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マディ・ウォーターズ/大人のギタリスト講座28。

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この“大人のギタリスト”シリーズで取り上げた、多くのギタリストたちが尊敬してやまないシカゴ・ブルースの父。
あのチャック・ベリーですら師と仰ぎ、ロックンロールの青写真的な、バンド・サウンドの骨格を築き上げた、マディ・ウォーターズの登場です。

「最初に意識したギタリストは、マディ・ウォーターズなんだ。まだガキだった頃、彼のレコードを聴いて死ぬほどショックを受けたのを覚えているよ」(ジミ・ヘンドリックス談)

「13歳のときに効いたマディの音楽で俺は開眼したんだ。とにかくシンプルで、ナチュラルで。俺はそういう、それ以外にないっていう音で弾くプレイヤーに共感しちゃうんだ」(スラッシュ談)

1915年、第一次世界大戦勃発直後の4月4日。
マディ・ウォーターズは、ミシシッピー州ローリング・フォークにて生を受けた。
1918年には、ミシシッピー・デルタ中央部、ブルースの故郷クラークスデールへ移住。
13歳でハーモニカを吹きはじめ、15歳のときには4人編成のポップスやヒルバリー、ブルースを演奏するバンドに参加していた。

1932年。
エド・ムーアから$2.50で買ったステラの中古ギターが、最初のギター。
手に入れたその日にそのギターで演奏し、50セントを稼いだといわれる。

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独学でコードを覚え、友人のスコット・ボハナンの演奏を見様見真似でいくつかのリード・パターンを覚えた。
後のロバート・ナイトホーク、オバート・マカラムのバンドでハーモニカを吹いたり、ゴスペル・グループで歌ったりしながら、ギターの腕を磨いていった彼はジューク・ボックスが設置されている安酒場の通称“ジューク・ジョイント”で演奏するようになる。

農場で働きながら貯めた金で、ブラインド・ブレイクブラインド・レモン・ジェファーソンブラインド・ボーイ・フラーチャーリー・パットンなどの78回転盤を手に入れ、コピーに明け暮れた。
地元のジューク・ジョイントで観たサン・ハウスの演奏に魅了され、スライド・ギターを伝授され、同時にデルタ・ブルース・スタイルのギタリスト&シンガーであったロバート・ジョンソンからも多大な影響を受けたとされる。

デルタ・ブルースの影響は、マディ・ウォーターズの最初のレコードに顕著である。それは1941年~42年に行われたアラン・ロマックス(米国の民俗音楽研究家)がセッティングした米国国会図書館資料用の録音であった。
しかし、このときギターを所有していなかった彼は、アラン・ロマックスのマーティンのフラットトップ・アコースティックを借りて演奏した。

1943年、イリノイ州シカゴへ移住。伝説のブルース・プレイヤー、ビッグ・ビル・ブルーンジーと出逢う。
同時に彼は、ビッグ・バンド・ミュージック、バラード・シンガーに触れ、シティ・ブルースの大御所、ロニー・ジョンソンタンバ・レッドにも出逢い、多くの影響を受けることとなった。

1944年29歳のとき、伯父から初めてのエレクトリック・ギターを手に入れる。それは当人も覚えていないような安物のギターだったが、結果的にシティ・ブルースとデルタ・ブルースを融合させたエレクトリック・スライド・ギター・プレイによって、彼独自のサウンド・スタイルを築き上げることとなった。

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1946年、レスター・メローズの誘いで、コロムビア・レコードから2度目のレコーディングを体験。
1947年、チェス・レコードで本格的なソロ・レコーディング開始。
1948年、“I Can't Be Satisfied”が、シカゴ及び南部でヒット。
1953年、“Hoochie Coochie Man”が、R&Bトップ10に長くランクイン。この頃からバンド・スタイルになる。
1955年には、彼のアドヴァイスを受けたチャック・ベリーが、デモ・テープをチェス・レコードに持ち込んでいる。
それがきっかけとなり同年5月21日、“Maybellene”を初レコーディング。
晴れて夏に、チャック・ベリーはデビューを飾っている。

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マディ・ウォーターズが、チェス・レコードからレコードを出した頃のギターは、シングル・コイル、ディアルモンド・PUを付けたアーチ・トップのフルアコのエレクトリック・ギターを使用。
さらにP-90シングル・コイル・PUを2個付けた1950年代初期のギブソン・レスポール・ゴールド・トップを入手。
1957年、マディ・ウォーターズのトレード・マークとなる、フェンダー・テレキャスターを入手。
以来、赤いリフィニッシュが施され、1990年代のフェンダー・アンプのノブに取り替えられ、ナットを持ち上げ、厚いネックに取り替えるなど、様々な改造を施しながら使い続けられた。

「厚いネックと分厚いサウンドには、密接な関係があるんだ」(マディ・ウォーターズ談)

そのフェンダー・テレキャスターを使って、ボトル・ネックのスライドを駆使し、多様なオープン・コードからなるメロディー・ラインに、自分のヴォーカルを重ねてプレイした。

「ギターとの間に会話があるんだ。俺たちはいつも一緒に喋っているのさ」(マディ・ウォーターズ談)

マディ・ウォーターズの使用弦は、ヘヴィ・ゲージ(高音E弦が、.012~)で、通常よりも弦高を高くセットしてあり、よりスムーズなスライド・プレイ・セッティングを実践していたといわれる。

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1983年、イリノイ州ウェストモンドにて68歳で死去するまで、精力的な活動を続けたマディ・ウォーターズは、ローリング・ストーンズエリック・クラプトンポール・ロジャース、ジョニー・ウィンターなど、多数のロック・ミュージシャンにリスペクトされ、その影響力はいまも計り知れない。

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♪動画をチェック!
●Rollin' Stone aka Catfish Blues
●Got My Mojo Working (1966)
●Hoochie Coochie Man, 1968
●Train Fare Home Blues, 1968
●Long Distance Call, 1968
●They Call Me Muddy Waters, by Muddy Waters live at Montreal
●Long Distance Call
●I Feel Like Going Home
●Muddy Waters & Johnny Winter - Going Down Slow
●Mannish Boy - Muddy Waters with The Rolling Stones
●muddy waters & clapton
●Paul Rodgers - Rock me baby ( muddy waters cover )





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  1. 2008/01/29(火) 17:33:06|
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スティーヴ・ハウ/大人のギタリスト講座27。

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英国を代表するプログレッシブ・ロック・バンドといえば以前にも紹介したイエス
イエスといえばギタリスト、スティーヴ・ハウにスポットを当ててみたい。

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1947年4月8日。
スティーヴ・ハウは、ノース・ロンドン、ハロウェイに生を受けた。
因に同年4月1日、日本では学校教育法が施行され六三制が始まり、英国では8月15日にインドとパキスタンが独立。そんな世相である。

幼い頃のスティーヴ・ハウは両親が所有した、マントヴァーニローレンス・ウェルクレス・ポールなどのレコードを聴いて育った。そして初めて自分で買ったのが、ビル・ヘイリーのレコードであった。

「まだロックンロールが産声を上げたばかりだったけど、ギターを弾きたいっていう強い気持ちに駆り立てられたんだ。それまでは家中をひっくり返し、両親を落胆させていただけの子供だったんだけど、自分でも気がつかいないワイルドな部分が自分の中からわき上がってきた感じだった」(スティーヴ・ハウ談)

1959年のクリスマス。
彼は両親から、念願のギター、fホールのアコースティック・ギターをプレゼントされる。そして、
●チャック・ベリー
●リンク・レイ
●ジョニー・キッド&ザ・パイレーツのミック・グリーン
●リッキー・ネルソンのバンドにいたジェイムズ・バートン
●カール・パーキンス
などなど、コピーに明け暮れる日々を送ることとなる。

この頃から、既にインスト・ナンバーを好み、サント&ジョニーのスティール・ギター・インスト“Sleepwalk”は、後にスティール・ギターをプレイするきっかけにもなった。さらにシャドウズの“Apache”も熱心にコピーした。

無論、上記ロックンロールのルーツでもある、ブルースにも夢中になった。
●ライトニン・ホプキンス
●ビッグ・ビル・ブルーンジー
●マディ・ウォーターズ
●バディ・ガイ
から、特に影響を受けたとされる。

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スティーヴ・ハウお得意のジャズ・アプローチは、兄からの影響で、
●バーニー・ケッセル
●ケニー・バレル
●ジャンゴ・ラインハルト
●タル・ファーロー
●チャーリー・クリスチャン
●ウェス・モンゴメリー
から、影響された。

1965年18歳の頃には、クラシックに目覚めヴィヴァルディに魅せられたという。
影響を受けたクラシック・ギタリストは、
●ジュリアン・ブルーム
●カルロス・モントヤ
●レオ・ブローザー(ブラジリアン・ギタリスト)
●カルロス・バーネル
●マーチン・シンプソン(ケルト系ギタリスト)

そんなスティーヴ・ハウであるが、譜面は読めないそうだ。
上記オール・ジャンルのプレイヤーから影響を受けながらも、テクニックよりはむしろフィーリングやトーンを学んだと語っている。

ジョージ・ベンソンより、ジョージ・ハリソンに共感するんだ。」(スティーヴ・ハウ談)

そして驚くことに、レッスンも一度も受けた経験がないという。

「ギターを弾く上で、自分の“好奇心”に勝るどんな教育も受けたことはないよ」(スティーヴ・ハウ談)

1964年、シンディ・カッツのシングル“Maybellene/True To Me”で、レコーディング・デビュー。
このとき使用したギターは、友人から買った日本製グヤトーンLG50だった。

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次に彼が手にしたのは、バーンズのジャズ・エレクトリック。
そしてロンドン楽器店セルマーで、新品のギブソンES-175Dを購入。
以後ほとんどのレコーディングに使用されたこのギターは、トーンを変えるためハムバッキング・リアPUを逆にして使う以外、ノーマル使用のままである。
使用弦はギブソンの「.012 .012 .015 .028 .044 .056」である。

「1971年にイエスと初めて全米ツアーに行ったときも、ES-175Dを恐れ多いと思っていた。まるで宝石が散りばめられた王冠を預かっているような気持ちで持ち歩いたよ。いまでもその気持ちは変わっていない。」

1966年、イン・クラウドで演奏開始。
1968年、キース・ウェストとトゥモローを結成。“My White Bicycle”がヒット。
しかし脱退し、新たにボーダストというバンドを結成。
1969年、P.P.アーノルドのギタリストとしてツアー、デラニー&ボニーの前座を務める。因にこのときのデラニー&ボニーのギタリストは、エリック・クラプトンであった。
1970年、ジョン・アンダーソン、クリス・スクワイアー、ビル・ブラッフォード、トニー・ケイのイエスに参加。
1971年、イエス『こわれもの/Fragile』発表。


イエス/こわれもの

それまでのイエスのギタリスト、ピーター・バンクスはロック・ギター・アプローチを信条としており、シンフォニック・サウンドの導入に否定的だったとされ、多種多様なジャンルのギター演奏を得意とするスティーヴ・ハウの参加により、イエスの表現性が拡大され、ムーグ、シンセサイザーを駆使するリック・ウェイクマンの加入とともに、バンドは大きな飛躍期に突入したのである。

前述のギブソンES-175Dもさることながら、イエスの輝かしい功績の中で、彼は100本以上の素晴らしいギターを収集している。
●ギブソン・スーパー400
●ギブソン・ES5スイッチ・マスター
●グレッジ6120
●ヘリテイジ・スウィート16
●ギブソン1971年製ES-345TD
●1980年代ギブソンESアーティスト
●リッケンバッカー360
●ギブソンEDS1275-6&12弦ネック
●ダン・エレクトロ12弦
●コラール・エレクトリック・シタール
●フェンダー・ラップ・スティール、デュアル6ダブル・ネック・スティール
ほか、ギブソン・レスポール、レスポールJrや1955年製フェンダー・テレキャスター、スタインバーガーGM4Tと、そのコレクションは多義に亘る。
弦はギブソン・ミディアム・ゲージを使用。

アコースティック・ギターでは、
●1953年製マーティン00-18
●オランダ製カスタム・メイド、Scharpach SKD
●マーティンJ12-65M
●ギルドF212CR-NT
●マーティンOM-45
●ギブソン・カントリー・ウェスタン
●ギブソンL-4C
●ギブソンL-5
●1973年製コーノNo.10(ナイロン弦)
●1976年製ホセ・ラミレス1Aフラメンコ・マスター(ナイロン弦)
弦はマーティン・ライト・ゲージを使用。

「スティーヴ・ハウのサウンドがなにかって聞かれたら、ES-175ってことになるかな。でも12弦のアコースティックもよく使うよ。結局、異なったものが出すノイズを集めたってことになるかな」(スティーヴ・ハウ談)

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ロック、ブルース、ジャズ、クラシック、カントリーと様々なジャンルから影響を受けたスティーヴ・ハウのギター・スタイルの特徴は、親指と人差し指でピックをはさみ、残りの指でフィンガー・ピッキングを駆使するもので、左手は開放弦やスタッカート、レガートなフレーズにプリングを取り入れるスタイルが特徴的である。また、開放弦をいくつか鳴らしたまま、それに関連したコード・スケールを下から上に上昇させながら、まるで12弦ギターのような響きを表出させるのも、彼ならではのスタイルである。

「流行りの音には興味はないな。常に僕はトラディショナルなギタリストだったからね。クラシックやジャズの影響も大きいけど、プレイ中になにができるかってことが大事なんだ。だから、僕の音はいつも同じようにできあがるとは限らない」(スティーヴ・ハウ談)

1980年、イエス脱退。
ジョン・ウェットン、カール・パーマー、ジェフ・ダウンズらとエイジアを結成。
いやあ、懐かしい!
当時のMTV人気にも乗り、大成功を収めた。


エイジア/詠時感~時へのロマン

以後、様々なプロジェクトに参加しながら、1988年にイエスの分家バンド、アンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ結成に関わり、紆余曲折を経て1996年イエスに再加入、現在に至るが、2006~2007年のエイジア再結成ツアーで
昨年来日。
近影は、異常ともいえるほど老けているが、精力的に活動を続けている。

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♪スティーヴ・ハウHP



それでは、動画をチェック!
●Beginnings 1975
●Clap
●Sketches in the Sun
●Mood for a Day
●yes - roundabout
●Yes - Siberian Khatru
●yes - and you and I
●yes - "Revealing Science Of God" (Part 1)
●yes - "Revealing Science Of God" (Part 2)
●yes - "Revealing Science Of God" (Part 3)
●yes - Ritual pt. 1 improved - 1975
●Asia - Heat Of The Moment
●Asia-OnlyTimeWillTell
●Asia - Sole survivor
●Asia - Don't Cry
●Asia - Wildest Dreams
●The Gates of Delirium (Soon the light)
●Cardiff 28 June 2006 YES Fragile





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  1. 2008/01/22(火) 16:19:50|
  2. 大人のロック。
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ライ・クーダー/大人のギタリスト講座26。

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2008年。
祝平成20年! 今年も我が道を行くべし!!

「映画『クロスロード』で一緒に仕事したんだけど、影響されたね。僕はどんどん音を出していく方だけど、ライは腰を降ろすと足でタップを踏むようにリズムをグルーヴさせるんだ。こっちは気恥ずかしくなってしまって……。この男はビートをきちんと心得た本物のソウルを持っている奴だって感じたね」(スティーヴ・ヴァイ談)

ライ・クーダーは、1947年3月15日、カリフォルニア州サンタモニカで生を受けた、現存するスライド・ギタリストの中で、最も評価されるミュージシャンである。

1951年、4歳で初めてシルヴァートーンのテナー・ギターを贈られ、10歳のときマーティン00-18を手に入れた。
最初に影響を受けたのは“禁じられた遊び”で有名な、スパニッシュ・ギタリストのヴィセンテ・ゴメスであった。

10代になった彼は、ホーム・タウンであるLAのフォーク・クラブ「アッシュ・グローヴ」に通い詰め、ドック・ワトソンスリーピー・ジョン・エステスジェシー・フラースキップ・ジェイムスミシシッピー・ジョン・ハートレヴァランド・ゲイリー・デイヴィスらのステージに夢中になる。
同時に彼等に、ことあるごとに、レッスンを願い出るようになり、まずゲイリー・デイヴィスから短い期間であるがレッスンを受けた。

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さらに、生涯を通じて常に大きなインスピレーションを、与えてくれるひとり、と評価するバハマ出身のブルース・ギタリスト、ジョセフ・スペンスから、オープン・チューニングを伝授される。
そんなライ・クーダーが、ハイスクールに進んだ頃には、アーサー・ブラインド・ブレイクのオープン・チューニング・フィンガー・スタイルの曲“Police Dog Bluse”をマスター。

そして、ジョン・ファーイーからスライド・ギターの手ほどきを受け、ブラインド・ウィリー・ジョンソンロバート・ジョンソンなどからも多大な影響を受けた。

1962年、15歳の頃にはLAのクラブで、ジャッキー・デシャノンとプレイ。
1965年、タジ・マハールとライジング・サンズを結成。
1966年、キャプテン・ビーフィートと活動。デビュー・アルバム『Safe As Milk』に共演。
1967年、タジ・マハールの最初のレコードでの、マンドリン・プレイが注目される。
1969年、ストーンズの『Let It Bleed』にセッション参加。ブライアン・ジョーンズの後任に誘われるが、性格の不一致から辞退。
1970年、1stソロ・アルバム『Ry Cooder』リリース。


[枚数限定][限定盤]ライ・クーダー・ファースト/ライ・クーダー[CD]

ライ・クーダーのオープン・チューニングは、オープンG(低音からD.G.D.G.B.D)、オープンD(低音からD.A.D.F#.A.D)を好んで使われるが、その演奏で12フレッド以降での演奏は皆無であり、それこそがライ・クーダーのオリジナリティでもある。

「12フレッド。そこを越えたら、もうごまかし以外の何物でもない。単なるショウマン・シップってやつだ。バカらしくて、ほとんど耳障りな世界さ」(ライ・クーダー談)

エレクトリック・ギターで、彼に影響を与えたのは、カーティス・メイフィールド&ポップス・ステイプルズであり、彼がメインに使うストラトキャスターは、ラップ・スティールから取り外したオアフのピック・アップと、テスコ・デル・レイのフロントPUが特徴的である。

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他のエレクトリック・ギターとしては、
●ダニー・ファーリントンのカスタム・メイド・ギター。
●1966年製ストラト。(フラットワウンドのミディアム・ゲージを装着)
●ギブソンES-335
●1964年製ストラト。(ローズ・プラッシッド・ブルーのローズ・ウッド・ネックに、リアにナショナル・ラップ・スティールのピック・アップを装着)
●1950年代ストラト。(メイプル・ネックで、レッド・ローズ・ヴェルヴェット・ハマーのピック・アップを装着)
●1960年代初期のフェンダー・ベースVI。(6弦ベースをオープンDチュ-ニングで使用)
●テスコ・デル・レイ。(トレモロ・アーム付き)
●グレッジ6120-チェット・アトキンス・モデル。
●ダンエレクトロ、ロングホーン。

アコースティック・ギターは、
●マーティンD-45。
●1956年製マーティン000-18。
●タカミネ、アーチドトップ・プロトタイプ。(ライ・クーダー・モデル)
●タカミネ、フラットトップのエレアコ。(ライ・クーダー・モデル)
●1930年製ギブソンL-5。(ロイド・バッグスのカスタム・メイドによるスキャロップが施されたカッタウェイ・フラットトップ)
●1930年代ロイ・スメック・ラジオ・グランデ。
●ギブソン、F-4。(マンドリン)
●メキシカン・バンジョー・セクスト。
●オルフェスのテナー・ギター。
●ギブソンのマンデラとマンドセロ。

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ライ・クーダーは、スライド演奏で自作のスライド・バーを使うが、ヴィネガー、シェリー、ワイン、ファインティング・コック・ケンタッキー・バーボン、オールド101といったボトルを素材にしている。

「ボトルネックってユニークなもので、フレッドで制限されないっていう部分で人間の肉声と同じなんだ。例えばブラインド・ウィリー・ジョンソンが凄い点は、歌うようなメロディをボトルネックでプレイしてしまったところにあるんだよ」(ライ・クーダー談)

米国ルーツ・ミュージックの発掘への貢献、映画音楽にも多数関わる、ライ・クーダーの活動は多義に渡る。

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2008年、ブラックストライプ弟一段、渋~いところからスタートです。
本年も、宜しくお願い申し上げます!



♪それでは、動画をチェック!
●Vigilante Man
●Do Re Mi
●Goin' To Brownsville
●He'll Have To Go
● Goodnight Irene
●Jesus On The Mainline
●Let's Have A Ball
●The Very Thing That Makes Her Rich
●Crazy 'Bout An Automobile
●Maria Elena
●How Can A Poor Man Stand Such Times And Live
●Wim Wenders / Paris, Texas / Trailer





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  1. 2008/01/08(火) 18:40:07|
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Author:noodles2
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ロックとロックな生き方を愛し、模索する1957年生まれ。
大人になれないオヤジのロック・レビューです。


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