴重である。

1981年2月の初来日公演(日本青年館)での、ライヴ映像も、既に当時放映したテレビ東京にもマスター・テープのストックがなく、ファンからコピー映像が提供されているそうだが、この3枚組DVDが様々な煩雑な権利関係をクリアし、膨大な準備期間を経て世に送り出されたであろうことは、想像に難しくはない。
僕は当時、武道館公演に脚を運んだが、あいにく最悪の席であったため、今回の映像は実にありがたい。

圧巻は、1991年のモスクワ・ツシノ飛行場でのライヴ。
なんと4週間前にソ連崩壊につながる、有名なクーデターがあったばかりの9月モスクワ公演からの4曲。
1983年以降のフィル・ラッド(D)解雇により、クリス・スレイドが叩いているが、自由を手に入れたロシアのオーディンエンスの熱狂と、それに答えるべくメンバーが極限のテンションで望む “ 悪魔の招待状/For Those About To Rock(We Salute you) ” は凄まじい。恥ずかしながら、こんなライヴがあったことすら知りませんでした。

これからロックをやる者たちに 俺たちからの挨拶だ
撃て 撃て


意味じくも、悪魔の招待状の詞がロシアの若者に突き刺さり、異常なテンションを生み出している名ライヴである!

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そして、1994年以降のフィル・ラッド復帰後のライヴ映像も、いかに彼がAC/DCに必要不可欠なオリジナル・メンバーであるかを痛感する。

改めてボン・スコット時代から、AC/DCを遡って観ていると、一貫したお約束のハード・ロック(アンガス曰く、ロックンロール・バンド)路線は、決してマンネリズムなのではなく、彼等が “ ぶれない独楽 ” であることを証明している。

ぶれない! これは何事を成すにも重要なテーマである。
人は飽きやすいし、すぐ怠惰な方向に流れるのが性。
そう最初は、勢いバランス良く回る独楽とて、徐々にスピード・ダウンし、揺れはじめ、そして止まる……。
しかし一芸に秀でた選ばれし者は、自らトーン・ダウンを跳ね返し、叱咤する術を知っている。
まるでさらに強い回転を加えるべく、叩き回転を加速させる独楽のように。

えっ?
確かに僕は50路のオヤジである。
いいオヤジが、AC/DC大好きです!
でもね、

人間は、悩み多き動物ではあるが、AC/DCの軌跡を観て、真に “ ぶれない独楽 ” の意味を体感し、勇気を得、生きる希望が噴火するというもの。

必見です!



プラグ・ミー・イン〜コレクターズ・エディション・3DVD・セット〜


1980〜AC/DCライヴ映像をYouTubeで、チェック!
(一部、プラグ・ミー・イン収録動画あり)