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バディ・ガイ/大人のギタリスト講座33。

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シカゴ・ブルースの大御所、マディ・ウォーターズのチェス・レコード時代、バッキング・ギターを担当した第2世代ブルース・ギタリスト、バディ・ガイ。

このブログで、紹介してきたいにしえのブルースマンの中で、恐らく最も現在のロック・ギター・スタイルに近いバディ・ガイのプレイは、ジミヘンジェフ・ベックエリック・クラプトンスティーヴィー・レイヴォーンらのギタリストに直接大きな影響を及ぼした。

クリームを結成した理由のどこかに、ブルース・バンドを率いてイギリス版バディ・ガイになるっていう結構無謀な夢があってね。創造性のあるベーシストと組んで、バディ・ガイになりたかったんだ」(エリック・クラプトン談)

1936年6月30日、バディ・ガイ(本名ジョージ・ガイ)は、ルイジアナ州レッツウァースに生を受けた。

幼少時のバディ・ガイは、ピルグリム・トラヴェラーズのルー・ローズとか、ソウル・スターラーズのサム・クックといったゴスペル・シンガーに親しんでいた。

1949年、アコースティック・ギターを手に入れた彼は、ライトニン・スリムを真似てピック・アップを取り付け、独学でギターを弾きながら、最初に覚えた曲はジョン・リー・フッカーの “ Boogie Children ” だったという。

「俺がギターを覚えた頃って、プリンスやクラプトン、ベック、キースみたいにギターで金を稼ぐ連中なんていやしなかった。みんな心からギターに惚れていたんだ。さもなきゃプレイなんてやってられなかったよ」(バディ・ガイ談)

思春期を迎える頃、ナッシュヴィルWLSC局から配信されるラジオから、
●マディ・ウォーターズ(シカゴ・ブルース)
●リトル・ウォルター(シカゴ・ブルース)
●ライトニン・ホプキンス(テキサス・ブルース)
●Tボーン・ウォーカー(テキサス・ブルース)
といったブルース・マンに親しみ、ニュー・オーリンズのデュー・ドロップ・インでプレイしていたギター・スリムからは、ステージ・パフォーマンスにおいて多大な影響を受けたとされる。
150フィートのシールドでアンプとギターを繋ぎ、ステージから客席に降りていったり、そのままクラブの外へ出ていったりといった意表を突くパフォーマンスは、ギター・スリムからヒントを得た。

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そして、アール・キングとライトニン・スリムからは、

「彼らを見るまでは、エレキ・ギターなんて見たこともなかったんだ」(バディ・ガイ談)

と語っており、フェンダー・ストラトキャスターを手に入れた。
1953年には、
●ビッグ・ポッパ・ティレイ
●ライトニン・スリム
●レイジー・レスター
●スリム・ハーボ
とともにルイジアナ中をギグで回るようになり、ブルース以外にもロックンロール、ゴスペル、カントリー&ウェスタンなどのテクニックを物にし、次第に彼のスタイルが構築されていった。

1957年、シカゴへ移住。
この直前に、友人からギブソン・レスポールを贈られたが、数週間後に盗難にあう。この事件を、バディ・ガイはシカゴからの洗礼と定め、以後ストラトキャスターがメイン・ギターとなる。

シカゴに渡ったバディ・ガイは、
●オーティス・ラッシュ
●マジック・サム
●マディ・ウォーターズ
●ハウリン・ウルフ
●リトル・ウォルター
●ジュニア・ウェルズ
●サニー・ボーイ・ウィリアムソン
といった大御所の中に、自らの腕をさらすこととなった。

1958年、ブルー・フレイム・クラブで行われたバトル・オブ・ザ・ブルース・コンテストで、ギター・スリム譲りの前述パフォーマンスで見事優勝。
これがきっかけとなり、マディ・ウォーターズのバッキング・ギタリストに抜擢されたのである。

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1960年、チェス・レコードのハウス・ミュージシャンになる。
1968年、ファースト・ソロ・アルバム『A Man & The Blues』リリース。
1970年、ストーンズのツアーに前座として参加。映画『Chicago Blues』にマディ・ウォーターズとともに出演。

バディ・ガイの演奏の特色としては、ワイド且つアグレッシヴなチョーキングがあり、本人曰く、

「細くてかわいいE弦を、太いE弦にキスさせてやるんだ」(バディ・ガイ談)

ときには長3度の域まで達するチョーキングを、スタッカートでピッキングしながらゆっくりとチョーク・ダウンさせ、独特のビビリ音を得たり、異なった音やコードをピッキングせずにグリッサンドさせて得るレガート・スライド、プリング・パターンの速い3連符も彼のオリジナルで、他のブルース・プレイヤーのみならずジミー・ペイジ、ジェフ・ベックらにも真似されている。

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前述したように、フェンダー・ストラトキャスターがトレード・マークのバディ・ガイだが、1967年にギルド社と契約してからは、セミアコ・ボディのスター・ファイアー4、12弦同様ナイチンゲール、ブルース・バードの両モデルも使っている。ピックはギブソン製のライト。弦はアーニー・ボールのライト・ゲージ「.009 .011 .012 .026 .032 .042」を使用。

1950年代。初期のアンプはフェンダー製4×10ベースマン。
1960年代後半。ギルド社と契約した際、15インチ・スピーカーを2個マウントしたギルド・サンダーバード。
1980年代には、クラプトンの影響でマーシャルJCM800モデル2210アンプ・ヘッドと、高出力のセレッション・スピーカーを搭載したマーシャル1982A 4×12キャビネットを使用。
多くのウルース・マン同様、ジム・ダンロップ製クライ・ベビー以外、ほとんどエフェクターは使わない。

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1971年、英国の音楽誌ニュー・ミュージカル・エクスプレスの人気投票で、クラプトン、ジミヘンに次いで5位獲得。
1972年、クラプトンと共同プロデュースの『Buddy Guy and Junior Wells Play The Blues』リリース。
1989年、クラプトンのアルバム『Journeyman』共作。

1991年、シルバートーンから「Damn Right, I've Got The Blues」をリリース。このアルバムは、前年に亡くなったスティーヴィー・レイ・ヴォーンに捧げられた曲も収録され、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、マーク・ノップラー等が参加したことも手伝って、ロック・ファンからも注目を集めた。

バディ・ガイは、シカゴ市内でブルース・クラブ「バディ・ガイズ・レジェンズ」を経営しており、シカゴの名所のひとつとなっているそうだ。

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「ブルースって、本を読んでも身につかないよ。君の身体に染込ませるのさ。深く君のソウルにまでね」(バディ・ガイ談)


♪Buddy Guy's Legends


バディ・ガイの動画をチェック!
●Big Mama Thornton ft. Buddy Guy - Hound Dog
●Buddy Guy 1965 - Out of sight
●Muddy Waters Wells Guy: That Same Thing
●Accoustic Buddy Guy in 1969
●Buddy Guy - Money (1970-07-01)
●Buddy Guy & the Rolling Stones The Checkerboard Lounge 1981
●BB King & Buddy Guy - I Can't Quit You Baby
●Buddy Guy - Sweet Home Chicago
●Buddy Guy - Sweet black angel
●Buddy Guy playing Cream & Hendrix & Hooker
●Eric Clapton & Buddy Guy - Sweet Home Chicago
●BB King Eric Clapton Buddy Guy Albert Collins Jeff Beck
●Buddy Guy - Feels Like Rain
●Buddy Guy "She's 19 Years Old"
●Buddy Guy- Dayton Riverblast 2007 - Part 1
●Buddy Guy- Dayton Riverblast 2007 - Part 2






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  1. 2008/03/25(火) 18:35:47|
  2. 大人のロック。
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フレディ・キング/大人のギタリスト講座32。

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アルバート・キングB.B.キングに並ぶブルース3大キング、フレディ・キングの登場です。

「いまフレディ・キングにハマってるんだ。彼のチョーキングは凄いよ。1インチも引っぱってあの音を出すんだ。かなり練習しているはずだよ。1音出すにも、それを裏付ける努力が必要なんだね。」(ピート・タウンゼント談)

「これまでステージで一緒にプレイしてきた中で、最も刺激を受けたのがフレディ・キングなんだ。彼はかなり意地悪で、その意地悪さが巧妙なんだ。うんと褒め上げておいてから、奈落の底に突き落とすって感じなんだ」(エリック・クラプトン談)

フレディ・キングの、テキサス・ブルースと様々な音楽スタイルの混合プレイは、マイケル・ブルームフィールドジェリー・ガルシアなどのロック、ブルース・ギタリストにも影響力をもち、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、デイヴ・エドモンズピーター・グリーンミック・テイラーZZトップらにカヴァーされ続けてきた。

1934年9月3日、フレディ・キング(本名フレディ・クリスチャン)は、テキサス州ギルマーに生を受けた。
ドイツでは、アドルフ・ヒトラーが総統に就任、日本では戦艦大和の設計を開始した年であり、作家筒井康隆が9月24日に誕生している。

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母親エラと、伯父のレオンがギターを弾いていたことから、フレディ・キングも6歳の頃からギターを弾きはじめた。
シルヴァー・トーンのロイ・ロジャーズというアコースティックが最初のギター。
当初ゴスペルとブルースにハマり、
●Tボーン・ウォーカー
●ロバート・ジョンソン
●ライトニン・ホプキンス
●サニー・ボーイ・ウィリアムソン
●ジョン・リー・フッカー
といったレコードを聴きあさっていたが、1949年15歳のとき、憧れのブルースマンに会うべく、シカゴへ旅に出る。

翌年の1950年、フレディ一家はシカゴへ移住。
ブルース・クラブを転々と渡り歩くようになり、マディ・ウォーターズハウリン・ウルフリトル・ウォルターのステージを熱心に見て回る。

楽屋にも出入りするようになったフレディ・キングは、マディ・ウォーターズのバック・ギタリストのジミー・ロジャーズと知り合い、ロジャースと一緒にジミー・リードのバンドでリードを弾いていたエディー・テイラーが、フィンガー・ピック、サム・ピックの使い方をフレディ・キングに伝授したとされる。

結局、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、リトル・ウォルターらと仕事をするようになったフレディ・キングは、彼自身やB.B.キングにも影響を与えたロバート・ロックウッドJrの音楽にも出逢う。

1952年、ジミー・リー・ロビンソンとエヴリ・アワー・ブルース・ボーイズを結成。
1953年、バロット・レコードから数々のセッション・レコーディングを開始。
1954年、家族とシカゴ定住を決意。
1956年、シカゴ・エル・ビー・レーベル所属アーティスト契約。シングル “ Country Boy/That's What You Think ” をリリースするもヒットには至らず。

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デルタ、テキサス、シカゴ・ブルースに、カントリー&ウェスタンなども取り入れたフレディ・キングのプレイ・スタイルは、それまでヴェンチャーズデュアン・エディのレコードばかり買っていたポップス・ファンにも強くアピールした。

「人々の眼を僕やB.B.キングはじめ、多くの仲間に向けさせたのは、白人の若手の力なんだ。それがなけりゃブルースは相変わらず黒人マーケットの域を出なかっただろうよ。ジョニー・ウィンタージョン・ハモンドポール・バターフィールド、ガキの頃からシカゴで僕らのまわりにたむろしていたマイク・ブルームフィールド、みんな彼らは本物のブルース・キャットたちさ。」(フレディ・キング談)

実際、ロック創世の源は、ブルースがなかった英国における若者たちが、それを模倣したことによる。ストーンズフー、クラプトン、ベックと挙げたら切りがないが、特にフレディ・キングの功績は大きいといわざるを得ない。

そんなフレディ・キングのプレイの特色は、人差し指と中指のスティール製フィンガー・ピックと、親指のプラスティック製サム・ピックで、本人曰くフラット・ピックは使ったことがないそうである。

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1960年、キング・レーベルと契約。
1961年、ハウンド・ドッグ・テイラーの “ Taylor's Boogie ” を練り直した、シングル “ Hideaway ” が、R&Bチャート5位。ポップ・チャート29位にランキング。ファースト・アルバム『Freddie King Sings』をリリース。

1950年代にフレディ・キングが使用したギターはほとんど知られていないが、キング・レーベルでレコーディングを開始した頃は、シングル・コイルP-90を2個マウントした1954年製ギブソン・レスポール・ゴールド・トップを使用。
1960年代中期、セミアコ・シンラインのエレクトリックから、ギブソン・ステレオE-355を入手。これが終生のフェイヴァリット・ギターとなった。
他には、ES-335、ES-345、レスポール、ファイアー・バードなどのギブソン・ギターを好んだ。
使用弦は、アーニー・ボールのライト・ゲージ「.010 .011 .012」を上の弦に、ギブソンのミディアム・ゲージを下の3弦に張っていた。

これを直接アンプにプラグ・イン。ノン・エフェクトでフェンダー・ツイン・リヴァーブを鳴らし、晩年は12インチ・スピーカーを4個マウントした1972年製フェンダー・クアッド・コンポ・タイプを使用していた。

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1968年、サックス奏者キング・カーティスの力添えで、アトランティックの子会社コーティリオンと契約。
1969年、ヨーロッパ・ツアー敢行。
1970年、レオン・ラッセル主宰のシェルター・レーベルと契約。
1974年、ポリドールに移籍。エリック・クラプトンとのアルバム『Burglar』レコーディング。ツアー敢行。
1975年、クラプトンのレーベル、RSOに移籍。アルバム『Larger Than Life』レコーディング。
1976年12月18日、肝臓障害によりテキサス州ダラスで死去。享年42歳だった。


♪フレディ・キング公式HP


フレディ・キングの動画をチェック!
●Hideaway
●Ain`t No Sunshine When She`s Gone
●Goin' Down
●Have You Ever Loved A Woman
●Ain't nobody's Buisiness
●Ghetto Woman
●Look On Yonder Wall
●Blues Band Shuffle
●Whole Lotta Lovin'
●Freddie King at the Travis County Jail 1976 Rare video





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  1. 2008/03/18(火) 19:10:36|
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ヴァン・ヘイレン近況!!

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離婚、咽頭癌、アル中との戦いを経て、53歳のエディ・ヴァン・ヘイレンが帰ってきた!

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55歳になった実兄アレックス・ヴァン・ヘイレンのドラミングが、かつてのグルーヴを蘇らせる!

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そして、ヴォーカルは待望のデイヴィッド・リー・ロスであり、得意のパフォーマンス、蹴りの高さは往年のそれ以上だとさえいわれる。
髪こそ短くなったが、54歳のデイヴはいささかも弛みのないシェイプアップされた肉体を駆使し、縦横無尽にステージ上を駆け回る!

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そして、もう一人の立役者(ベース・マン)は、なんと16歳のエディの息子、ウルフギャング・ヴァン・ヘイレンである!

残念ながらオリジナル・メンバーである、マイケル・アンソニー(B)の姿はそこにはない。誰もが待ち望んだ23年ぶりの復活は、クラシック・ヴァン・ヘイレン再編には至らなかった……。

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2007年〜2008年北米ツアー発表の席上、

「これは新しいヴァン・ヘイレンであり、再結成じゃない」

と、エディが豪語したのが昨年8月。実は当初、ツアーは5月からスタートする予定であった。エディのアル中治癒に時間を要し、9月27日からシャーロットをかわきりに全米主要都市25会場でのツアー開始。

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マイケル・アンソニーの解雇理由としては、2002年の活動休止時、当時エディと敵対関係にあったサミー・へイガー(2代目ヴォーカリスト)のツアーにマイケル・アンソニーが参加したことにエディが怒ったからだそうである。
同時に、エディにとってこのツアーの目的の第一義に、息子とのセッションがあったこと。
それにしてもマイケル・アンソニーへの、エディの怒り心頭は冗談ではなく、事実ツアー発表記者会見時まで、マイケルには電話連絡すらなかったようだ。

「俺のところには、一言の相談も電話もなく、除外されたことをみんなと同じようにインターネットで知ったよ。まあ、エディが息子と演りたいなら俺には文句をつけられないさ。この事実を受け入れて、俺なりの活動を続けていくしかないね」(マイケル・アンソニー談)

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このようにマイケル・アンソニー解雇、若干16歳の息子を伴った過酷なツアー管理には、スタッフ・メンバー共に相当に神経を使っているようだ。
デイブとのかつての諍いもあり、メンバーの移動・宿泊先には、デイヴが別行動をとり、エディの健康面と16歳の息子を気づかって、ツアー日程も連日公演を避け、さらに不用意にメンバー間の緊張を再燃させないために一切のインタヴューを受けず、ローリング・ストーン誌の表紙オファーでさえ蹴ったそうである。

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これらの過剰なまでの管理は、エディの現在の恋人であるジェイニー・リスズースキー嬢がマネージメント。
未成年のウルフギャングには、エディの前妻であり、ウルフギャングの実母であるヴァレリーが全ツアーに同行し、見守っているという。

この過敏な管理下により、ツアーは大成功している模様だ。
全公演の音源あるいは映像が、ブートレグで存在するそうで、

●Two Nights in North Carolina(2007年9月27〜29日、2枚組CD)
●Philly 2007 Two Nights(2007年10月1〜3日、CD)
●You Really Got Them(2007年10月14〜16日、2枚組CD-R)
●Izod Center November 3rd,2007 DVD(2007年11月3日、DVD)
●Really Got The Best(2007年11月10日、CD)
●Van Halen 2007.12.03.Seattle WA,MASTER(2007年12月3日、ビットトレント音源)


などが、演奏面、音響面でかなり優れているようだ。
今年のツアー日程を終了するまでは、公式な音源・映像はお預けであるが、粗いながらも一部ブートレグからの動画もひろい、下記にリンクしてみました。
エディほかの勇姿を確認できるだけでも、ファンにとっては幸いである♪

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いずれにせよ、ツアー真っ最中。
1979年9月13日武道館公演以来の、エディ&デイヴの晴れ舞台を是非日本で実現してほしいものである!

※参考資料:beatleg magazine 2008 3月号

●Reunion Tour Press Conference (Full Version 1/2)
●Van Halen Last Rehearsal 2007
●Eruption (Seattle, 2007)
●Jump (Greensboro)
●MEAN STREET- 2007 - CHICAGO, IL
●Cox Arena San Diego 2007 Panama
●2007 Aint Talkin Bout Love
●IZOD Center 11.03.07 2DVD 2 cam mix! complete!
●IZOD 11-03-2007 You Really Got Me
●IZOD 11-03-2007 Running With The Devil
●IZOD 11-03-2007 Pretty Woman
●2008 - Fort Lauderdale - Hot for Teacher
●2008 Spanish Fly
●Guitar Solo (10 mins) - Houston 2008
●Mean Street 1981






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  1. 2008/03/11(火) 18:41:14|
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ピート・タウンゼント(The Who)/大人のギタリスト講座31。

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最も派手なステージ・アクション!
最もパワフルなリズム・ギタリスト!
パンク、モッズからヘヴィ・メタルと、数世代に渡って支持され続けるザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼントは、1960年代のジミヘンやベックといった同世代ギタリストにも強い影響力を誇っていた。

※ザ・フーの来歴は、ここで。

1945年5月19日。
ピート・タウンゼント(本名ピーター・デニス・ブランフォード)は、ロンドン、チズウィックに生を受けた。
因に、1945年とは第二次世界大戦終結、国連が発足された年である。

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父親がサックス奏者、母親がヴォーカリストで、両親共にビッグ・バンドで働くプロ・ミュージシャンであった。
そんな中、幼いピート・タウンゼントが、最初に手にした楽器はハーモニカだった。

1956年、11歳の頃に初めてギターを手に入れた。
当初は友人の自作ギターを弾いたのがはじまりだったが、そんな原始的なギターを弾きこなすのを見た祖母が、誕生日にアコースティック・ギターをプレゼントしたという。

父親から基本的な弾き方を学び、コードやハーモニーについては本から独学で学んだ。譜面の勉強はしなかったそうで、

「もっと譜面の勉強をしておけばよかったって、いまでも後悔しているよ。作曲家として他のライターとか共作者、プレイヤーと意思疎通の面で不自由を感じるんだ。もし読譜を学んでいたら、仕事も人生もだいぶ違った感じになっていたと思うよ」(ピート・タウンゼント談)

と、語っている。
この頃、ギターと同時にバンジョーも弾きはじめたピート・タウンゼントは、トラディショナルなジャズ、ディキシーランド、ブルーグラスに傾倒し、派手なギター・スタイルはなんとバンジョーを弾いたことから起因すると語っている。

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さらにポップス、ロックンロールへと興味が広がり、イングランドのジョニーキッド&ザ・パイレーツのミッキー・グリーンの演奏からは、3弦の音幅のある強烈なチョーキングを学びとり、以後、
●ジェイムズ・バートン
●リンク・レイ
●ハンク・マーヴィン
●チェット・アトキンス
といったミュージシャンや、ジャズ・ギタリストからは、
●ウェス・モンゴメリー
●バーニー・ケッセル
●ケニー・バレル
●ジョニー・スミス
●チャーリー・クリスチャン
などから影響を受けたとされる。
この頃、ミッキー・ベイカーの著書『Complete Course In Jazz Guiter』から、コード・チェンジについて学んだ。

1961年、最初のロック・バンド、ザ・ディトゥアーズに参加。
ロジャー・ダルトリーからもらった、ソリッド・ボディのエレクトリック・ギターを弾いていた。
この頃のピート・タウンゼントは、

「ジャズとポップスの影響力を一緒に引き出したのが、R&Bだって気がしたんだ」(ピート・タウンゼント談)

と、語っており、アート・スクールに通いながら、
●マディ・ウォーターズ
●ボ・ディドリー
●チャック・ベリー
●レイ・チャールズ
●ジミー・スミス
といったミュージシャンに触れ、
●ジョン・リー・フッカー
●バディ・ガイ
●B.B.キング
●フレディ・キング
●ジミー・リード
●ハウリン・ウルフ
などからも、強い影響を受けたとされる。

1964年、ハイ・ナンバーズのシングル “ I'm The Face/Zoot Suit ” でレコード・デビューを飾る。このバンドが後にザ・フーと改名することとなる。

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1965年、ザ・フーのシングル “ I Can't Explain ” と、アルバム『My Generation』発表。

この頃、リッケンバッカーのフルアコ1996(6弦)や、1993(12弦)など、何本ものギターを手にするが、ステージでことごとく破壊するパフォーマンスを繰り返す。
また、当時のザ・フーのマネージャー、キッド・ランバートから、17世紀のイングランド人の作曲家ヘンリー・パーセルを薦められ、強烈なインパクトを受ける。

「バロックのサスペンションが溢れていたんだ。これ以上ないってほど、深く影響されたよ。すぐに自分たちのデモを書きはじめたんだけれど、それはシンフォニーのサスペンションを全て網羅したっていっていいくらいだった」(ピート・タウンゼント談)

そしてこの頃、トレンド・ミュージックを強く意識するようになり、
●エリック・クラプトン
●ピンク・フロイド
●ジミヘン
などを聴きに、クラブやコンサートに出かけるようになる。
同時に、米国のジェイムズ・ギャングのジョー・ウォルッシュ(現イーグルス)にも感化され、互いの楽器を交換したりセット・アップを教わったりしている。

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相変わらず使用ギター、
●フェンダー・ストラトキャスター
●フェンダー・テレキャスター
●フェンダー・エレクトリックXII
●フェンダー・ジャズマスター
は、ことごとくステージで破壊され、1960年代後期には、ギブソンSGのサウンドが気に入り、メイン・ギターとなるが、はやり破壊され続けた。
そんな中、手元に残されたヴィンテージ・ギターは、
●1957年製グレッジ6120チェット・アトキンス
●1953年製ギブソン・レスポール
●1950年代後期のギブソン・フライングVは、ジョー・ウォルッシュからもらったもの。
●ダンジェリコ・ニューヨーカー、アーチドトップ・ジャズ・ギターも所有していたが、これはボートを買うために売ったそうである。
使用弦は、1960年代はフェンダーのレギュラーセット、1970年代初期に例外的に「.022 .028 .028 .032 .044 .056」。1980年代にはアーニー・ボールの「.011〜.052」で、3弦にはプレーン弦を張っていた。

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アコースティックでは、
●ギブソンSJ-200
●タカミネのエレアコ
といったギターを好み、アーニー・ボールの「.013〜.056」を張っていた。

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なんといっても、右腕をぐるぐる回転させながら弾くウィンドミル(風車)と呼ばれる奏法が取り沙汰されることの多いピート・タウンゼントだが、ルート/5度音、ルート/5度音/ルートによる、パワー・コードを発明したり、フィード・バックのコントロールにいち早く取り組んだり、ピック・アップのセレクト・スイッチを素早く動かしマシン・ガンのような擬音を鳴らしたり、チューニングをわざと外したり、マイク・スタンドでネックを擦りノイジーなサウンドを鳴らすなど、創意工夫に溢れたギタリストでもあり、アップ・ダウンストローク・カッティングで、フラメンコ・スタイルの16分音符での3連符など、彼ならではのテクニックでもある。

1966年、ピート・タウンゼントの激しいステージ・パフォーマンスに巻き込まれて負傷した、ドラマー、キース・ムーンがバンド脱退をほのめかす。

1967年、ドラッグで告発、収監されたストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズのため、ストーンズの曲をレコーディング。その収益を二人の救済資金に提供する。

1969年、ロック・オペラ『Tommy』作曲。ウッドストック・フェスティヴァルに出演。


「トミー」オリジナル・サウンドトラック

1971年、ザ・フーの最も成功したアルバム『Who's Next』リリース。


ザ・フー/フーズ・ネクスト+7

1972年、初のソロ・アルバム『Who Came First』レコーディング。


ピート・タウンゼント/フー・ケイム・ファースト(スペシャルプライス盤)(CD)

1975年、映画ロック・オペラ『Tommy』が、ニューヨークでプレミア公開。この席でクラプトンが、ヘロイン中毒から再復帰するにあたり、力を貸してくれたピート・タウンゼントに謝意を述べた。


ロックオペラ「トミー」コレクターズ・エディション / ロジャー・ダルトリー

1978年、キース・ムーン死去。

1982年、ザ・フー解散。

前述したように、様々なトリッキー奏法はピート・タウンゼントが先なのか? はたまたジミヘンが先なのか? 気になるところである。
ピート自身のこんな談話もある。

「ジミヘンを聴いたときなんて、天にも昇る心地だったよ」(ピート・タウンゼント談)

残念ながら、真相は謎であるが、こんな談話もある。

「ギターを最初にフィード・バックさせたのは、絶対にピート・タウンゼントなんだ。彼がはじめたことが他の多くの連中、例えばベックやジミヘンなんかの功績になっちまってるのさ。ステージでギターをぶっ壊したのもピートが最初さ。もちろん彼のコードセンスも最高だよ」(リッチー・ブラックモア談)

ロック・マニアの間で、いつも囁かれることだが、日本でのザ・フーの知名度は極めて低い。だが、ザ・フー及びピート・タウンゼントを知らずして、ロックは語るなかれ、とあえて僕はいいたい!

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♪THE WHO 公式サイト



それでは、THE WHO、ピート・タウンゼントの動画をチェック♪
●The Who - Magic Bus
●The Who - I Can't Explain
●Pinball Wizard at Woodstock - The Who
●The Who - Baba O'Riley
●The Who - Behind Blue Eyes
●The Who - Wont Get Fooled Again
●The Who - Let's See Action (1974)
●Sheraton Gibson - Pete Townshend (Studio)
●Pete Townshend - Empty Glass (promo video)
●Pete Townshend - Rough Boys (promo video)
●Pete Townshend - Keep On Working (promo video)
●Pete Townshend - Let My Love Open The Door 1998
●Pete Townshend / The Who - Bargain
●English Boy-Pete Townshend
●Pete Townshend-Magic Bus





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テーマ:YouTube動画 - ジャンル:音楽

  1. 2008/03/04(火) 18:00:00|
  2. 大人のロック。
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ブラックストライプへようこそ!
ロックとロックな生き方を愛し、模索する1957年生まれ。
大人になれないオヤジのロック・レビューです。


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