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レッド・ツェッペリン/年末スペシャル特集!

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先月11月14日、ロバート・プラント、ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズの3人が自らトラッキング・リストを選んだ『マザーシップ~レッド・ツェッペリン・ベスト/MOTHERSHIP』発売。


レッド・ツェッペリン/マザーシップ~レッド・ツェッペリン...

11月26日付のオリコン・アルバム・ランキング初登場赤丸8位。
同洋楽アルバム・ランキング初登場赤丸4位。

12月10日付の最新オリコン・アルバム・ランキング11位。
同洋楽アルバム・ランキング3位。

さらに、11月21日には『永遠の詩(狂熱のライヴ)』のリマスター&エクスパンド盤リリース。オリコン・アルバム・ランキング32位。同洋楽アルバム・ランキング12位(ともに12月10日付)。
同ライヴ新装版DVDも同時リリースされた。


永遠の詩(狂熱のライヴ)~最強盤/レッド・ツェッペリン[CD]

ツェッペリン強し!
むろん僕は、全て持っているので買っていませんが、かたや米国を代表するイーグルスの『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン/LONG ROAD OUT OF EDEN』(初登場赤丸7位)のような、派手な世界的プロモーションもない中、これは賞賛に値する現象ではないだろうか。

かといっても、火種がなかったわけでもない。
ツェッペリンの生みの親でもあった、アトランティック・レコードの創立者アーメット・アーティガンが、昨年10月、ストーンズの楽屋で転倒し、頭部を強打。昏睡状態の末ひと月後に亡くなった。

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先月26日、英ロンドンのO2アリーナにて、その功績を讃えた追悼コンサートに、ロバート・プラント(Vo)、ジミー・ペイジ(G)、ジョン・ポール・ジョーンズ(B)の3人に加え、故ジョン・ボーナムの息子ジェイソン・ボーナム(D)が参加した一夜限りのレッド・ツェッペリン再結成実現という報道が流れたのだ。
因に同追悼コンサートには、ピート・タウンゼントビル・ワイマン&リズム・キングスフォリナーパオロ・ヌティーニらも参加予定。

そしてこのライヴを機に、本格的にツェッペリン再結成の噂も流れたようだが、残念ながらそれはロバート・プラントによって一蹴されたようだ。

さらにジミー・ペイジの指の骨折により、上記追悼コンサートも、12月10日まで延期。

予定どおり昨夜、無事追悼コンサートが開催された。
チケット代金は125ポンド(約28000円)で、約2万枚の抽選に100万人以上が応募。お約束の“天国への階段”など約2時間にわたる演奏に、2万人が酔いしれた模様。
うう、行きたかったなあ……。

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まあそんなわけもあり、このブラック・ストライプでも年末特集ということで3週にわたり、改めて僕が最も敬愛するレッド・ツェッペリンを掘り下げ、2007年を締めくくってみたいと思います。



さて、レッド・ツェッペリン結成までの経緯は、ジミー・ペイジの頁を参照していただくとして、ヤード・バーズ解散後、新メンバーによるバンド結成を促したのは、ヤード・バーズの三代目巨漢マネージャーにして、後に5人目のツェッペリンと呼ばれたピーター・グラントだった。

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僕の手元の資料によると、このときジミー・ペイジはピーター・グラントとともに、新バンドの音楽性を、ハード・ロック路線でいくかフォーク・ロック路線にするか、検討に検討を重ねたといわれる。ジミー・ペイジのときにも書いたが、彼はこの時点で既に相当なキャリアを積んでおり、デビューを咽手で欲するような若手特有の青さもなく、むしろこのとき既にプロデューサー的な手腕を発揮していたといえる。

70年代に突入し、ロックが音楽ビジネスの最先端に位置するようになったとき、丼勘定を地でいくロック・ミュージシャンではない、打算とリアリズムを兼ね備えたジミー・ペイジのように建設的なアーティストが時代にマッチしたのだ。

そして最終的に新バンドを、ハード・ロック路線に据えたジミー・ペイジの決断が正しかったことは、その後のレッド・ツェッペリンの成功によって裏付けされた。
彼がハード・ロック路線を選択したのは、ほんの一時ヤード・バーズで一緒だった旧友ジェフ・ベックが、ロッド・スチュアートらと1968年8月発売の『トゥルース』をヒットさせたことが、最大の要因だったとされる。

では企画ありきか、メンバーありきだったのかは、いまとなっては定かでない。
実際、ロバート・プラント、ジョン・ボーナムというハード・ロック然としたメンバーを有したことも事実ではある。総合して全ての条件が、ジミー・ペイジにハード・ロックを選択させたということなのかも知れない。

同時に、ハード・ロック・バンドとしてのツェッペリンは、以後、当初の選択肢の一つだったフォーク的なアコースティック・アレンジを盛り込むことで、独自のキャラクターを生み出すことにもなったのである。
もし、ジミー・ペイジがこのバンドをフォーク路線に据えていたら、かのメンバーもありえなかったし、なによりレッド・ツェッペリンというロックは存在し得なかった。これは重要なポイントである。

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まずスタジオ・ミュージシャン時代から信頼していたマルチ・プレイヤー、ジョン・ポール・ジョーンズをベーシストに迎える。
次にバーミンガムで、バンド・オブ・ジョイなどのローカル・バンドを転々としていた、ヴォーカリストのロバート・プラント。
同じくバンド・オブ・ジョイのメンバーで、後にティム・ローズのバンドで活躍していたジョン・ボーナムをドラマーに迎える。

1968年9月、旧ヤード・バーズの曲“トレイン・ケプト・ア・ローリン”で、このメンバーでの最初のリハーサルを行った。
そしてこの時点で、4人は「イケる!」と実感したという。
その数週間後、9月中旬の北欧ツアーには、ニュー・ヤード・バーズとして活動開始。予想以上にオーディエンスの反響を得たことで、ジミー・ペイジとピーター・グラントは、ヤード・バーズというネーム・バリューに固執する意味を捨て、晴れてここに新星レッド・ツェッペリンが誕生するのである。

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バンド名の由来は諸説あるが、ザ・フーの故キース・ムーン(D)が、酔っぱらって口にしたLead Zeppeline(鉛の飛行船)を、ジミー・ペイジが覚えていて、スペルをLedに変えて拝借したというのが、有力だとされる。

そしてジミー・ペイジとピーター・グラントの知り合いだった、ダスティ・スプリングフィールドの紹介で、米アトランティック・レコードと契約。
ヤード・バーズというバック・ボーンがあるとはいえ、英国の結成間もないバンドにアトランティックが提示した契約金は、破格の20万ドルだった。

1968年11月、ファースト・アルバムのレコーディング開始。
既に充分なステージ活動により、レパートリーが完成していたこともあり、録音は2週間(一説には、わずか30時間少々だった)で完了。
12月には、ヴァニラ・ファッジMC5の前座でアメリカ・ツアー開始。

1969年1月(英国では3月)、1stアルバム『レッド・ツェッペリン/Led Zepplin』発表。
同年3月、英国での1stアルバム発売に合わせ、全英クラブ・サーキット、4月全米ライヴと精力的な活動をこなし、ツアー中ホテルの部屋で曲を作り、セカンド・アルバムのレコーディングを平行した。


レッド・ツェッペリン/レッド・ツェッペリン

そんな状況下での、スタジオも転々としながらの録音に、メンバーは不満だったとされるが、69年5月には1stアルバムが全米10位に上昇。ここぞとばかりにせっつくアトランティックの煽りもあり、1969年10月、2ndアルバム『レッド・ツェッペリンll/Led Zepplin ll』が発表された。


レッド・ツェッペリン 2

その1ヶ月後、2ndアルバム『レッド・ツェッペリンll/Led Zepplin ll』は、全米全英1位獲得。
1970年の英国音楽誌の人気投票では、ビートルズを凌ぎ、1位を獲得。
しかし当初のプレスは、レッド・ツェッペリンに否定的で、有名なローリング・ストーン誌はデビュー後、数年間ツェッペリンを酷評した。

これと同じ現象は、ビートルズのデビューに酷似している。
ビートルズ同様、ツェッペリンもまたファンの指示だけで浮上したのである。
そう考えてみると、ポピュラー・ミュージックを築いたビートルズ。
そして、ハード・ロックを革新的なものと位置づけたレッド・ツェッペリン。
ハード・ロックを再びポピュラーに昇華させたクイーン

ロック史四半世紀を経たいま、1960年代から1970年代にかけ、この3つのバンドが現在のロック・シーンの礎になったといっても過言ではない。

そしてジミー・ペイジの“ロック路線”選択。
それを世界的なパフォーマーになるべくバック・アップしたアトランティック・レコード……。
世話になったアトランティック創立者アーメット・アーティガンのために、一夜限りとはいえ、ひと肌脱ごうと決断したツェッペリンの熱さに、僕は感嘆する。

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ロバート・プラントの近影を見ると、かなり絶望感に囚われるが、願わくば本格的に再結成を。と、期待して止まないのは僕だけではないだろう……。



♪レッド・ツェッペリン公式サイト



1stアルバム『Led Zepplin』各曲順の動画をチェック!
●Good Times Bad Times
●Baby I'm Gonna Leave You
●Dazed and Confused[performed live]
●your time is gonna come
●Jimmy Page White Summer/BlackMountainside
●Communication Breakdown
●I Can't Quit You Baby
●How Many More Times

2ndアルバム『Led Zepplin ll』各曲順の動画をチェック!
●Whole lotta love
●What Is and What Should Never Be
●Thank you
●Heartbreaker
●living loving maid
●RAMBLE ON
●Moby Dick
●Led Zeppelin Live with Aerosmith (Bring it on Home)





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  1. 2007/12/11(火) 16:25:17|
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  4. | コメント:1
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ロックとロックな生き方を愛し、模索する1957年生まれ。
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