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ブルー・オイスター・カルト/大人になれないオヤジのロック64。

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以前、ヘヴィ・メタルという形容が、ジューダス・プリーストをして……。
と書いたが、実は初めてヘヴィ・メタルという形容を用いられたバンドが存在する。

ブルー・オイスター・カルト(1967~1986年)である。

あのキッスがデビュー時、ブルー・オイスター・カルトの前座を務めたほどのビッグ・バンドであるが、日本での知名度は極めて低いのではないだろうか?

ブルー・オイスター・カルトの前身バンド、ソフト・ホワイト・アンダーベリーは、1967年にニューヨークで結成された。
最初期からマネージメントを担当したサンディ・パールマンは詩人でもあり、そのオカルト的な詩世界は、バンドの曲や世界観に決定的な影響を与え続けた。

・エリック・ブルーム(Vo,G)
・ドナルド・ローザー(G)
・アラン・レニアー(Ke)
・ジョー・ブーチャード(B)
・アルバート・ブーチャード(D)

結成当時、シスコ・サウンドが全盛だったアメリカでは、彼等のサウンドは異端扱いを受け支持されなかった。
それでもエレクトラ・レコードと契約し、レコーディングにこぎ着けるも日の目を見ず、試行錯誤が続く。

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1972年、バンド名をブルー・オイスター・カルトに改名。CBSレコードと契約。
待望のデビュー・アルバム『ブルー・オイスター・カルト(Blue Oyster Cult)』発表。

1973年、2ndアルバム『暴虐と変異(Tyranny and Mutation)』発表。
しかし、ごく一部の評価にとどまる。

1974年、3rdアルバム『オカルト宣言(Secret Treaties)』で、アメリカン・チャート・トップ40にチャート・イン。
これを機に、大規模なツアーを敢行。ブルー・オイスター・カルトの名は一気に全米に浸透することとなった。

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ライブでのパフォーマンスが評価された、彼等の真価を詰め込んだ1975年、2枚組ライブ・アルバム『地獄の咆哮(On your feet or on your knees)』で、彼等の人気は不動のものとなり、“ニューヨークの狂気が生んだヘヴィ・メタル・ロックの王者”とまで評された。

1976年、『タロット占い(Agents of Fortune)』からのシングル“死神((Don't Fear) The Reaper)”は、全米チャート・ベスト10内にランク・イン。アルバムはゴールド・ディスクを獲得。

1977年発表の『スペクターズ(Spectres)』では、それまでの破壊的なサウンドから、ポップ&メローなサウンド指向へ転換し、より多くのファン層を獲得する。

1978年、ライブ・アルバム『暗黒の狂宴(Some Enchanted Evening)』、翌年5月に初来日。アルバムはプラチナ・アルバムを獲得した。

1979年『ミラーズ(Mirrors』は、重さに欠けるサウンドで不評を買った。

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1980年代に入ると、折からのヘヴィ・メタル・ムーブメントに乗り、プロデューサーにマーティン・バーチを迎え、『カルトザウルス・エレクタス(Cultosaurus Erectus)』を発表。
当時、ブラック・サバスのマネージメントも兼任していた、サンディ・パールマンが画策したマーティン・バーチの起用は見事に成果を上げ、ブルー・オイスター・カルトはイギリスでも成功を収めることとなった。

1981年、前作の成功から再びマーティン・バーチを起用し、アルバム『Fire of Unknown Origin』を発表。シングル“Burnin' for you”が全米トップ40入りを果たす。

1982年、『Extraterrestrial Live』を発表。

1983年、プロデューサーにブルース・フェアバーンを迎え、アルバム『The Revolution by Night』発表。

僕が持っているアルバムは、
・1974年『オカルト宣言(Secret Treaties)』
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・1976年『タロット占い(Agents of Fortune)』
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・1981年『Fire of Unknown Origin』
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である。
ジャケット・デザインやバンド・コンセプトとは裏腹に、実はかなり聴きやすいバンドである。ただ、歌メロが独特でヴォーカルのエリック・ブルームの声質といい、オカルティックな雰囲気が漂い、ハマると病み付きになるバンドなのだ。



●Blue Oyster Cult - Hot Rails to Hell

●Blue Oyster Cult - Don't Fear the Reaper

●Burnin' For You - Blue Oyster Cult

●Godzilla - Blue Oyster Cult

●Veteran of the Psychic Wars - Blue Oyster Cult

●Blue Oyster Cult - Hungry Boys

●Joan Crawford - Blue Oyster Cult

●Take Me Away - Blue Oyster Cult

●Astronomy - Blue Oyster Cult

●Blue Oyster Cult - Fire Of Unknown Origin


●Blue Oyster Cult - Mirrors

●Blue Oyster Cult - Dancin' in the Ruins

●Hear n' Aid- Stars





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  1. 2007/08/28(火) 20:30:14|
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カルロス・サンタナ/大人のギタリスト講座23。

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盆明け、都会にはまた人々が集まってきました。
いよいよ、秋の気配漂う今日この頃ですが、まだまだ暑いです!

暑いといえば、熱いラテン・フレイバーをブルース、ジャズ、ロックに昇華させ、1969年のウッドストック・フェスティバルで衝撃的なデビューを果たした伝説のギタリスト、カルロス・サンタナにスポットをあててみたいと思います。

「カルロス・サンタナは、僕のリストの上位にランクされるけど、ピュアな精神性と情緒性からいったら、彼がナンバー・ワンだよ」(エリック・クラプトン談)

1947年7月20日、メキシコ、オートランテ・デ・ナヴァロにて、カルロス・サンタナは生を受けた。

カルロスが5歳のときに、マリアッチ・バンドのヴァイオリニストだった父ホセ・サンタナは、彼にヴァイオリンを教えはじめた。
だが、ベートーヴェンやヴォン・スッペの“詩人と農民の序曲(Poet and Peasant Overture)”といったクラシック・ミュージックの練習は、幼いカルロスには退屈なものだったという。

そんなカルロス少年が、父親が所有するナイロン弦のアコースティック・ギターへと興味が移るまでさほど時間はかからなかった。父や兄から教わったメキシカン・フォーク・ソングの基本コードでの練習に明け暮れ、譜面は読めなかったが、『スケールとメロディの法典』といった音楽理論書を何冊も読みふけった。

1958年11歳のとき、ティファナでボビー・ブランドレイ・チャールズB.B.キングリトル・リチャードなどのコピー・バンドを観てロックン・ロールに目覚める。
この頃、父親はカルロスに最初のエレクトリック・ギターを贈っている。
カルロス・サンタナの朧げな記憶によれば、それはギブソンの古いフルアコ・ボディのギターだったとされる。

1962年、サンフランシスコに移住。
ここで白人ブルース・アーティスト、ポール・バターフィールドやクリームの音楽を知ることとなり、特にクリーム『Fresh Cream』から多大な影響を受けた。
さらに、マディ・ウォーターズリトル・ミルトンオーティス・ラッシュジミー・リードといったトラディショナル・ブルース・アーティストや、ジェイムズ・コットンリトル・ウォルタージュニア・ウェルズなどのハーモニカ・プレイヤーにのめり込み、近年で最もカルロスに影響を与えているブルース・ギタリストは、スティーヴィー・レイ・ヴォーンである。

1960年代後半、カルロス・サンタナはジャズに傾倒するようになる。
ジョン・コルトレーンチャールズ・ロイドマッコイ・タイナーセロニアス・モンクマイルス・デイヴィスジョン・ハンディーなどのジャズ・プレイヤー、ウェザー・リポートザ・クルセイダーズなどのジャズ・バンドを好んで聴いた。

またジャズ・ギタリストでは、チャーリー・クリスチャンジャンゴ・ラインハルト、実際にクラブへ足を運んで聴いたウェス・モンゴメリーハーヴィー・マンデルも彼をジャズの虜にした。

1966年24歳のとき、フィルモアでポール・バターフィールドを観て、知り合いだったキーボード奏者のグレッグ・ローリーと最初のバンド、カルロス・サンタナ・ブルース・バンドを結成。この頃、1963年製ギブソンSGを使っていた。
蛇足ながら、1973年にはカルロスに見いだされたニール・ショーンとグレッグ・ローリーがジャーニーを結成することとなる。

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1968年、『The Live Adoventures of Mike Bloomfield And Alkooper』で、レコーディング・デビュー。
この頃には、1968年製ギブソン・レスポールを入手。

1969年、コロンビア・レコードと契約。
デビュー・アルバム『Santana』をひっさげて、ウッドストック・フェスティバルに登場。このときLSDによりトリップ状態だったことを、後年告白している。
ここでの使用ギターは、60年代後期と思われるギブソンSGだった。

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1970年代初頭、トーン・バリエーションを得るための6ポジションからなるロータリー・スイッチをマウントしたギブソンL-6Sを使用。
後年、ヤマハと契約したカルロスは、複雑なカスタム・インレイが施された、2ハム・バッカー・ピック・アップ、ダブル・カッタウェイのソリッド・ギター、ヤマハSG-2000を使うこととなる。

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1970年代後期になると、ジョン・マクラフリンジョージ・ベンソンパット・マルティーノを好んで聴くようになる。

1973年、伝道師スリ・チンモイのスピリチュアル・ライフを実践。ジョン・マクラフリンとのコラボ『Love Devotion Surrender』発表。

「神から授かったものを、自分のサウンドや個性にすることに、相変わらず苦労しているけど、常に自分を超越したところに置くことができれば、何をプレイするかなんて関係なくなるんだ」(カルロス・サンタナ談)

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カルロス・サンタナにはヴォーカルをフィーチャーしたヒット曲が多いが、これはジョニー・マティスアレサ・フランクリンディオンヌ・ワーウィックマーヴィン・ゲイなどのレコードに合わせて弾き、ヴォーカル・ラインを自分のプレイに写し取る訓練を積んだ成果である。

「アレサ・フランクリンを聴くと、出てくる音がそりゃ凄くて、全身に鳥肌が立つほどカッコいいんだ」(カルロス・サンタナ談)

また、ロック・アーティストからの影響はほとんどないが、ビートルズヤード・バーズ、エリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックスは唯一の例外だったとされる。

カルロス・サンタナといえば、ラテン、アフロ・キューバン・リズムのテイストが欠かせない。これはガボール・ザボや、ブラジルのギタリスト、ボラ・セテ、フラメンコ・ギタリストのパコ・デ・ルシアといったスパニッシュ・ギタリストや、ボブ・マーレーからの影響が強いという。

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1980年代、ポール・リード・スミスの1979~1981年製造のギブソンPAFハムバッキング・ピック・アップ搭載モデルを使うようになる。
使用ピックは大型の三角形のものを好み、 使用弦は1970年代後半には「.008 .011 .014 .024  .032 .042」のゲージを使用。1980年代からは、アーニー・ボール及びダダリオの「.009~.042」のセットを使っている。

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このように彼の音楽には、ソリッド・ボディーのデュアル・ハムバッカーから得られる分厚い、サスティーンの効いたサウンドが欠かせない。
メロディアスなシングル・ノート・ラインからつぐみ出される、メロディのストーリー性を強調する彼のプレイは、ペンタトニック・マイナー、ブルース・スケール、ダイアトニック・モード、ドリアン・モードを基調としながら、ハーモニック・マイナー・スケール、アルペジオ的なメジャー・トライアドを駆使し、ジャズ・サックスのフィーリングも垣間見せてくれる。

そして特筆すべきは、ときに1分にも及ぶサスティーンである。

「まず、自分とアンプをつないでいるヘソの緒を探すことさ。弦を弾いたらすぐに自分とスピーカーの間の音波を感じて、それをキャッチする。ちょうど2台の列車を連結するみたいにね」(カルロス・サンタナ談)

最初のレコーディングでは、フェンダー・ツイン・リヴァーブが使われたが、それ以前の使用アンプは残念ながら詳細は証されていない。
1970年代中期には、兄の薦めでメサ/ブギーを使いはじめる。

「兄のホルヘが、このアンプ試してみろよって持ってきたんだ。使ってみたら気が狂ったみたいにサスティーンが効くし、音はピュアだし、それ以来兄貴に返すのはやめたよ」(カルロス・サンタナ談)

またステージでは、ディストーションを効かせたバッキング用に、マーシャル100Wを使うこともあり、ヘッドはアルテック12インチ・シングル・スピーカーを入れた背面開放型の小型キャビネットで鳴らしている。

「小道具(エフェクター)って、みんな同じサウンドになってしまうだろ? そんなものじゃなくエモーションが全てを生み出す源なんだ」(カルロス・サンタナ談)

そう公言してはばからないカルロス・サンタナの数少ないエファエクターには、アイバニーズもしくはボスのコーラスと、モーリーのワウ・ペダルというシンプルなものである。

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親日家として知られる彼は、日本との関わり、エピソードも数多い。
あの高中正義もカルロス・サンタナの熱狂的な支持者で、高中もヤマハSG-2000を使用し、1981年には高中・サンタナのジョイント・コンサートも開催された。

また、初来日公演の模様が1974年『ロータスの伝説』として発表され、このアルバム・ジャケットは、カルロスが“魂の兄弟”と敬愛する、横尾忠則氏デザインによる22面に及ぶ驚異的なものである。
世界的なヒットを記録した“哀愁のヨーロッパ”が収録された1976年の名アルバム『アミーゴ(Amigos)』のアルバム・ジャケットも横尾忠則のデザインであった。

 
【送料無料】サンタナ/ロータスの伝説


サンタナ/「アミーゴ!」同胞

僕にとってカルロス・サンタナといえば、なんといっても1970年発表の『天の守護神』からのシングル“ブラック・マジック・ウーマン”である。
当時ライブで聴いたというより、フリートウッド・マックのピーター・グリーン作詞・作曲のこのカヴァーは世界的なヒットもあって、いまだにローテーションされる名曲である。
ラテン特有の打楽器をメインにしたアレンジ、キーボードの効果的なグルーブ、そして独自のタメが印象的なカルロスのギター・ソロ!

カルロス・サンタナは、ロック史上に“ラテン・ロック”という新たなる境地を築いたギター・ヒーローである。



●Santana - Soul Sacrifice (Woodstock 1969)

●Carlos Santana-Black magic woman

●SANTANA - Treat (1970)

●Carlos Santana - Song of the Wind

●Incident at Neshabur

●Oye Como Va - Carlos Santana Chester Thomson

●Santana - Hold On

●SANTANA & JOHN McLAUGHLIN

●Carlos Santana & Los Lonely Boys

●Carlos Santana - Maria Maria

●Santana & Clapton - Jingo

●Carlos Santana & Jeff Beck! Live in Japan!

●Santana - Europa (Live in Tokyo, 1991)

●Carlos Santana & Steven Tyler - Just Feel Better

●Carlos Santana & Mana





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  1. 2007/08/21(火) 19:10:39|
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フォリナー/大人になれないオヤジのロック63。

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さて、大人のギタリスト講座でお勉強疲れの向きもあるやも知れないので、お盆休みを兼ねて、ここらでフォリナーでも聴きながら一服しませんか?

フォリナーは、ボストン、ジャーニーに並ぶアメリカン・プログレ・ハードに位置付けられる“産業ロック”の代名詞的な存在である。

結成は、1976年。
スプーキー・トゥースのミック・ジョーンズと元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルドが中心となり結成された。
英国人と米国人が混在したことから“フォリナー(外国人)”と命名され、スーパー・グループ誕生として、当時おおいに話題となった。

●ミック・ジョーンズ/ Guitar, Piano, Keyboard & Backing Vocal(英国出身)
●エド・ガリアルディ/ Bass & Backing Vocal(米国出身)
●イアン・マクドナルド/ Guitar, Keyboard, Saxophone, Flute & Backing Vocal(英国出身)
●アル・グリーンウッド/ Keyboard(米国出身)
●ルー・グラム/ Vocal & Percussion(米国出身)
●デニス・エリオット/ Drums (英国出身)

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基本的にフォリナーは、曲作りも含めミック・ジョーンズが中心であり、バンドは度重なるメンバー・チェンジを繰り返しながら、ミック・ジョーンズを核として今もなお現役である。

バンドのピークは、
1977年『栄光の旅立ち(Foreigner)』全米4位。
1978年『 ダブル・ヴィジョン(Double Vision)』全米3位。
1979年『ヘッド・ゲームス(Head Games)』全米5位。
1981年『4(4)』全米10週連続1位。
であり、僕は81年の『4(4)』をきっかけに、1st~3rdまで買った覚えがある。

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巨大産業ロック・バンドの証として、ビッグ・ヒット・シングルが目白押しで、
・Feel Is Like The First Time:衝撃のファースト・タイム(1977年6月18日付・全米4位)
・Cold As Ice:つめたいお前(1977年10月22日付・全米6位)
・Hot Blooded:ホット・ブラッディッド(1978年9月9日付・全米3位)
・Double Vision:ダブル・ヴィジョン(1978年11月18日付・2週連続全米2位)
・Urgent:アージェント(1981年9月5日付・全米4位)
・Waiting For A Girl Like You:ガール・ライク・ユー(1981年11月28日付・10週連続全米2位)
書いているだけでも、懐かしさに感極まる!
それほど当時は、いたるところでフォリナーの曲が聴こえていたのだ。

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1984年『プロヴォカトゥール(Agent Provocateur)』全米4位からの、シングル“I Want To know What Love Is:アイ・ウォナ・ノウ”はMTV人気も手伝い、悲願のシングルチャート全米No.1(2週連続)を獲得。それまで6週連続No.1を記録していたマドンナの“ライク・ア・ヴァージン”を引き摺り下ろして全米No.1獲得であった。

フォリナーといえば、なんといってもバラードの名曲が挙げられるが、アイ・ウォナ・ノウなどのビッグ・ヒットのプレッシャーから、バラード・バンドへ変化していくことに躊躇したボーカルのルー・グラムはミック・ジョーンズとそりが合わなくなり90年に一度脱退している。

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ボストンのときにも書いたが、僕は産業ロックが嫌いではない。
ギターを弾き曲を書いて、売れたいからプロになるわけで“産業ロック”を揶揄したら、プロ・ミュージシャンとして本末転倒である。
当時のヒット・チャートは洋楽人気もあり、邦楽とはジャンルが別れていた。
現在のオリコン・ランキングなぞ、J-POPが84.1%を占め、洋楽はわずか11.6%といったシェアである。
1960年代のR&B、1970年代のロックと団塊の世代は洋楽から多くの影響を受けてきた。その団塊ジュニアやそのまたジュニアは、日常、必然的に良質な洋楽に馴れ親しんで育つことになる。
だからいまの若い世代が創り出す音楽は、血の中にポップ、ロックといったセンスが既にあるわけで、J-POPは洋楽から培われた日本の新しいポップ・ロック・ジャンルといえる。
そう、皮肉なことにいまやJ-POPこそ、巨大産業ビジネスなのだ!

先日、急逝された阿久悠氏の名言。
「歌はいつ聴いても、その時代を映し出していなければならない」

ポップ・ロックの先駆フォリナーのヒット・ソングは、いまも色あせることなく、僕に当時の葛藤や甘酸っぱい思い出を喚起させる。

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●Foreigner - Feels like the first time

●Foreigner - Cold As Ice -- [STEREO]

●Foreigner - Hot blooded - Live

●Double Vision

●Foreigner - Head Games

●Foreigner - Urgent --- [STEREO]

●Foreigner - Waiting for a girl like you - Live

●Foreigner - I wanna know what love is video

●Jukebox Hero

●Foreigner - Starrider - Live

●Foreigner URGENT Live 2007, Las Vegas
















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  1. 2007/08/14(火) 12:56:58|
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ジョー・サトリアーニ/大人のギタリスト講座22。

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「ジョーは、これ以上ない完璧な先生なんだ。彼は教えることの意味をちゃんと心得ていたし、基礎から全てを教えてくれたんだ。彼は僕にとって、最大なんて言葉じゃいいあらわせない、影響そのものだったんだ」(スティーブ・ヴァイ談)


あのスティーブ・ヴァイ、メタリカのカーク・ハメットも師と仰ぐジョー・サトリアーニ大研究!

60年代はデュアン・エディ、70年代にはジェフ・ベック、80年代以降のギター・インスト・ヒーローは紛れもなくジョー・サトリアーニである。

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ジョー・サトリアーニは1956年、米国ニューヨーク州ロング・アイランドに生を受けた。母と二人の姉妹はピアノを弾き、その姉がギターでフォーク・ソングを楽しむ音楽一家に育った彼も、正式なレッスンは受けなかったが、ピアノに親しんだ。

1964年、8歳のときテレビのエド・サリヴァン・ショウに出演していたビートルズを目撃し、ドラムを叩きはじめる。ご多分にもれずストーンズにも夢中になったジョー・サトリアーニであったが、最も衝撃を受けたのはジミ・ヘンだった。

1970年9月18日、ジミ・ヘンの死を知った14歳の彼はドラムをやめギターを弾く決心を固める。同年タルサスというバンドを結成。
10代の頃、聴き漁ったのはレッド・ツエッペリンジミー・ペイジ、ブラック・サバスのトニー・アイオミ、クリームのエリック・クラプトンジョニー・ウインタージェフ・ベック、後のイーグルスのジョー・ウォルッシュだった。

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最初に手にしたギターは、トレモロ・テイル・ピースがついたハグストロームIIIで、次に1954年製フェンダー・テレキャスター。以後、数々のギブソン・レスポールやテレキャスターを手にしている。

高校時代には、ビル・ウェスコットの音楽クラスを選択。
モード、スケール、読譜などを学び、エリック・サティバルトークショパンヘンデルハリー・パーチなどの色々な作曲家についても学び、フランク・ザッパにも強い影響を受けた。
因にこの頃の、ジョー・サトリアーニは1日13時間の練習を日課とし、20歳になるまでそれを続けたといわれる。

1975年、ジャズ・ピアニストのレニー・トリスターノにつき、音楽理論を学ぶ。
1976年、ダンス・バンド、ジャスティスとともに国内ツアー。
1977年、カリフォルニア州バークレーに移住。

ウェス・モンゴメリーにも強い影響を受け、アル・ディメオラアラン・ホールズワースジョン・マクラフリンといったフージョン系のギタリストも好んで聴いた。
さらに、70年代以降のジェームス・ブラウンスライ・ストーン、新しいところではプリンスデ・ラ・ソウルとのセッションにも関わったファンク・ミュージックやジョン・フリッカーといったブルース、アラビア、日本、中国など西洋音楽以外からの影響や、ZZトップギャング・オブ・フォーといった70年代後期から80年代のニュー・ウェイブ、ニルヴァーナ、ニッキー・スコペリティス、アージ・オーヴァー・キルと、とてつもなく幅の広い音楽に接してきている。

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完璧な音楽理論と、幅広い音楽性、卓抜したテクニックから繰り出されるジョー・サトリアーニのプレイは、正に変幻自在である。
従来のマイナー・ペンタトニックやブルース・スケールにも、彼独自の追加音が加えられるし、ドリアン・モードによるソロ・フレーズ、エオリアン、リディアン、ミクソリディアン、フリジアンといったドミナント系モードにも精通している。
また彼ならではの変則的なモードに、「ルート、♭2nd、メジャー3rd、♯5th、♯6th、メジャー7th」という謎めいたものがあり、“The Enigmatic”で確認することができる。
作曲の才能も郡を抜いていて、トラディショナルなロックのコード進行を完全に無視した上で、リフ、アルペジオ、リズムが構築されたハイ・クオリティなメロディと叙情性を併せ持つ。
アコースティック・プレイでは“Frying In A Blue Dream”の、オープンF「C、F、C、F、A、C低音から高音へ」や、リズム・プレイではナッシュヴィル・チューニングを使ったり、Dディミニッシュ・チューニングなど多彩なアプローチが光る。

1980年代に、レラティヴィティー・レコードとの契約に伴い、アイバニーズと契約。
80年代終わりには、フロイド・ローズ・スタイルのヴィブラート・テイル・ピースとディマジオPro151、アル・ディメオラ・モデルのハムバッキング・ピック・アップを搭載したアイバニーズ540・ラディウスをたった2本のスプリングで使用。
 1990年代には、バズウッド・ボディにアイバニーズのトレモロ・ユニット、ディマジオ・PAFプロとフレッドのハム・バッキングをマウントした、アイバニーズJS-6ジョー・サトリアーニ・モデルも発表された。

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アコースティックでは、スティール弦のヤマハAPX、同じくスティール弦のアイバニーズN800TBエレアコ、ギブソン・チェット・アトキンスCEエレクトリック・クラシック・ギター、ドブロ・リゾネイター、「F♯、B、E、A、C、E低音から高音へ」チューニングのディーリング・6弦バンジョーなど。
ピックはヘヴィ。スライド・バーはガラス製のものを使用し、弦はダダリオXL-120ストリングの.0095~.044ゲージ。

これらのギターを駆使し、5フレッドから12フレッドまでカヴァーするワイドなリーチによる流暢なアルペジオや、さらにこのリーチでハンマリング・プリングによる流れるようなレガート・フレージング・テクニックを編み出した。
彼の変則的なテクニックでは、“The Snake”に見られる3弦を1・2弦の上につまみ上げ、フレッドに向かって擦りつけるトレイン・サウンドも画期的である。

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「なんでもお決まりのやり方で事が運びそうなとき、たいてい別なアプローチを試みたくなるんだ。それは怖いもの見たさでもあり、たいていは良い結果につながるんだよね。一発勝負にかけることって重要だよ」(ジョー・サトリアーニ談)

ジョー・サトリアーニはこれまで様々なマーシャル・アンプを使ってきている。
トッド・ランガー改造による1968年製100Wスーパー・ベース・ヘッド、1969年製100Wスーパー・リード・ヘッド、1979年製100WマークIIヘッド、1980年代ジュピリー・シリーズ・モデル、1992年6100BK-30周年記念100Wヘッドや、12インチ25Wセレッション・スピーカー内蔵アンプに4×12キャビネットをつないでいる。
ステージでは、マーシャルからのシグナルをメサ・ブギー・ストラテジー500パワー・アンプでブーストして鳴らし、レコーディングでは、フェンダー・プリンストン・リヴァーブ、ソルダーノ・アンプ・ヘッド、メサ・ブギー・デュアル・レクティファイアー、ピーヴィー5150、ローランド・JC-120、マット・ウェルズが組み立てた17Wアンプ・ヘッド。

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さらに、、メサ・ブギー・クアッド・プリアンプ、チャンドラー・チューブ・ドライヴァー、トム・シュルツのロックマンなども使用。
1996年頃、イーヴン・タイド・DSP-4000、Degi-Teckスマート・ピッチ・トランスポーター、クライ・ベイビー・ワウ・ペダル、ボスDS-1ディストーション、CE-2コーラス、OC-2オクターヴァーといったエフェクト類を使用。

「ソロ・テクニックが凄いっていわれるより、絶対に忘れられないソロだっていわれるほうが嬉しいけど、まあそれも一つの栄誉だよね」(ジョー・サトリアーニ談)

僕が初めて聴いたジョー・サトリアーニのアルバムは、彼の出世作にもなった1987年『サーフィン・ウィズ・ジ・エイリアン/Surfing With The Alien』だった。とりわけバリバリのロックでもなく、フュージョンでもないアプローチだが、その壮絶なテクニックに圧倒されたものだった。
実際、彼がステージ上でいつもサングラスをかけているのは、眼を閉じて演奏しているのを観られるのが恥ずかしいからだという。
詰まり、ネックや弦をほとんど見ないて演奏しているのだ!
凄過ぎる……。

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●Joe Satriani - Always with me, always with you

●joe satriani - the extremist

●joe satriani

●joe satriani -surfing with alien

●Joe Satriani - Great Lesson on Guitar Modes Part 1

●Joe Satriani - Great Lesson on Guitar Modes Part 2

●Joe Satriani - lesson

●Joe Satriani On Picking

●Joe Satriani Surfing Lesson 4 (Solo)

●Summer Song (Joe Satriani)

●joe satriani - until we say goodbye live in san francisco

●Joe Satriani - Satch Boogie

●brian may & steve vai, joe satriani, neil murray, cozy powel

●Joe Satriani - Midnight

●up in flames by joe satriani- From G3 2005 live in tokyo





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Author:noodles2
ブラックストライプへようこそ!
ロックとロックな生き方を愛し、模索する1957年生まれ。
大人になれないオヤジのロック・レビューです。


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