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レッド・ツェッペリン終章/年末スペシャル特集3。

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破竹の勢い、ついに失速。
巨大な飛行船が除々に低空へと、迷走することとなるのが、1976~1980年である。

1975年2月発売の『フィジカル・グラフィティ/Physical Graffiti』の成功。
1975年5月のロンドン・アールズ5夜コンサートも大成功に終わった頃、メンバーはスイス、モントルーに揃って移住した。
巨額を稼ぎ出すツェッペリンは、英国から重税を科せられた。それから逃れるための苦肉の策であったが、メンバーはこれを機に充電期間に入ることになる。

まずロバート・プラントが家族で、モロッコ旅行に出かけ、ジミー・ペイジと合流し、エスニック・ミュージックの探求と、秋からのUSツアーのプランニングに明け暮れていた。

しかし8月4日、ギリシアのロードス島観光時、プラント一家のレンタカーが交通事故を起こし、プラントは足首と肘を複雑骨折。秋のUSツアーはキャンセル。
それでもプラントの療養を兼ね、メンバーはロスに集まり、ハリウッドのスタジオでリハーサルに勤しむ。
11月には、ドイツ、ミュンヘンに飛び、レコーディング。
スタジオには次のストーンズの予約が入っていたため、レコーディング・ミキシングを18日間で済ませ、1976年3月『プレゼンス/Presence』は発表された。
アルバムは英米1位を獲得。大成功を収めるが、プラントの体調は完治していなかったため、ニュー・アルバムに合わせたツアーは断念。


プレゼンス / レッド・ツェッペリン

かわりに、1973年7月27~29日のニューヨーク公演を収録した映画の仕上げに取りかかる。この映像プロジェクトは、撮影不備により73年にステージを再現して一部再録したり、監督の交代などから、大幅に完成が遅れていた。
1976年9月、2枚組サウンド・トラック『永遠の詩(狂熱のライヴ)』発売。
そうして10月、137分の長編映画『狂熱のライヴ(永遠の詩)』は封切られた。


永遠の詩(狂熱のライヴ)~最強盤 / レッド・ツェッペリン

映画の準備期間を経ることで、体調が回復したプラントとメンバーは、1977年1月からの全米ツアーのリハーサルを開始。
しかし、折りしも英国音楽シーンにはパンク・ムーヴメントが吹き荒れていた。
巨額の金にまみれ、夜毎酒池肉林に溺れる巨大ロック・バンドは、古くさいロックとして中傷されることとなるのである。

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2月スタートの全米ツアーだったが、またしてもロバート・プラントが扁桃腺炎を患い4月1日テキサス州ダラス公演からに延期。
以後、4ヶ月49公演。
4月30日ミシガン州ポンティアックでは、76229人を動員し、有料単独公演入場者数の新記録を樹立。
しかし、パンク・ムーヴメントの影響が波及していなかった米国で、順風満帆に見えたツェッペリンだったが、確実に暗い影が忍び寄っていたのである。
長期に渡るスタジアム・クラスでの演奏は、メンバーの体力を着実に蝕んでいく。
とりわけ、ジミー・ペイジとジョン・ボーナムが、その消耗からそれまで以上にドラッグとアルコールに浸るようになる。
事実、4月9日シカゴ公演で、ジミー・ペイジの体調不良により、コンサートが中断。
6月3日のタンパ公演は雨天により、3曲で終了。不満な観客が暴動を起す。
7月23日オークランド公演では、バック・ステージでマネージャーのピーター・グラントと、大物プロデューサー、ビル・グレアムのスタッフが揉め、グラントとボーナムを含む4名のスタッフが障害の罪を科せられた。
さらに、悲劇は続く。
7月26日、ニューオリンズのコンサートに向け飛んだプラントに悲報が届く。
なんと5歳になる息子カラックが、ウィルス感染により死亡。
残るツアーは全てキャンセル。
ショックから自宅に引き蘢ったロバート・プラントとツェッペリンは長い休眠状態に突入するのである。

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1978年5月。
遂にメンバーの説得に折れたロバート・プラントが重い腰を上げる。
ウェールズのクリアウェル城でリハーサル開始。
その間、ドクター・フィールグッドデイヴ・エドモンドとセッションし、ライヴ感覚を取戻したプラントは、メンバーとともにストックホルムの、アバ所有のスタジオに入り、レコーディングを開始。
だが、ジミー・ペイジの不調がたたり、ヤマハGX-1シンセサイザーを入手したジョン・ポール・ジョーンズが主導権を握り、サウンドはキーボード主体なものへと変貌する。
1979年8月、こうして8枚目のアルバム『イン・スルー・ジ・アウト/In Through The Out Door』が発売された。


イン・スルー・ジ・アウト・ドア

8月4日。
ネブワース・フェスティバルのヘッド・ライナーとして、久々にツェッペリンがステージに上がると報道されるや、16万枚のチケットは即日完売。11日には追加公演が決定。
3年のブランクは、パンク・ムーヴメントを追い払い、折しも英国で芽生えていたNWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)と、米国産業ロック勢が、ことごとくツェッペリンからの影響をカミング・アウトしたため、8枚目のアルバムも英米1位を獲得する大成功を収めた。

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紆余曲折ありながらも、1981年1月の全米ツアーも決まり、80年9月24日にリハーサルを開始。
しかし、77年7月のビル・グレアムとのトラブルが尾を引き、米国ツアーにナーバスになっていたジョン・ボーナムがスタジオに向かう途中、4杯のウォッカを飲む。
当時はフュージョンやクロス・オーヴァーのドラム・スタイルへの憧れから、自らのプレイにも迷いがあったようだ。
リハーサルでも飲み続けるボーナムに呆れ、ジミー・ペイジとロバート・プラントは早々にウィンザーのペイジの邸宅に引き揚げる。
その後のペイジ宅での夕食会でもウォッカを煽り続け、酔いつぶれた彼は、深夜零時頃寝かされた。
結局翌日25日午後になっても、顔を見せないボーナムの様子を見にいったローディが、彼の死を確認することになる。
40杯ものウォッカにより泥酔したジョン・ボーナムは、自らの嘔吐物を気管に吸い込み、肺浸水により、わずか32年の生涯を閉じたのである。

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10月7日、ジョン・ボーナムの葬儀終了後、メンバーはツェッペリンの活動停止を決意。
1980年12月4日。正式に解散声明が発表されたのである。

アトランティックとの契約から、未発表テイクをジミー・ペイジがプロデュース、オーヴァー・ダビングを重ね『コーダ(最終楽章)/Coda』は、1982年11月に発表。名実共にバンドはその活動を締めくくった。


レッド・ツェッペリン/コーダ(最終楽章)<2005/5/25>

1967~1980年。
わずか13年間のレッド・ツェッペリンの歴史は濃密なものである。
その限られた期間で、ライヴ盤を含むオリジナル・アルバムが10枚。
これから、ツェッペリン体験される若い方々には、アプローチしやすいのではないだろうか?
そして、クラシック・ヴァン・ヘイレンの復活にも見られるように、90年代まででハード・ロックが完全に歴史として停滞してしまった現状……。
その要因として、あまりにも巨大な飛行船の墜落により、シーンが新しいハード・ロックを精製できなくなってしまったことを噛み締め、今後を担う20世紀型の新しいロックを渇望してやまない。

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♪レッド・ツェッペリン公式サイト



『プレゼンス/Presence』動画をチェック!
●Achilles Last Stand
●For Your Life-London-10 December 07
●Royal Orleans
●nobodys fault but mine
●Candy Store Rock
●Hots On For Nowhere

『イン・スルー・ジ・アウト/In Through The Out Door』動画をチェック!
●In the Evening
●South Bound Saurez
●Fool in the rain
●Hot Dog
●Carouselambra
●All My Love
●I'm Gonna Crawl

『コーダ(最終楽章)/Coda』動画をチェック!
●We're Gonna Groove
●Poor Tom
●I Can't Quit You Babe
●Walter's Walk
●Ozone baby
●Darlene
●Bonzo's Montreux
●Wearing and Tearing





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  1. 2007/12/25(火) 20:57:17|
  2. 大人のロック。
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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  1. 2007/12/29(土) 11:17:11 |
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  3. 移民の詩 #-
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