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クイーン序章/大人になれないオヤジのロック65。

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このロック・ブログで、未だ手つかずのビッグ・バンド。 僕の手持ちのいくつかの資料をもとに、その来歴を遡ってみたいと思います。

クイーンが1975年、日本のファンの前に初めてその衝撃の姿を現してから、はや32年。

そもそも、1968年晩秋にブライアン・メイ(G)とロジャー・テイラー(D)が出逢ったことからクイーンの歴史はスタートする。

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ブライアン・メイは、1947年7月19日ミドルセックス州に生を受けた。
7歳のときに父親に買ってもらったスパニッシュ・ギターを弾きはじめ、1963年16歳で、エレクトリック・エンジニアだった父ハロルドと19世紀の暖炉に使われていた木材でエレクトリック・ギターを自作した。

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以後、生涯のトレード・マークとなった“レッド・スペシャル”と名付けたこのギターと、コインをピックがわり生まれた独特のサウンドで、ブライアン・メイがギター&ヴォーカルを担当、友人がベース&ドラムスを担当し、ボ・ディドリークリフ・リチャードシャドウズヴェンチャーズといった曲をカヴァーし、多重録音テープを作りはじめた。
その後、その友人とともにメンバーを募り、マインド・ボグルズを結成。

さらに、ボッド・チャッピー&ザ・ビートルズを経て、近未来小説の題名から拝借した1984を結成。1984では、ビートルズザ・フースモール・フェイセズや米国のソウルやR&Bのカヴァーをプレイしていたという。

1984の活動を継続しながら、1965年にブライアン・メイはロンドン、ケンジントンのインペリアル・カレッジに進み天文学を学びはじめる。

1966年5月、インペリアル・カレッジで開催されたライブで、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの前座をつとめ、ご多分に漏れずジミヘンから多大な影響を受け、ジミならぬ“ブライミ(Brimi)”と名乗ったといわれる。

1968年春、音楽性や学業の兼ね合いから1984を脱退したブライアン・メイとティム・スタッフェル(V)は、カレッジの掲示板でドラマー募集の告知を出す。
そこで、ロンドンのホスピタル・メディカル・カレッジで歯科の勉強をし、故郷のトゥルーロでクリーム、ジミヘンに刺激されたバンド、ジョニー・クエイル&ザ・リアクションズというバンドで活動し、ミッチ・ミッチェルキース・ムーンばりのスタイルを有するロジャー・テイラーが名乗りを挙げることとなる。

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そして晴れて、ここにスマイルが結成される。

スマイルは、1968年10月26日にインペリアル・カレッジで開催された、ピンク・フロイドの前座としてライブ・デビューを果たし、この頃にはバンド活動に専念するためにロジャー・テイラーはカレッジを辞め、アート・カレッジの友人とケンジントン・マーケットの洋服屋で働くようになった。

この友人こそが、アフリカ東部の英国の植民地ザンジバル島出身で、父親が英国政府の高等裁判所出収係という、ペルシャ系の両親をもつ若者ファロク・バルサラといい、“フレディ”というニック・ネームで呼ばれていたフレディ・マーキュリーである。

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フレディことファロク・バルサラは1958年12歳の頃、寄宿学校の仲間とロックン・ロール・バンド、ヘクティクスを結成し、ピアノを担当していた。

1964年、バルサラ家はロンドンに移住。偶然、ブライアン家から100ヤードの近所で生活しはじめる。

1966年に、イーリング・カレッジ・アートに進んだフレディ・マーキュリーは、ケンジントンの友人の家に間借りする。その友人がティム、ブライアン、ロジャーの仲間であり、4人の交流がはじまる。

ティム、ブライアン、ロジャーのスマイルの演奏に刺激されたフレディ・マーキュリーはマージー・ビート・グループのアイベックスで歌いはじめ、その後レッケージ、レッド・ツエッペリンに刺激を受けたブログレッシブ・ブルース・バンド、サワー・ミルク・シーで活動した。

フレディ、ティム、ブライアン、ロジャーは部屋をシェアするようになり、一方スマイルは1969年4月スピーク・イージーでのギグで、ロッド・スチュアートを担当していたマーキュリー・レコードのルー・ライズナーに認められ、シングル“Earth/Step On Me”を米国マーキュリーからリリースするが不発に終り、英国では未発表に終わる。

そのうち、ティムがライ・クーダーなどのアメリカン・ロックに傾倒し、スマイルを脱退。
ブライアンとロジャーは共同生活をしていたフレディをヴォーカルとし、ロジャーの地元からベーシストの友人を招き、スマイルを再編成。

新生スマイルは、1969年6月27日にトゥルーロのシティ・ホールでギグ。

続いて1969年7月25、トゥルーロのPJ'sでのギグで、バンド名をクイーンと名乗ったのである。

そして1971年2月、エレクトロニクスを専攻し大学を卒業していたジョン・ディーコン(B)が加入。
ここでクイーンの不動のメンバー構成が確立した。

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そんなクイーンもデビュー時は、不遇だった。

1972年末、晴れてEMIレコードと契約。

1973年4月9日、EMI開催のマーキュリー・クラブでのお披露目ギグに出演、7月にはデビュー・シングル“炎の
ロックンロール”と、アルバム『戦慄の王女(Queen)』を発表。

 
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しかし本国メディアは、HRを基盤としたヴィジュアル重視のステージには冷ややかだった。
“子供だまし”とレッテルを貼られ、デビュー以後マネージメントにも恵まれず、メンバーはブティックの店員をしながらのバンド活動を強いられたのだ。

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ところが、我が日本では真逆の現象が起きていた。

当時の日本では、ベイ・シティ・ローラーズ人気で、ブリティッシュ・アイドル・バンドが注目されていたのだ。

とりわけ日本のティーンには、クイーンの華麗なルックスが、まるで少女漫画から飛び出して来たような貴公子に映り、そのスピード&ドラマティックなサウンドとともに衝撃を与えたのである。
そう、クイーンは英国でプレイする前に、日本でスーパー・アイドルとなっていた。
蛇足ながら、1975年の初来日時は1200人ものファンが押し寄せ、空港は大パニックになった。

ビートルズやストーンズは別格として、当時の僕のロック・アイドルといえば、レッド・ツエペリンディープ・パープル。マニアックなところでピンク・フロイドだった。だから、その男臭いロックの世界に、黄色い声援と喝采に包まれて登場したクイーンを少々蔑視していたことは否めない。

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しかし、友人が1974年11月発売『Sheer Heart Attack』を買ってきて、彼の豪華なステレオ・セットの前に鎮座して、初めて聴いた“Killer Queen”には心底ぶっ飛んだ。友人と興奮しながら何回もターン・テーブルの上でレコードをひっくり返し、大音量で聴返した記憶が今も鮮明に蘇る。
それが僕の中で、クイーンが単なる“女子供のアイドル”から、稀に見るクリエーティブ・バンドと化した瞬間だった。

 
《送料無料》クイーン/シアー・ハート・アタック(CD)

『Sheer Heart Attack』は英国2位米国12位、シングル“Killer Queen”は英国2位、米国12位の成功を収め、バンドは新たなる実験的な作品に取り組み、180回以上に及ぶ多重コーラスのオペラ的アプローチからなる“ボヘミアン・ラブソティ”を録音。
だが、演奏時間が7分以上に及ぶ“ボヘミアン・ラブソティ”発表をEMIがためらい、6分弱に編集。結果、9週連続英1位のメガ・ヒットとなる。

以後、クイーンは数々の名作を世に送り出し、名実ともにビッグ・バンドへと成長し、英国本国はもとよメリカン・チャートまでも席巻した。

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1991年11月、フレディ・マーキュリーが、エイズによる肺炎が元で急逝。その活動に終止符を打つまで、クイーンは常に日本のファンを“恩人”として大切にしてくれた。

1976年『華麗なるレース(A Day at the Races)』中の、一部を日本語で歌った“手をとりあって”の収録は、そんなクイーンから日本のファンへの、感謝の意が刻み込まれている。



●Queen - Keep Yourself Alive

●Queen- Father To Son

●Queen - killer queen

●Queen- Brighton Rock

●Queen- Bring Back That Leroy Brown

●Queen- Stone Cold Crazy

●Queen - Bohemian Rhapsody

●Queen - You're My Best Friend

●Brian May Plays God Save The Queen

●Queen "Long Away"

●Queen- Somebody to Love

●Queen Good Old Fashioned Lover Boy

●Queen-We Will Rock You

●Queen - We are the champions, live

●Spread Your Wings






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テーマ:YouTube動画 - ジャンル:音楽

  1. 2007/09/04(火) 18:38:14|
  2. 大人のロック。
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
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コメント

あれやこれやと

クィーンが初めて日本に来た頃、女子校の中学生でした。
クラスの洋物好きな子はほとんどベイ・シティ・ローラーズに夢中だったけれど、少数の子はKISSやエンジェル(だったかな?)がいいと力説していました。
わたしのいた学校では、クィーンクィーンと騒いでいたのは中学生ではなく高校生、それもくるぶしまである長いスカートをはき、ナナハンに乗って彼氏が迎えに来る様なズベ姉ちゃんたちが多かったみたいです。
昼休みには何度もクィーンが校内放送で流れていまして、その歌のうまさや楽曲の華やかさ、ドラマチックな曲調は、他のアイドルたちとは全然レベルが違っていたことは、すぐに感じましたよ。
今でもフレディの声でないと、クィーンの曲は、フィットしない気がします。
次の年にはアバが来ました〈ピンクレディも、ビューティ・ペアも同じ頃です)。
その次はビリー・ジョエルだったかなぁ・・・
この記事のおかげでいろいろ思い出しました。
懐かしかったです。

  1. 2007/09/04(火) 20:52:09 |
  2. URL |
  3. ままちり #mQop/nM.
  4. [ 編集]

ロジャース

こんばんわ!
餃子が唐突に食べたくなってしまった者です。
何処かのブログを拝見したからかも知れません(^^)

神保町といえば古本屋が多い事で知られていますが、
そこの若い店員の態度があまりに悪かったので絡みに絡み、
暴力は振るいませんでしたが精神的にボコボコにしてやってから、
あの街は避けています(←大人気ない)

クィーンは高校時代、某友人からカセットを借りたかも?
シアー・ハート・アタックとオペラ座の夜が最高ですね!
ライブ・アルバムも凄く迫力があったと思います。

ままちり様の仰るとおり、クィーンの声はフレディーでないといけませんね。
WOWOWでポール・ロジャースのクィーンのライブを見た事がありますが、
どんな内容だったかも忘れてしまいました(^^;)

ビューティ・ペアといえば、ブラック・ペアを思い起こす者でした(←マニアックな)
  1. 2007/09/06(木) 19:44:11 |
  2. URL |
  3. JIM #mQop/nM.
  4. [ 編集]

Re:あれやこれやと

>クィーンが初めて日本に来た頃、女子校の中学生でした。
クラスの洋物好きな子はほとんどベイ・シティ・ローラーズに夢中だったけれど、少数の子はKISSやエンジェル(だったかな?)がいいと力説していました。
わたしのいた学校では、クィーンクィーンと騒いでいたのは中学生ではなく高校生、それもくるぶしまである長いスカートをはき、ナナハンに乗って彼氏が迎えに来る様なズベ姉ちゃんたちが多かったみたいです。

あの頃僕は、タータン・チェックずくめのベイ・シティ・ローラーズのファンを横目に、ウォークマンでマイケル・シェンカー・グループを聴いていました(笑)。
ズベ姉ちゃんたちは、誰の感化だったのだろう??(笑)

>昼休みには何度もクィーンが校内放送で流れていまして、その歌のうまさや楽曲の華やかさ、ドラマチックな曲調は、他のアイドルたちとは全然レベルが違っていたことは、すぐに感じましたよ。

校内放送で! それは素晴らしい学校です!!

>今でもフレディの声でないと、クィーンの曲は、フィットしない気がします。
次の年にはアバが来ました〈ピンクレディも、ビューティ・ペアも同じ頃です)。
その次はビリー・ジョエルだったかなぁ・・・
この記事のおかげでいろいろ思い出しました。
懐かしかったです。

フレディの何オクターブだかの、声質には本当衝撃を受けたものです。
アバ! ちょうどディスコ・ブームでした。
ビリー・ジョエルあたりから、AORブームになり、日本でも山下達郎あたりが流行った時期ですね♪
僕も、懐かしいです(笑)。。。
  1. 2007/09/07(金) 13:10:29 |
  2. URL |
  3. noodles2 #-
  4. [ 編集]

Re:ロジャース

J I Mさん

>こんばんわ!
餃子が唐突に食べたくなってしまった者です。
何処かのブログを拝見したからかも知れません(^^)

笑。

>神保町といえば古本屋が多い事で知られていますが、
そこの若い店員の態度があまりに悪かったので絡みに絡み、
暴力は振るいませんでしたが精神的にボコボコにしてやってから、
あの街は避けています(←大人気ない)

それはそれは、災難です。
僕は学生時代、さぼって毎日のように古本街にいりびたっていた時期があります。
偶然、植草甚一さんをお見かけし、とっさに持っていた宝島にサインを頼んだんです。
でも、その宝島は既に植草さんが監修していないときのもので、怒られました。
で、すぐに本屋に駆け込んで、植草さんのエッセイを買い、無事サインしてもらったという思い出があります(笑)。

>クィーンは高校時代、某友人からカセットを借りたかも?
シアー・ハート・アタックとオペラ座の夜が最高ですね!
ライブ・アルバムも凄く迫力があったと思います。

僕も動画をチョイスしながら、改めて凄いバンドだったのだなあと興奮しました。
シアー・ハート・アタックとオペラ座の夜、たぶん彼等の才能が頂点のときだったのではないでしょうか。

>ままちり様の仰るとおり、クィーンの声はフレディーでないといけませんね。
WOWOWでポール・ロジャースのクィーンのライブを見た事がありますが、
どんな内容だったかも忘れてしまいました(^^;)

ポール・ロジャースのクイーンは、認めません。
ポール・ロジャースが嫌いなわけではないのですが。。。

>ビューティ・ペアといえば、ブラック・ペアを思い起こす者でした(←マニアックな)

阿久悠さんの絶頂期でもありました。。

  1. 2007/09/07(金) 13:19:51 |
  2. URL |
  3. noodles2 #-
  4. [ 編集]

Queenに嵌るキッカケが"The Game"、しかも最初に気に入った曲が
"Dragon Attack"だった者です(笑)

"The Game"から遡って初期のQueenに辿り着いた時は、サウンドの
違いに凄く驚いたのを覚えています。
"QueenⅡ"、"Sheer Heart Attack"、"A Night At The Opera"の
3枚は衝撃的でした・・・。

特に"QueenⅡ"のSide Black(残念ながらCDではこの感覚は体験
できませんね)にはぶっ飛びましたよ~。
フレディの音楽的才能に驚かされるのは勿論、何よりアナログの
16トラックMTRでよくここまで作りこんだと感心します。
Roy Thomas Bakerの手腕もかなり大きく貢献してるんでしょうね~。

Queenについて語りだすと止まらなくなってしまうので、この辺に
しておきます(笑)

しかしYOUTUBEって本当凄いデータベースですよね~。
"Father To Son"のライブは初めて観ました。
  1. 2007/09/08(土) 10:41:59 |
  2. URL |
  3. カブリエル #RDRaKwtQ
  4. [ 編集]

カブリエルさん

>Queenに嵌るキッカケが"The Game"、しかも最初に気に入った曲が
"Dragon Attack"だった者です(笑)

本来なら、とうの昔にクイーンを取り上げるべきでしたが、カブリエルさんの手前、ヘタは書けないとここまで引っぱってしまった者です(笑)。The Gameから入ったのですか~。

>"The Game"から遡って初期のQueenに辿り着いた時は、サウンドの
違いに凄く驚いたのを覚えています。
"QueenⅡ"、"Sheer Heart Attack"、"A Night At The Opera"の
3枚は衝撃的でした・・・。

クイーンサウンドは様々な形に変化・進化しましたが、やはり弟一期に集約されていますね。
ここで、基本が確立されていますよね。

>特に"QueenⅡ"のSide Black(残念ながらCDではこの感覚は体験
できませんね)にはぶっ飛びましたよ~。
フレディの音楽的才能に驚かされるのは勿論、何よりアナログの
16トラックMTRでよくここまで作りこんだと感心します。
Roy Thomas Bakerの手腕もかなり大きく貢献してるんでしょうね~。

アナログ盤は、AB面がありコンセプト・アルバムに仕上げるには絶好でした。というより必然?ですね(笑)
本文では、主旨がぶれるので触れませんでしたが、クイーン・サウンドを確立したもう一人の立役者ですね、Roy Thomas Bakerは!
実際79年のJazzでは、再びロイを呼び戻していますしね。

>Queenについて語りだすと止まらなくなってしまうので、この辺に
しておきます(笑)

続きは次回のオフ会のときにでも(笑)。

>しかしYOUTUBEって本当凄いデータベースですよね~。
"Father To Son"のライブは初めて観ました。

YOUTUBEがないと、このブログも立ち行かなくなってきました(汗)。

  1. 2007/09/12(水) 11:17:00 |
  2. URL |
  3. noodles2 #-
  4. [ 編集]

自分の先生は女の先生でしたがクイーンが好きでした
修学旅行のバスでみんな大ブーイングの中
先生と俺は乗ってました(笑)
そして卒業式に先生からクイーンのCDをもらい大喜びしました
フレディーの声は非常に優しく馴染みやすいロックでした
またブライアンのギターの音も腕もよく
もっと聴いてみたいと思いました
  1. 2008/06/22(日) 17:01:58 |
  2. URL |
  3. 15 #-
  4. [ 編集]

15さん

>自分の先生は女の先生でしたがクイーンが好きでした
修学旅行のバスでみんな大ブーイングの中
先生と俺は乗ってました(笑)
そして卒業式に先生からクイーンのCDをもらい大喜びしました
フレディーの声は非常に優しく馴染みやすいロックでした
またブライアンのギターの音も腕もよく
もっと聴いてみたいと思いました

それはまた貴重な思い出になりましたね!
クラシッククイーンも勿論ですが、現在のポール・ロジャースのヴォーカルもなかなかどうして、味わい深く、新作リリースが楽しみです♪
  1. 2008/07/29(火) 12:34:06 |
  2. URL |
  3. noodles2 #-
  4. [ 編集]

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