
クイーン+ポール・ロジャースの待望の新譜!
発売は先週17日。
例によって、聴き込みの日々でした。
誰もが知るところの “
ボヘミアン・ラブソディ ”、“
伝説のチャンピオン ”、“
キラー・クイーン ” を作ったフレディ・マーキュリーが1991年11月24日に他界してはや17年。
クイーンといえば、やはりフレディの強烈な個性のうえに存在していたことは、いうまでもない。
残されたメンバー、ブライアン・メイ(G)、ロジャー・テイラー(D)、ジョン・ディーコン(B)の、フレディ亡きあとの失意は想像に難しくない。
実際、1990年代後期にミュージシャンを廃業してしまったジョン・ディーコンを尻目に、ブライアンとロジャーはソロ活動を模索しはじめる。
そんな中、2004年9月。
フェンダー・ストラトキャスター50周年記念イベントに、ブライアンが出演。
このイベントこそが、クイーン弟2章の幕開けを起因することになる。
このときブライアンは、フリー、
バッド・カンパニーで活躍した名ヴォーカリスト、ポール・ロジャースと共演したのである。
この以外な取り合わせは、当日のファンはもとより、当の本人同士に大いなる音楽的可能性を示唆した。

そして、同年11月。
英国、音楽の殿堂授賞式に、なんとブライアン、ロジャー、ポール3人揃っての出席。
往年の名曲 “ ウィ・ウィル・ロック・ユー ”、“ 伝説のチャンピオン ”と、ポールのフリー時代の名曲 “
オール・ライト・ナウ ” の3曲を披露。
ここでポール・ロジャースは、フレディ・マーキュリーの類い稀なるテクニックとカリスマを凌駕し、見事にクイーンの名曲を歌いあげたのでる。
それは、フレディの物真似でもなく、かつ曲のイメージは維持しながら、なによりもクイーンのファン意識を重視した、ポールの誠意あふれるパフォーマンスだった……。
翌12月には3人でのツアーを発表。
クイーン+ポール・ロジャースとして、翌2005年春からヨーロッパ公演。同年秋にはさいたまスーパーアリーナをかわきりに日本でもツアー敢行。
いよいよ昨年11月から、ロジャーの個人スタジオ「ザ・プライオリー」において、クイーン+ポール・ロジャースのオリジナル・アルバム『ザ・コスモス・ロックス(the cosmos rocks)』のレコーディング&ミックス作業が、先月まで行われた。
2005年のツアーからレコーディングまでの2年間の空白は、クイーン+ポール・ロジャースとしての可能性や互いの信頼感といった、あらゆる葛藤を消化するための濃密な時間だったのかも知れない。
何故ならば、今回の曲作りは全てクイーン+ポール・ロジャース。
プロデュースもクイーン+ポール・ロジャースである。
特筆すべきは、かつてジョン・ディーコン担当であったベース・パートも、ブライアンとポールが兼任。セッション・ミュージシャンを一切介入させず、常に3人揃っての演奏。頑にクイーン+ポール・ロジャースの3人での作業にこだわったそうだ。
こうして、クイーン+ポール・ロジャースの新譜、『ザ・コスモス・ロックス(the cosmos rocks)』が僕らに届けられた。

ザ・コスモス・ロックス / クイーン+ポール・ロジャーズ肝心の音源であるが、フレディとは別な意味で強烈な個性を持つヴォーカリスト、ポール・ロジャース色は否めない。
強いていえばフリー、バッド・カンパニーのギター・パートが、ブライアン・メイのお馴染み “ レッド・スペシャル ” の音色で彩られ、ロジャー・テイラーのドラミングが炸裂するという趣向性が強いように感じる……。
一聴しただけでは、お馴染みのクイーン・サウンドは皆無のように感じてしまう。
しかし! である。
アルバム6曲目の “ We Believe ” などに顕著だが、ほとんどの曲は、是非頭の中でポールの声を、フレディの歌声に置き換えて聴いてみてほしい。
それは紛れもなく往年のクイーンズ・ロックなのだ!
そこに気づいてしまえば、例えばフィレディが生きているとしても、この『ザ・コスモス・ロックス(the cosmos rocks)』は、2008年の最新のクイーンだったはずだ。とさえ思えてくる。
それだけポール・ロジャースのキャラクターが傑出しているということだ。
ブライアンとロジャーは、正にそこにこの新ユニットの可能性を見いだしたのではないだろうか?
詰まりポールという個性が、栄光のクイーン・サウンドを単にリメイクしていくのではなく、リニューアルするパワーを秘めているのである。

だから、僕はクイーン+ポール・ロジャースというユニット名には多いに疑問である。ブライアン&ロジャーが亡きフレディに敬意を表し、クイーンを名乗っているのならむしろ逆であり、栄光のクイーンは一旦完結させるべきだ。と僕は思う。
そして、ブライアン&ロジャー+ポール・ロジャースとして新たなスタートを切るべきなのだ。
新生ジャーニーとは違う意味で、80年代全盛時のヴォーカリストを欠いたまま、お約束のリメイクを繰り返す、多くのバンドの新たなる道が、ここに示されている!
ましてや、クイーン解散時に誕生した高校生以下が、これから音楽シーンを支えていくわけで、ユーザーは僕のようなオヤジばかりではない。
今回の『ザ・コスモス・ロックス(the cosmos rocks)』は、一聴しただけで「クイーンじゃない!」と一蹴してしまったら、貴方は大いなる損をすることになるよ。
●では、一聴は百聞に如かず!
01.
Cosmos Rockin’/コスモス・ロッキン ←チェック!
02.
Time To Shine/タイム・トゥ・シャイン ←チェック!
03.
Still Burnin’/スティル・バーニン ←チェック!
04.
Small/スモール ←チェック!
05.
Warboys/ウォーボーイズ ←チェック!
06.
We Believe/ウィ・ビリーヴ ←チェック!
07.
Call Me/コール・ミー ←チェック!
08.
Voodoo/ヴー・ドゥー ←チェック!
09. Some Things That Glitter/サムシング・ザット・グリッター
10.
C-lebrity/C-レブリティ ←チェック!
11.
Through The Night/スルー・ザ・ナイト ←チェック!
12.
Say It’s Not True/セイ・イッツ・ノット・トゥルー ←チェック!
13.
Surf’s Up… School’s Out !/サーフ・ザップ、スクールズ・アウト ←チェック!
14. small reprise/スモール・リプライズ
●過去のクイーン記事♪
・
クイーン序章/大人になれないオヤジのロック65。・
クイーンの軌跡/大人になれないオヤジのロック66。(リンク・動画貼りなおし)
●
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- 2008/09/29(月) 15:18:42|
- 大人のロック。
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いよいよ来週9月17日。
待望のクイーン+ポール・ロジャースのニューアルバムが発売されます!
ってことで、あと1週間往年のクイーンに浸って待つことにしましょう♪
【第一期】1968~1975年・『戦慄の王女(Queen)』1973年/英24位、米83位

・『Queen ll』1974年/英5位、米49位

・『Sheer Heart Attack』1974年/英2位、米12位

・『オペラ座の夜(Queen)』1975年/英1位、米4位
【第二期】1976~1981年・『華麗なるレース(A Day At The Races)』1976年/英1位、米5位

・『世界に捧ぐ(New Of The World)』/1977年英4位、米3位

・『Jazz』1978年/英4位、米3位

・『Live Killers』1979年/英3位、米16位

・『The Game』1980年/英1位、米1位

・『Flash Gordon』1980年/英10位、米23位
【第三期】1982~2004年・『Hot Space』1982年/英4位、米22位

・『The Works』1984年/英2位、米23位

・『カインド・オブ・マジック(A Kind Of Magic)』1986年/英1位、米46位

・『Live Magic』1986年/英3位、米未発売

・『The Miracle』1989年/英1位、米24位

・『王女凱旋! ~戦慄のライブ・クイーン~』1989年/英67位、米チャート外
・『Innuendo』1991年/英1位、米30位

・『クイーン・ライブ!! ウエンブリ-1986(Live At Wembley '86)』1992年
/英2位、米53位

・『Made In Heaven』1995年/英1位、米58位

改めて眺めるクイーンの軌跡は、やはり華やかである。
僕の中でのクイーンといえば、フレディ・マーキュリーとブライアン・メイだ。
勿論、走り、もたりはあるが、ドシンと重厚なロジャーのドラムと、それを確実にセーブするジョンの確かなリズム・ワークがあってこそなのだが……。

先述したように、クイーン・サウンドをクイーン・サウンドたらしめているのはブライアン・メイのギター・サウンドである。
19世紀の暖炉の木材で自作した“レッド・スペシャル”の独特なサウンドには、ほかにも数々の工夫が凝らしてある。
・ボディが中空構造なため、ウォームなサウンドになる。
・3つのピック・アップに、コイルの巻き方向の正逆を切り替える位相反転スイッチがついていて、フェイズ・アウト・サウンドが出せる。
・通常のギターと違い、ピック・アップが直列で配線されており、高域が減りノイズが増える分、太い音になる。で、高域を補うためにトレブル・ブースター(エフェクター)とジョン・ディーコン自作のトランジスタ・アンプも一役買っている。

ステージではVOXアンプを使うが、特にソロ・レコーディングには歪みのきれいなトランジスタ・アンプを好んで使ったようで、これらにより“キラー・クイーン”でお馴染みの独特なギター・サウンドが作り出された。
そして、やはりフレディ・マーキュリーという杞憂のヴォーカリストを置いて、クイーンは語れまい。
前回の
来歴にも軽く触れたが、1946年9月5日、旧英国領ザンジバル島(アフリカ東海岸沖)で、フレディ・マーキュリーことファロク・バルサラはペルシャ系の両親のあいだに生を受けた。
彼が18歳になるまで、一家はインドに暮らし、フレディは寄宿学校で生活した。
5歳で叔母から、クラシック・ピアノの手ほどきを受け、寄宿学校時代にはロックン・ロール・バンドで地元では既に人気者だったという。
英国に移住し、イーリング・カレッジ・オブ・アートに進み、その自由奔放な校風の中で、それまでの被差別意識から解放され、既成概念に束縛されない創作活動に目覚めていった。フレディ・マーキュリーという大仰な名を名乗りはじめたのもこの頃だとされる。
インドでの寄宿学校時代、ペルシャ系でありながらアングロ・サクソン系の学校に入学したため、人種差別に苛まれ自らの異端を自覚。同時期に同性愛に目覚めたとされる。
しかし、彼が他界する前日1991年11月23日、自ら同性愛者でありエイズに冒されていることを声明するまで、その事実は封印されていた。
驚くことにクイーンという単語は、“オカマ”の隠語でもあるという。

ロックの世界において、
Tレックスのマーク・ボラン、フレディと親交の深かった
デヴィッド・ボウイ、
ボーイ・ジョージ、
フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、
ジョージ・マイケル、故
クラウス・ノミと、自らのゲイを公然と認めているアーティストは多い。
同性愛者にすぐれた才能が現れるのは、子孫を繁栄しないため。
そのコンプレックスを、精神文化面で無意識に補おうと欲求するからだという説があるそうだ。
むろん、僕は同性愛を理解・許容できる人間ではないが、同性愛者を蔑視する気は毛頭ない。不妊症、同性愛などが文明の成熟具合により生じることは、狭い檻にマウスを過密状態にする実験でも立証されていることである。
だが、偉大なロック・バンド“クイーン”を担ったフレディ・マーキュリーという類い稀な才能を、同性愛から生る“エイズ”によって失ったことは、いかにも惜しく悲しい出来事である、と僕は認識している。

それでは、今回もアルバム順に(1878年Jazz以降)動画をどうぞ♪
●Queen Fat Bottom Girls●Queen - Bicycle Race●Don't Stop Me Now●Another one bites the dust Queen●Queen - Flash Gordon●QUEEN-The Hero●Back Chat - Queen●Queen- Body Language●queen Put out the fire live●JOHN LENNON QUEEN LIFE IS REAL●Queen Radio GaGa Liveaid●Queen - I want to break free●Queen - Hammer to fall●One Vision●Queen "Who Wants to Live Forever"●Queen The Miracle●Queen - Scandal●Innuendo●Queen - The Show Must Go On - Music Video●It's A Beautiful Day●Queen - Let me liveBlog Ranking
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- 2008/09/09(火) 18:47:06|
- 大人のロック。
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