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キース・リチャーズ/大人のギタリスト講座24。

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1943年12月18日。
英国ケント州ダートフォードにて、キース・リチャーズは生を受けた。

そしてこの日が、ブリティッシュ・ロック、いや四半世紀のロック史を名実ともに支え続けることになるザ・ローリング・ストーンズの輝かしい軌跡への旅立ちとなる記念すべき日となったことは、いうまでもあるまい。

前回はキース自身の言葉から、その人間性にせまったが、今回はギタリスト、キース・リチャーズに接近してみたい。

ギタリストであり、ヴァイオリンとサックスのプレイヤーでもあった祖父から、優良な音楽環境を提供されていたキースは、5歳の頃スクリーンの中のロイ・ロジャースに憧れ、遊び友達のミック・ジャガーに、ロイ・ロジャースみたいなギタリストになるんだ、と話していたという。

1956年13歳の頃、母親の援助を得て初めて手に入れたのが、ロゼッティ・スパニッシュというガット弦のアコースティックであった。
そして、この頃初めてロックン・ロールにも出逢っている。

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最初に覚えた曲は、エルヴィス・プレスリーの“That's All Right”であり、譜面など読めない彼は、クリフ・リチャードリッキー・ネルソンバディ・ホリー、といったギタリストのレコードを聴きながら、コピーに明け暮れた。
とりわけ、チャック・ベリーからの影響が大きく、
「チャックこそ俺のすべてだった。蒼臭いティーン・エイジャーだった俺に、絶対ギター弾きたいっ! といわせたのがチャック・ベリーだったのさ」と語っているほどだ。

1959年、シドカップ美術大学に進んだキースは、校内で自分以外のギター・プレイヤーから、ジャズ、ブルース、アメリカン・フォークと様々なジャンルの音楽に刺激を受ける。
ランブリン・ジャックウディ・ガスリーといったフォーク・アーティストや、ジョン・リー・フッカージミー・リードウィリー・ディクソンフレッド・マクダウェルブラインド・ウィリー・マクテルエルモア・ジェイムススリム・ハーポロバート・ジョンソンビック・ビル・ブルーンジーといったブルースマンを聴きまくり、マディ・ウォーターズが特にお気に入りだったという。

この頃、自らもバンド活動をはじめたキースに、リズム・ギター・スタイルを
植えつけたのが、エヴァリー・ブラザーズのドン・エヴァリーだったようだ。

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1963年、ミック・ジャガー、ブライアン・ジョーンズとザ・ローリング・ストーンズを結成。
バンド名は、敬愛するウォーターズの曲“Rollin' Stone”からとっており、後にストーンズは何度となくウォーターズのバックを務めている。

「もしも俺たちの力で誰かの興味をウォーターズやジミー・リード、ジョン・リー・フッカー、ハウリン・ウルフに惹きつけることができたら、俺らの仕事は成功したってことだ」(キース・リチャーズ談)

1963年、デッカ・レコードと契約。
1965年、“Satisfaction”が、全米・全英のポップ・チャートNo.1となる。
1967年、ドラッグ所持でミック・ジャガーとともに逮捕されるが、保釈金で釈放され訴訟の末、懲役を免れる。

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先述したように、ギターをはじめたころのキースはカントリー・ミュージックからの影響が多く、1968年にバーズ、フライング・ブリット・ブラザーズのグラム・バーソンズ出逢い、様々なプレイを学んだ。
とりわけ十八番のオープンGチューニングや、ナッシュヴル・チューニングをマスターし、アルバム『Sticky Fingers』の“Wild Horses”で披露している。

なんといってもキースの奏法でユニークなのは、6弦を外した5弦のオープンGコード(G、D、G、B、D、5弦→1弦)・チューニングで、“Brown Suger”“Honky Tonk Women”“Start Me Up”などが有名だ。
また、“Street Fighting man”“Jumping Jack Flash”では、オープンD(A、D、F# 、A、D、5弦→1弦)と、オープンE(B、E、G#、B、E、5弦→1弦)を使っている。

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ストーンズ結成の頃、エピフォングレッジギブソンらを好み、特にギブソン・レスポールを愛用していたが、1960年代後半からフェンダー・テレキャスターへと移行。現在までほとんど変わっていない。
メインはフロントにハムバッキング、リアにシングル・コイルの黒い1972年製テレキャス・カスタム。
その他にも、1950年代初期のブロンドのテレキャスも何本か所有し、フロントがギブソンPAFに交換されているものや、1967年製ローズウッド・テレキャス・サンバーストや、1957年製ブロンド・テレキャスはロン・ウッドから買ったものでお気に入りの一つだ。

ピックはアーニー・ボールのミディアム。弦もアーニー・ボール(.010~.046)のセットで、5弦で使うゲージは(.011 .015 .018 .023 .042)である。

ごく初期のアンプはハーモニーのものだったが、すぐにヴォックスに替わり、1970年代初期にはアンペッグV-4、後期にはフェンダーとメサ/ブギーのコンビネーションをアンペッグSVTにつないで使用。
ステージではメサ/ブギーのマークIIIサイマル・クラスと1957-フェンダー・ツイン、50Wマーシャル・スーパー・リード、それに1956フェンダー4×10ベースマンを通している。
スタジオでは小型、あるいは安物のアンプを使う主義で、フェンダー・チャンプやケイ、シルヴァートーンなどが使われるようだ。

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「バンドにキースさえいれば他の連中を聴く必要がないんだ。僕とキースのとこだけ決まればGOってことさ。彼とプレイするのって楽しいし、僕はただ彼のやることに着いていっているだけなんだ」(チャーリー・ワッツ談)

ワイルドで、ミスター・ロックンロールを地でいくようなキースだが、近年は自他ともに認めるマイホーム主義者だそうで、

「彼は自分を暴君みたいに考えるのが好きなんだ。でも本当のところは正直な話、ただの子猫ちゃんなのさ。ただいわれたとおりにやってるだけなんだよ」(ミック・ジャガー談)

本当のところはどうなのだろう?
ただ、彼のギター・アプローチは確乎たるものであり、

「ほとんどの連中はバンドってものをわかってないのさ。ミュージシャンっていうのは、バンドにいたら全体のサウンドをまず考えなきゃいけないんだよ。バンドってのはソロやエゴを見せびらかすところじゃないんだから」(キース・リチャーズ談)

と進言してはばからない。
ロックン・ロール、ブルース、カントリー、レゲエ、ファンクを取り入れたキース・リチャーズのサウンド・メイクへの飽くなき探求を見ても、ストーンを通じ40年余り、常にロックの王道を歩んできたキースの役割はあまりにも重要だ。

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最後に蛇足だが、Forbes.comによると、昨年6月から最も収入のあったミュージシャンは、“Bigger Bang”ツアーで4億3700万ドル(約502億円)の収益をあげ、その内8800万ドル(約101億円)を得たストーンズだったそうだ……。


♪キース・リチャーズ公式サイト


●The Rolling Stones - Paint It, Black

●Rolling Stones - Satisfaction

●The Rolling Stones-Wild Horses (Stripped)

●Rolling Stones "Brown Sugar"

●The Rolling Stones - Honky Tonk Women

●Rolling Stones - Start Me Up(1990 JPN Tour)

●The Rolling Stones - Street Fighting Man (1972)

●The Rolling Stones - Jumpin' Jack Flash

●ANGIE - THE ROLLING STONES / AJDA PEKKAN ® Community C.A.

●keith richards blues acoustic

●Norah Jones & Keith Richards - Love Hurts

●Keith Richards Dead Flowers live

●Keith Richards - Goin' Down

●Keith Richards - Somethin' Else

●Jimi Hendrix with the Rolling Stones (Long version)

●Keith Richards In Pirates of the Caribbean: At World's End.





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  1. 2007/10/23(火) 13:15:19|
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ウィッシュボーン・アッシュ/大人になれないオヤジのロック71。

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ウィッシュボーン・アッシュのデビューは1970年。

英国を代表するシン・リジィジューダス・プリーストアイアン・メイデンといったバンドにおける、ハーモニーで掛合うツイン・リード・ギターというスタイルが英国ロックの象徴的なスタイルだとすれば、正にハーモニー重視のツイン・リード・スタイルを開拓したのが、このウィッシュボーン・アッシュである。

HR/HMにおいて、2人のギタリストを有するバンドは数あれど、たいていはリード・ギターとリズム(サイド)・ギターというのが定番であった。
しかしウィッシュボーン・アッシュは、2人のギタリストが対等にインプロヴィゼーションを受け持ちながら、あるときはそれぞれのギターがメロディ&ハーモニーを奏で、ドラマティックな哀愁を演出するという独特のスタイルを打ち出した。

1960年代、誰もが憧れたブリティッシュ・ヒーロー、シャドウズに憧れ、イングランドの地方都市トーケイで生まれ育ったマーティン・ターナーは、15歳で弟のグレンと友人を誘ってトリオ編成のターナー・ブラザーズを結成した。
因に弟とコイン投げで負け、マーティン・ターナーはベース担当としてスタート。

1966年ドラマーの脱退に伴い、シャドウズに憧れるスティーヴ・アプトンが加入。ここでバンド名をエンプティ・ヴェッスルズと改め活動。ツエッペリンの前座などを務める。

1969年、タングルウッドとバンド名を改め、ロンドンを目指す。
ヤードバーズのキース・レルフのバンドの前座を務めた際、彼等のパフォーマンスに感動し、マネージャー役を買ってでたのが、後に音楽ビジネス・シーンで手腕を発揮するマイルス・コープランドである。

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そうこうするうちに、弟グレン・ターナーが故郷に戻ることとなり、バンドはギタリストとキーボーディストひとりずつを募集。
だがオーディションで、バーミンガムのブルース・バンドでギターを弾いていたテッド・ターナー(偶然の同姓)と、やはりシャドウズがきっかけでギタリストを志し、ブルースやソウル・バンドで活動していたアンディ・パウエルが最終選考に残り、両人とも採用してしまう。

1969年11月、こうしてリード・ギタリスト2人を有する4人編成のウィッシュボーン・アッシュがスタートした。
バンドは、良家の子息だったマイルス・コープランドのロンドン郊外の自宅でデビューを控え、練習を積んでいた。
そんな中、アンディ・パウエルがソウル・バンドで経験したホーン・セクションとギターの絡みを意識した、独特なツイン・リード・ギター・スタイルを確立していく。


光なき世界


巡礼の旅+1


百眼の巨人アーガス

マイルス・コープランドの尽力により、ロンドンはもとよりパリでも顔見せ興行を行う。その最中、サウンド・チェックのセッションを共にしたリッチー・ブラックモアの口利きでプロデューサーのデレク・ローレンスと知り合い、『光なき世界(Wishbone Ash)』で英米同時デビューを果たす。

デビュー早々に、『メロディ・メーカー』誌の最優秀新人に選出され、翌1971年のセカンド・アルバム『巡礼の旅+1(Pilgrimage)』発表。

そして、70年代英国ロックの名盤とされるサード・アルバム『百眼の巨人アーガス+1(Argus)』と、デレク・ローレンスのプロデュースのもと、益々ツイン・リードに磨きがかかっていくのである。

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さすがに僕もアルバム所有はないのだが、当時のメディアで体験したツイン・リード・ギターの衝撃は今も鮮烈な記憶として残っている。
これを機に、皆さんも是非元祖ツイン・リードを体験してみては、いかがだろうか。



●Wishbone Ash - Jailbait 1971

●Wishbone Ash - Warrior - 1973

●Wishbone Ash - Blowin' Free - 1973

●Wishbone Ash - Where Were You Tomorrow - 1973

●Wishbone Ash- Time Was

●Wishbone Ash Persephone

●Wishbone Ash- Warrior (live at Rockpalast)

●Wishbone Ash - Lorelei

●Wishbone Ash - The King Will Come

●Standing in the Rain - Wishbone Ash

●Wishbone Ash - Run Away

●Wishbone Ash - Errors of my Way - 1997

●Wishbone Ash - Real Guitars Have Wings - 1997

●Wishbone Ash - Top of the World - 1997

●Wishbone Ash - No Joke





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  1. 2007/10/16(火) 20:52:07|
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ジェネシス/大人になれないオヤジのロック70。

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ツェッペリンの天才ドラマー、ボンゾことジョン・ボーナムの死が、バンドの終章(コーダ)だった。
バンドにおいて中心となるメンバーが欠けることは、生命線を断たれることに等しい重要な問題である。
クイーンにおいては、フレディ・マーキュリーだった。

直接、中心メンバーの死が原因とならなくても、その損失から活動停止にかるのが普通である。
ところがリーダーが辞めるたびにメンバーも減り、次なる新しいリーダーが立ち、バンド・コンセプトを維持しながら音楽性を微妙に変え、永らくロック・シーンで弟一線を張り続けているのがプログレッシブ・バンド、ジェネシスである。

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1969年のデビュー作『創世記(From Genesis To Revelation)』から、1974年の7枚目『眩惑のブロードウェイ(The Lamb Lies Down On Broadway)』までは、ピーター・ガブリエルが主導だった。

最初のメンバーは、
ピーター・ガブリエル - Vocals/Flute/Perc.
トニーバンクス - Key
マイク・ラザフォード - Bass
アンソニー・フィリップス - Guitar
ジョン・シルバー - Drums

童話やLSD体験から、妄想するピーター・ガブリエルの音楽性をバック・アップするために他のメンバーがおり、その表現性の向上に務めたメンバーのテクニックもアルバムを重ねるたびにレベル・アップしていった。
実際、1973年6枚目の『月影の騎士(Selling England By The Pound)』では、インスト・パートが大幅に増えている。

『眩惑のブロードウェイ(The Lamb Lies Down On Broadway)』の頃、腕を上げ、それまでピーター・ガブリエルのサポート役に甘んじていたメンバーは、次第に自己主張するようになり、結果ピーター・ガブリエルは脱退してしまう。
当時のメンバーは、ピーター・ガブリエルの奇妙なステージ・パフォーマンスと衣装に注目が集まることが不愉快となり、このアルバムのテーマにも共感できなかったと語っている。

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残された4人のメンバーは、フィル・コリンズをヴォーカルに充てることで、解散の危機を乗り越える。
トニーバンクス - Key
マイク・ラザフォード - Bass
スティーヴ・ハケット- Guitar
フィル・コリンズ - Drums/Vocals

第二期ジェネシス時代の幕開けである。
ピーター・ガブリエル在籍時から、バッキング・ヴォーカルで見事に歌い上げていたフィル・コリンズがリード・ヴォーカルに起用されたのはごく必然的なことだったという。

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だが、1977年『静寂の嵐(Wind And Wuthering)』で、魅惑的なギター・プレイを開花させたスティーブ・ハケットが、そのことで自信の方向性を見いだし、バンドを脱退。
その逆境を逆手にとったのが、1978年『そして3人が残った(...And Then Three Ewre Three...)』である。
残った3人(バンクス、コリンズ、ラザフォード)は、スティーブ・ハケットの穴を埋めるべくソロ・パートを少なくし、リズムを強調することで、プログレ的な要素を押さえながらポップ路線へと移行し、フィル・コリンズが嗜好していたモータウンの要素を取り入れたのだ。
結果、アルバムは全英3位、全米14位の大成功を収める。

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リズムを強調し、ポップ路線へと突き進み、フィル・コリンズのユーモラスなパフォーマンスで80年代MTV時代に見事にマッチしたジェネシスであったが、フィル・コリンズ主導のバンド・スタイルとフィル・コリンズのソロ活動とのあいだに大差がなくなっていく。
1996年には、ジェネシスであることに意味を失ったフィル・コリンズは脱退する。

以来現在までの第三期ジェネシスのリーダーは、トニー・バンクスである。
メンバーは、
トニーバンクス - Key
マイク・ラザフォード - Bass/Guitar
レイ・ウィルソン - Vocals

トニー・バンクスの音楽性は、叙情的なプログレ路線でありながら、適度なポップ感にあり、MTV人気に乗り“Mama”“That's All”などがシングル・ヒットした1983年発表の『Genesis』あたりにあるという。

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僕が所有しているジェネシスのアルバムは、第一期では、
1971年『怪奇骨董音楽箱(Nursery Cryme)』
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1974年『眩惑のブロードウェイ(The Lamb Lies Down On Broadway)』
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第二期、
1978年『そして3人が残った(...And Then Three Ewre Three...)』
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1980年『Duke』
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1981年『Abacab』
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1983年『Genesis』
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ぐらいのものであるが、いまこうしてジェネシスの来歴を辿ると、改めてバンドの音楽生の変遷が伺え、また違った魅力を放ちだす。


●Genesis - The Knife

●genesis - The Musical Box

●Genesis - Supper's Ready (Part (I)

●Genesis - I Know What I Like (In Your Wardrobe)

●Genesis - Los Endos

●Genesis - Your Own Special Way

●Genesis-Follow you folow me

●Genesis-Misunderstanding

●Genesis - No Reply At All

●Genesis - Mama (Full music video)

●GENESIS - That's All

●Genesis - Invisible Touch (HQ Sound)

●Genesis - Hold On My Heart (Live)

●Genesis - Calling All Stations (Live)

●Genesis - Congo (Live)






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  1. 2007/10/09(火) 12:00:00|
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ボブ・ディラン3/大人になれないオヤジのロック69。

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前回は、ボブ・ディランがエレクトリック・ギターを抱え、ロック路線に踏み入れた(回帰した)あたりまでを検証しました。

1966年『ブロンド・オン・ブロンド(Blonde On Blomde)』で、“雨の日の女”“女の如く”“アイ・ウォント・ユー”と、珠玉の名曲をヒットさせ、プロテスト・ソングの旗手から見事に転身を計ったのもつかの間、アルバム発売2ヶ月後にさらなる転機を余儀なくされる出来事が起こってしまう。

1966年7月29日、ウッドストックの自宅近くのソトリーベル・ストリートで、バイク事故を起こす。スリップ事故で横転し、幸い軽傷で済んだが事故を起こしたことによる精神的なショックから、約1年間に渡り自宅に隠遁してしまったのだ。怒濤のコンサート活動とドラッグ浸けの生活に疲れていたディランにとって、休養と音楽性を見つめ直す良い機会を得ることとなったのである。

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大学時代のウディー・ガスリーとの衝撃的な出逢いから、猛スピードで疾駆し続けたディランにとって、事故により様々な事象が見えはじめたことは想像に難しくない。1965年に結婚したサラ・サウンズとのあいだには子供もできていた。
事故という出来事により、自らの死生観が芽生えたのか、家族との時間を大切にし、近隣に移り住んできたザ・ホークスのメンバーと農家の地下を改造。そのリハーサル・スタジオ(ビック・ピンク)で、連日ザ・バンドらとセッションを繰り返すようになる。

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【CD】ボブ・ディラン /地下室(ザ・ベイスメント・テープス)<199212/2>

1975年発売の『地下室(The Basement Tapes)』は、1967年6月~11月にビック・ピンクでのセッションを記録したものである。
トラディショナル・ソング、ロックン・ロール、ブルースと、より自らのルーツを深める作業が繰り返される。

一年間の隠遁から、ふっきれたボブ・ディランは以後、怒濤の創作活動を展開する。
1968年『ジョン・ウェズリー・ハーディング(Jhon Wesley Harding)』では、ウディー・ガスリーへの敬愛が凝縮された枯れた魅力を放ち、翌年1969年『ナッシュヴィル・スカイライン(Nashville Skyline)』では、しゃがれ声を捨て、明朗に歌いあげる試みで話題となった。


《送料無料》ボブ・ディラン/ジョン・ウェズリー・ハーディング(CD)


【送料無料選択可!】ナッシュヴィル・スカイライン / ボブ・ディラン

1970年『セルフ・ポートレート(Self Portrait)』では、ゴードン・ライトフッドサイモン&ガーファンクルといったカヴァーを含む異色のアプローチを見せ、後半にはザ・バンドとの69年ワイト島でのライブ音源も収録されている。

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そのわずか4ヶ月後、早くも『新しい夜明け(New Morning)』リリース。


【CD】ボブ・ディラン /新しい夜明け<1991/12/1>

1971年には、親友ジョージ・ハリスンの要請でマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたバングラデシュ難民救済コンサートに出演し、久々にシーンにその勇姿を披露し話題となった。

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精力的なアルバム発表で、自らの音楽生を試行錯誤していたディランは、ザ・バンドとともに新たなる地平へと船出する。
コロンビア・レコードを離れ、デヴィッド・ゲフィンが起したアライサムと契約。
1974年『プラネット・ウェイブス(Planet Waves)』発表。初のビルボードNo.1アルバムとなる。
同時に8年ぶりとなる北米ツアーを敢行し、その模様は1974年『偉大なる復活(Before The Flccd)』として収録。

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《送料無料》ボブ・ディラン/ザ・バンド/偉大なる復活(CD)

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そして、忘れもしない1975年。
『血の轍(Blood On The Tracks)』発売。


ボブ・ディラン/NICE PRICE!: 血の轍(CD)

このアルバムで、再びコロンビアへ戻り、より内省的に愛を語る。
これは僕が18歳のとき、初めて自分の金で買ったディランのアルバムでもある。
『ブロンド・オン・ブロンド』のサウンドと『ナッシュヴィル・スカイライン』の透明感を併せ持つこのアルバムも、ビルボードNo.1アルバムとなるが、「なぜ、このような暗いアルバムが好かれているのか理由がわからない」と、ディラン本人は述べている。
当初ミネアポリスで録音されたこのアルバムは、リリース直前にディランがストップをかけ、ミック・ジャガー立ち会いのもとにニューヨークで半数が録り直されている。

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僕は、ボブ・ディランの最高傑作のひとつとされるこのアルバムを、毎日のように聴きまくった。
3年後の1978年、上京して20歳になった貧乏浪人生だった僕は、必至で金策し武道館へ向かった。
ボブ・ディランにとって12年ぶりとなるワールド・ツアーのスタートに日本武道館が選ばれたのある。

しかし、『偉大なる復活(Before The Flccd)』から見られた、変幻自在な大胆なアレンジにより、お馴染みのナンバーがことごとくサビのリフレインにならなければ認識できないという事態に見舞われ、憧れのボブ・ディランを前にして感無量となれずじまいだったことが、今も悔やまれてならない……。



●Bob Dylan - I Pity the Poor Immigrant (Hard Rain 1976)

●Bob Dylan & Johnny Cash / Girl From The North Country

●Lay Lady Lay, Bob Dylan

●Belle Isle - Bob Dylan

●Bob Dylan - She Belongs To Me

●Bob Dylan - Wigwam

●If Not For You - Dylan/Harrison Duet

●Bob Dylan - Forever Young (live)

●Bob Dylan-Tangled Up In Blue

●Bob Dylan - Simple Twist of Fate (1975)

●Bob Dylan - You're A Big Girl Now - 1988

●Bob Dylan - Idiot Wind (1976-Hard Rain)

●Lily, Rosemary, and the Jack of Hearts

●Bob Dylan - If You See Her, Say Hello - 1994 Nashville

●Shelter from the Storm

●Buckets Of Rain

●mick jagger and bob dylan-live





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  1. 2007/10/02(火) 18:30:23|
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