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アンディ・サマーズ/大人のギタリスト講座21。

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「彼のプレイは、ロック・バンドにおけるギタリストの役割を再認識させたね。彼はできるだけ多くの音楽スタイルや影響を引き出しすことに意識しながら、単にソロ・プレイヤーのバッキングに徹していたそれまでのリズム・セクションのコンセプトを拭い去ろうとしてるんだよ」(ラルフ・デンヤー談)

レゲエのリズムにパンクのエナジーを合わせ、ポップ・ミュージックへと進化させたザ・ポリスのアンディー・サマーズの功績は大きい。
そして、意外にもそのキャリアは永い……。

アンディー・サマーズは、1942年12月31日、英国イングランド、ランカシャー州ブラックプールで生を受けた。
幼くしてピアノを習い始めた彼は、1957年、14歳までギターを手にしたことはなかったという。

「14歳のとき、ギターをもらったんだ。それからは突然なにかに取り憑かれたようだったよ。とにかくいつもギターを手元において、朝から晩まで弾いていたんだ。」(アンディー・サマーズ談)

1957年に同じくギターを弾きはじめたのが、後のキング・クリムゾンロバート・フリップであり、その後も二人の交遊は続くこととなる。
それにしても、僕が生まれた年に偉大なギタリスト2人が初めてギターを手にしたかと思うと感無量である。

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アンディー・サマーズは、熱烈なジャズ・ファンであった兄の影響で、多くのジャズ・ミュージックと親しむことになる。

「あまりにもジャズばかり聴いて育ったので、16歳になる頃の僕の存在理由は、州に一回ジャズ・クラブで演奏すること、になってしまったくらいさ!」(アンディー・サマーズ談)

彼が最初に影響を受けたのは、ジャンゴ・ラインハルトの“Nuages”だった。
さらに、バーニー・ケッセルウェス・モンゴメリージョー・パスやジャズ・ギターの探求者ラリー・コリエル、サックス・プレイヤーのチャーリー・パーカーなども好んだ。

1960年代初期、ハンク・マーヴィンのギターをフィーチャーしたシャドウズの曲を覚えたことで、米国のR&Bに目覚めた。

1964年まで、マジェスティック・ホテルの専属バンドに入り、ロバート・フリップと交代。
1966年にズート・マニー&ザ・ビッグ・ロール・バンドに加入。“The All Happening Zoot Money's Big Roll Band At Klook's Kleek”でレコード・デビューを果たす。
このバンドは、R&Bに感化されたオリジナル曲やオーティス・レディングレイ・チャールズジミー・スミスのカヴァーをプレイしていた。
アンディー・サマーズが、ジェイムズ・ブラウンのバンドでプレイしていたジミー・ノートンに強く影響されたリズム・ギター・スタイルを開発していたのもこのバンドで活動していた頃だった。
1967年、ジャズ・ロック集団ソフト・マシーンのレコーディング・セッションに参加。
1968年、エリック・バートン&ザ・アニマルズのツアーに短期間参加。
1960年代末期、イングランドで開催されたジミ・ヘンドリックスのコンサートを目撃。

「凄く感動したよ。完璧にハマってしまった」(アンディー・サマーズ談)

そして、1970年代初めまでロスに移り、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校に入り、クラシック・ギターを専攻。
ここでハーモニー、作曲、指揮、音楽理論を学び、ベーラ・バルトークメシアンシェーンベルクストラヴィンスキータケミツといった作曲家に親しんだ。
また、インド、中東の音楽にも感化され、実際シタールを4年間習い、ギターでヴィラヤット・カーンのソロのコピーを試みた。
後のソロ・アルバム『The Golden Wire』で、その影響が伺える。

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1975年、ジョーン・アーマトレイディングのアルバム『Back To The Night』で、プレイ参加。
1976年、デイヴィッド・ベッドフォードのアルバム『Odyssey』に参加。同年デイープ・パープルのキーボード奏者ジョン・ロードのアルバム『Sarabande』にも参加。

1977年、スティング(B)、スチュアート・コープランド(D)のザ・ポリスに参加。
(※ザ・ポリスの来歴はここで)

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14歳でギターを弾き始め、その後60年代にアンディー・サマーズがどんなギターを使っていたかは、残念ながら不明である。
ザ・ポリスに加入してからは、1963年製フェンダー・テレキャスター・カスタムがメイン・ギターとなり、フロント・ピック・アップにギブソン・ハムバッカーと、組込み式のオーヴァードライブ・ユニットがマウントされていた。
またサブ・ギターとして、1961年製フェンダー・ストラトキャスター、ヘイマーのプロト・タイプを使用。

ザ・ポリス解散後のソロ活動では、1952年製ギブソン・レスポール・ゴールド・トップ、ギブソンES-335、色々なタイプのスタインバーガーを使用。
ヘッドレス・ネックに、トランス・トレムのトレモロ・ユニットを搭載したスティーブ・クライン制作のスタインバーガー・スタイルのカスタム・エレクトリック・モデルもよく使われた。

アコースティックでは、ギブソン・チェット・アトキンス・エレクトリック・クラシックドブロのリゾネイター・ギター、ギブソンB-25フラット・トップ、ギルドの12弦、D-28などのマーティン製ギターを数本所有。

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特にお気に入りだったのは、アンドリュー・マンソン製作のカスタム・メイド・アコースティックである。
ピックは2種類を使い分け、リードやシングル・ノートでは、小型のダンロップ・ジャズII、バッキングでは薄型の通常の大きさのものを使用。
弦は、ディーン・マークレーの「.010~.046」のセットを使用。

アンディー・サマーズの幾重にも音を紡いでいくスタイルに刺激された、ザ・ポリスのメンバーは、レゲエ、ポップ、パンクという異質な要素を合体させるという革新的なスタイルで、1980年代初期にはバンドの頂点ともいえる歴史的名作『Synchronicity(シンクロニシティ)』を世に送り出す。


ザ・ポリス/シンクロニシティー

ザ・ポリス時代の彼の演奏は、音数は少ないが絶妙な構成によるバッキング・ワークを追求。リズム・プレイヤーとして認知されているが、ソロ活動ではロバート・フリップとの共演他、単なるサポート役にとどまらない才能を垣間見せてくれる。

ザ・ポリス時代、リズム・ギターでは、add9、sus4、add11といった構成音の一部だけを使ったコードやトライヤドで特徴をつけ、1~3弦だけでメジャー・コードをヴォイシングしたり、ベーシストの弾くルート音だけ省いてフル・コードのサウンドを出すという試みをした。また、5度コード、ルート-5th-9thなどインターバルでそのままコードになってしまう単純な5度音の積み重ねなども好んだ。
レゲエからの影響として、4分音符、2分音符、全音符などの間隔で一貫して強いアクセントをおいたり、“見つめていたい”や“孤独のメッセージ”などに見られる効果的なアルペジオ・パターンも彼の個性的な演奏となっている。

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ソロ・パートは短く簡素であったが、マイナー・ペンタトニック・スケールを基盤に、パンク・ロックの“音数の少ない豊かさ”に固執した抑制からくるもので、トリオ編成の隙間を分厚く音で埋め尽くすことをせず、逆に独自の緊張感を創り出すことに成功した。その独創的なスタイルは、同じくトリオ編成であるラッシュのギタリスト、アレックス・ライフソンにも多大な影響を与えたとされる。

アンディー・サマーズのテクニックで、変化に富んだ音色を織りなすエフェクト類のクリエイティブな使い方は秀逸である。
歯切れの良いクリーン・トーンから、分厚いうねりのあるトーンを演出するためコーラスやフェイズを効果的に使用し、シンプルなラインやコード・パターンをカウンター・リズムとして取り入れ複雑化させるためエコー・プレックスやデジタル・ディレイを巧みに使い分けた。
それらは、ピート・コーニッシュが製作したペダル・ボードに集約され、MXRフェイズ90、エレクトロ・ハーモニクスのフランジャー、MXRディストーション+、ミュートロンIII、コンプレッサー、アナログ・ディレイなどがセットされていた。
そして、異なったディレイにセッティングした2台の真空管エコープレックスを使用。

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「ギター・シンセは、曲を書くにはもってこいの楽器だね。シンセのサウンドからピュアな刺激を受けることが多いことに気づいたんだ。」(アンディー・サマーズ談)

ローランドのギター・シンセサイザー、GL-500、GR-300、GR-700といったシステムも彼にはなくてはならないものだった。

「俺はいつもシリアスなミュージシャンだったけど、それは務めたわけでもなく、ごく自然にそうなったんだ。何故なら音楽を愛していたし、プレイし続けるために音楽の知識にも飢えていたからね」(アンディー・サマーズ談)

アンディー・サマーズほど、一見控えめに見えて細やかで、実は大胆なテクニックとエフェクトの使い手は稀であろう。しかし、彼はこうも語っている。

「テクニックなんて、音楽における一手段に過ぎないし、他に何の意味もないんだ」(アンディー・サマーズ談)

お決まりのソロ・パートで、大股を広げ、歯を食いしばってトリルを連発する方法論をど返しした、ロック・ギタリストである前に一流の音楽家であらんとするアンディー・サマーズの想像した、ロックの意味は重要である。

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2007年現在、ザ・ポリス復活。
アンディー・サマーズは健在だ!



●Roxanne/The Police

●The Police - Message in a Bottle

●The Police - So Lonely

●The Police - De Do Do Do, De Da Da Da

●THE POLICE - SPIRIT IN THE MATERIAL WORLD - LIVE CHILE 1982

●The Police - Walking on the Moon

●The Police - Every Little Thing She Does Is Magic

●The Police - Every Breath You Take

●The Police - Synchronicity II

●Robert Fripp & Andy Summers - I Advance Masked

●Andy Summers 1987

●Andy Summers Guitar Lesson-Roxanne

●Fender® Frontline Live from Winter NAMM 2007:Andy Summers(2)

●Andy Summers-Afro Blue

●Andy Summers Interview

●Andy Summers - Guitar Lesson

●The Police in Vancouver - King of Pain2007





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  1. 2007/07/31(火) 18:12:59|
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デュアン・エディ/大人のギタリスト講座20。

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ギター・インストの達人デュアン・エディは、チャック・ベリーと並び、ロック・シーンの最前線にギターを押し上げた一人である。

レコード売上は全世界で、6000万枚以上。
彼ほど、ギター・インスト・ナンバーをヒットさせた男はいない。
おそらく、貴方の知っている曲も必ずあるはず。
いにしえのギタリストが続きますが、今回も一緒に学びましょう。



「ロックン・ロールにおいて、全面にギタリストがクローズ・アップされた走りがデュアン・エディだった。俺にとってのロックン・ロールは、すべてデュアン・エディとともにはじまったんだ」(ジョン・フォガティー/CCR談)

デュアン・エディは、1938年4月26日、ニューヨーク、コーニングに生を受けた。
5歳のとき、父親からいくつかのコードを教わり最初にギターで習った曲は“Wildwood Flower”だったという。それは父の所有したマーティンのアコースティック・ギターだった。

やがて、ニューヨーク生まれだった彼は地元ラジオのみならず、ウエスト・ヴァージニア、シンシナティ、ナッシュビルといった遠い局から届くカントリー・ミュージック番組に夢中になる。
好きだったアーティストは、ロイ・ロジャースジーン・オートリーといった、歌うカウボーイたちで、映画の中でギターを演奏する彼等の虜になる。

そして、父からケイのアコースティック・ギターをプレゼントされ、9歳の誕生日には叔母がラップ・スティールをプレゼントした。

デュアン・エディは、10代でバンドを組み、カントリーやロカビリーのヒット曲をカヴァーしていた。この頃、彼がよく聴いていたのは、チェット・アトキンスマール・トラヴィス、グレイディー・マーチン、レス・ポール、スティール・ギターのジェリー・バードだった。

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1948年10歳で初めて、地元のラジオ曲から“Missouri Waltz”という曲を、ラップ・スティールで演奏した。

1953年、15歳の誕生日には1952年製ギブソン・レスポール・ゴールド・トップをプレゼントされる。
同時にアル・カッシーのバンドのギタリストとして、地元のクラブ・シーンで活動。
50年代半ばにはジャズにも傾倒し、バーニー・ケッセルハワード・ロバーツジャンゴ・ラインハルトなどを好んで聴いた。

この頃、譜面が読めなかった彼は、ジミー・ワイブルからレッスンを受ける。
当時のバンド・メンバーだったアル・キャセイも彼の演奏に幅をもたせる手助けをした。
50年代終わりにはブルースにも興味を持ち、B.B.キングの“Three-30-Blues”を、自らのヴァージョンでレコーディングしている。
トランペットのルイ・アームストロングなど、ギター以外のミュージシャンたちからも多いに影響を受けた。

1956年、デモ・テープだった“Soda Fountain Girl”と“I Want Some Lovin' Bady”を初めてシングル・カット。
そして、1952年製ギブソン・レスポールを、ディアルモンド・ピック・アップとビグスビー・のテイル・ピースがついたグレッジ6120チェット・アトキンス・モデルに交換。

1958年、デュアン・エディのプロデューサー、リー・ヘイゼルウッドが、低音弦でメロディーを弾くアイデアを授け、何か人と違うことをしたいという彼も多いに触発され、やがて数々の名曲を世に送りだすことになる。
“Rebel Rouser”、“Detour”など、彼のビッグ・ヒット曲の多くは4本の低音弦を使い、メロディにそった簡単なメジャー・スケールでシングル・ノート・ラインを演奏するというスタイルだった。

「簡単なことをやるほうが、トリッキーなことをやるより難しいときもあるんだぜ」(デュアン・エディ談)

「ソロを弾こうと思ったこともあるけど、自重したんだ。何か抜けた穴を残したほうが全部埋めてしまうより効果的だからね」(デュアン・エディ談)

音数が少なくわかりやすいデュアン・エディの曲は、彼の思惑通り聴く人の気持ちをひきつけ1960年には、英国ニュー・ミュージック・エクスプレス誌の人気投票で、エルヴィス・プレスリーフランク・シナトラを抜きナンバー・ワンの座に輝く。

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デュアン・エディのもう一つのトレード・マークは“ブーン・ブーン・トーン(トワンギー)”と呼ばれるトーンで、2つのピック・アップの中間かネックに近いほうでピッキングし、リア・ピック・アップだけを使いながら、正確なピッチ・コントロールによるトレモロ操作によって残響を効果的にいかしたものだった。

1960年代はじめ、ギルド社は彼のグレッジによく似たデュアン・エディ・モデルを作り、以来ステージではギルド、レコーディングにはグレッジと使い分けるようになる。
弦は、「.011、.017、.020(巻弦)、.034、.044、.054」。
ピックはマンドリン・スタイルの小さなものを好んだ。
最初のレコーディングに使用したアンプは、バディ・ホイーラーとディック・ウィルソン・マグナ・トーンで、15インチのジャンセン・スピーカーはJBLスピーカーとツイーターに交換、出力は100Wにブーストされていた。

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1950年代後半には、フェニックス在住のトム・ハワード・マコーミックが彼のために作ったカスタム・ハワード・マコーミックを使用。(このアンプは現在ライ・クーダーが所有している)
1970年代には、JBLを搭載したストランプを使用。
1980年代になって、フェンダー・ショウマンのソリッド・ステイトを使った。
トワンギー・トーンは、アンプのトレブル・トーンをフル・アップし、ベースを下げながら必要に応じてミドルをベストなところに調整。
よりパワフルなトレモロやリヴァーブを得るために、初期のレコーディングでは2100ガロンも入る巨大な水槽の中にスピーカーとマイクを設置した。

「家で弾いているとき、よくアンプのトレモロをオンにして、ベースでデュアン・エディの真似をしたものさ。彼の影響は大きいよ」(ジョン・エントウィッスル/ザ・フー談)

1950年代におけるシンプルでメロディックなロックン・ロール・ギター・インストゥルメンタルの草分けだった彼のスタイルは、1960年代、ベンチャーズシャンティーズといったサーフ・ミュージックの若手ギタリストを多いに刺激した。

「サーフ・ミュージックって、ちょうど息子の成長を見守っているいるようなものだった。スタジオ・ミュージシャンたちが、デュアン・エディをプレイしようって解説付きのスコアをよく手にいれたもんだって、話してくれたよ」(デュアン・エディ談)

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1963年の“Boss Guiter”のメジャー・ヒット後、シーンから遠ざかるが、P.F.スローンB.J.トーマスエミルー・ハリスウェイロン・ジェニングスフォリナー、ヴェンチャーズなど様々なミュージシャンのアルバムにゲスト参加。
1986年、イギリスのアート・オブ・ノイズがデュアン・エディ本人を迎えて“Peter Gunn”をカヴァーしたことで、再び話題となった。

翌87年には、ポール・マッカートニージョージ・ハリスンジェフ・リン、ジム・ホーンらがバッキングを担当してデュアンの復活作『Duane Eddy』が制作される。

有名なビーチ・ボーイズの“Surfin' USA”のイントロは、デュアン・エディの“Moovin' N' Groovin'”をリスペクトしたものであることを付け加えておこう!

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●Duane Eddy - Rebel Rouser

●Duane Eddy - 40 Miles of Bad Road (1959)

●Duane Eddy - Shazam

●DUANE EDDY / HONKY TONK / THREE-30-BLUES

●Duane Eddy - Forty Miles of Bad Road - music only

●Duane Eddy - Freight Train

●Duane Eddy - 'Cannonball Rag' (1975)

●DUANE EDDY PETER GUNN

●Duane Eddy Talks About His Guitar Heroes

●Duane Eddy Meeting B.B. King





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  1. 2007/07/24(火) 12:37:10|
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アルバート・キング/大人のギタリスト講座19。

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エリック・クラプトンスティーヴィー・レイヴォーンマイケル・ブルームフィールドジミ・ヘンドリックスにまで敬愛され、模倣されてきたロックの元祖。

名前こそ知っていても、さすがに僕も聴いたことがありません。
しかし、ロック、R&B、ソウルといった異質な音楽を融合させた先駆として、また上記アーティストたちのへの影響力など、知らずに通り過ぎるわけにはいきません。
是非、一緒に勉強してみましょう。

「アルバート・キングはスタンバってヒートしたアンプさえあれば、エディ・ヴァン・ヘイレンだって吹っ飛ばせるぜ!」(ジョー・ウォルッシュ/イーグルス談)

アルバート・キングは、1923年4月25日、米国ミシシッピー州インディアノーラに生を受けた。
義父のウィル・ネルソンの影響で、音楽に親しむ環境で育った。
だが、その義父が弾くギターに興味を抱いても、ギターにさわることは許されなかった。
1929年、6歳になった彼は壁にレンガを貼付け、ワイヤーを張ったものを使ってギターまがいに弾きはじめたという。

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アルバート・キングが、初めてブルースに出逢ったのは、アーカンソー州フォレスト・シティの公園での、ブラインド・レモン・ジェファーソンのステージだった。
衝撃を受けた彼は、その後ピアニストのメンフィス・ミーニーのショーを観るべくクラブに潜り込んだ。
そうしてブルースにのめり込んだ彼は、ライオニン・ホプキンス、ロニー・ジョンソンエルモア・ジェイムスハウリン・ウルフサニー・ボーイ・ウイリアムソンなどのレコードを聴き漁るようになる。

聴けば聴くほどにブルースに魅了された彼は、シカゴ・ブルースのリトル・ウォルター、デルタ・ブルースのサン・ハウス、カンサス・シティ・ブルースのビッグ・ジョー・ターナーと、ブルース・ミュージックの深淵にハマり込んでいく。
そんななか、Tヴォーン・ウォーカーの“Stomy Monday”が、彼に最も大きな衝撃を与える。

「彼のフレーズやテクニックを真似するなんて、とうてい無理だったよ。同じ弦を使っても、他のことをやらなけりゃ勝負にならないと思ったよ。だから、俺は弦を思いっきりきしませたサウンドに目覚めていったのさ」(アルバート・キング談)

実際、彼はTヴォーン・ウォーカーの演奏をコピーしようと必至で練習したが、あまりの難しさに欲求不満の塊のような、まったく別のスタイルにしかならなかった。
1939年16歳になったアルバート・キングは、旅人相手の宿屋でブルース・ギタリストとして働きはじめる。

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彼の最初のギターは、先述したように壁とレンガに一本のワイヤーをくくりつけたものだったが、その後葉巻の箱に若木から削り出したネックを付け、ホウキを束ねていたワイヤーを弦に利用した。
アルバート・キングが、憧れのギターを手にしたのは1941年18歳のときに、ガール・フレンドを映画に誘う金がほしかった友人から1.25ドルでせしめたギルド製の古いアコースティックだったという。
その後、125ドルで手に入れたエピフォンのギターとアンプを、1958年最初のギブソン・フライングVを手にするまで使用した。
左右対称でネックの上部を遮るものがなく、上限まで押さえられるフライングVは変則プレイを信条とするアルバート・キングには理想的なギターであり、友人のコメディアン、ルシール・ポールにちなんで“ルーシー”と名付け、生涯、彼のトレード・マークとなった。
しかし、1974年ダン・アールウィンから、1980年ラドレイ・プロコポウから、そして1988年65歳の誕生日にはZZトップのビリー・ギボンズらからカスタム・モデルのフライングVを贈られてからは、オリジナル・フライングVは使わなくなった。
アルバート・キングはピックを使わないことでも有名で、使用弦はブラック・ダイヤモンドの高音3弦はライト・ゲージ(ただしGは巻弦)、低音3弦はミディアム・ゲージだったとされる。

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いくつかのバンドを経験し、シンガー、ドラマーとしても活躍したが、リズム感を養うことにしかならないドラムに見切りをつけ、ブルースはもとよりジャズ・ギターへも傾倒した。
1953年、シカゴへ移りバロット・レーベルで最初のレコーディング。
1956年、セントルイスを拠点とするロビン・レコードと契約。
1961年、“Don't Throw Your Love On Me So Strong”が初ヒット。R&Bチャート14位にランク・イン。
1965年、スタックス・レコードとの契約により成功への道を歩みはじめる。
この頃、トランペット・プレイヤーから様々なキーについて学び、1970年代には自らのバンドのホーン・セクション・アレンジのため、音楽理論も学んだ。

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アルバート・キングが開発した独自のスタイル、フレーズはエリック・クラプトン、スティーヴィー・レイヴォーン、ビリー・ギボンズ、ジミ・ヘンドリックといった多くのギタリストに真似されてきた。それは“歌うアプローチ”と表現され、フレーズをヴォーカル・ラインのようにイメージし、演奏するコール・アンド・レスポンスとして、コードを弾かずヴォーカルとほぼ同じラインを、シングル・ノート・ラインで追いかけるというものであった。

「彼とB.B.キングがフィルモアでジャムったのを観たけど、凄かった。完璧にB.B.を喰っちまってね。巨大なアコースティックのアンプで、そりゃもう爆弾が爆発するような音だったよ。」(マイク・ブルームフィールド談)

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彼は左利きでありながら、右利き用のギターと同じように弦を張っていた。
ゆえに高音弦が上に、低音弦が下に位置したため、高音弦のチョーキングは押し上げるのではなく引き下げることで、ダブル・ノートのまま2弦同時にチョーキングしたりと、よりアグレッシブなチョーキングやヴィブラートを可能にした。スケールはほんとんどがマイナー・ペンタトニックであったが、スタンダードなスリー・コード進行や、8・12・16小節といったブルース進行に固執することなく、トーンや“間”を強調するために早いラインもほとんど使わなかった。
また、Emの6弦をCに下げた「C.B.E.G.B.E低音~高音」、あるいは「E.E.B.E.G#.C#低音~高音」といった変則チューニングを好んで応用した。
ピック・アップはミックス・ポジションを好みトーン・コントロールとリアPUのヴォリュームをフル・アップにし、フロントPUのヴォリュームはその都度フィットするところに調節する方法を用いた。

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「ブルースをプレイすることが、俺の選んだ人生だった。そしてその選択をしたとき俺は3つのことを自分に課したんだ。ブルースを弾き、ごまかしはやらない、ギグは断らないってね」(アルバート・キング談)

6フィート4インチ、今でいうボブ・サップと同様の巨漢の持ち主であったアルバート・キングは、1992年12月21日メンフィスで心臓発作により急逝する数日前まで、ロサンゼルス郊外で公演活動を続けた……。



●Albert King - Move to the Outskirts

●The Doors featuring Albert King: Fever (Live)

●Albert King Fillmore East, 9.23.70

●KING & VAUGHAN PLAY STORMY MONDAY

●Journey- PBS Special '78

●albert king - free jazz

●Albert King & Blues Breakers - Stormy Monday

●Gary Moore - Oh Pretty Woman

●Albert King - The Sky is Crying

●Albert King - Live Sweden 1980

●Albert King in Japan 1989 "I'll Play The Blues For You"

●Albert King & Gary Moore- Stormy Monday '90

●The King





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  1. 2007/07/17(火) 19:35:42|
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ジミ・ヘンドリックス/大人のギタリスト講座18。

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ジミ・ヘンドリックスの来歴や人間性については、以前のレクイエムを参照していただくとして、やはりここらでギタリストとしてのその音楽性などに言及しておかなければなるまい。

「いまでも彼がいないことが寂しくて仕方ないよ。何故って、誰か信じられる人が必要だろ? 俺にはジミ・ヘンドリックス以外信じられないからな」(ジェフ・ベック談)

天才と崇め続られるジミ・ヘンドリックスですら、色々な音楽、ミュージシャンから影響を受けた。

1942年11月27日、ジミ・ヘンドリックス(ジェイムズ・マーシャル・ヘンドリックス)は、米国ワシントン州シアトルで生を受けた。

両親ともにミュージシャンだった彼は、父親のR&Bを中心としたレコード・コレクションに囲まれて育った。その父親が自分のサックスと中古の安物のギターを交換し、1955年13歳の彼の誕生日にプレゼントした。
その後、ギターに興味を示した15歳のジミ少年に、父はエピフォンのエレクトリック・ギターを買い与えた。

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少年ジミ・ヘンドリックスが好んで聴き漁ったのが、カントリー・ブルース・ギタリストのロバート・ジョンソン、シティ・ブルースのB.B.キングアルバート・キングマディ・ウォーターズアルバート・コリンズエルモア・ジェイムスハウリン・ウルフだったという。

高校時代にはサント&ジョニー“Sleepwalk”、エヴァリー・ブラザーズ“Cathy's Clown”、エディ・コクラン“サマータイム・ブルース”、ヘンリー・マンシーニ“ピーター・ガンのテーマ”などの曲が好きだったという。

60年代に入るとジミ・ヘンドリックスの興味は、バディ・ガイの音楽性やショウマン・シップの虜となり、ガイのステージに足繁く通うようになる。
ここで、ブルースが彼の音楽に不可欠なものとなっていく。

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彼はさらにシンガー、作詞・作曲家として卓越するべく、ボブ・ディランからも多大な影響を受けたとされる。
彼のギターの可能性へのチャレンジは飽くことがなく、ジャズ・フレーズなども盛んに練習していた。
驚くことに、バッハシュトラウスワーグナーといったクラシックも聴いていた。
また、管楽器のサウンドをギターで再現したいという夢も抱いていたそうで、彼が生きていればもっと早くギター・シンセが完成していたのかも知れない。
そして、死の直前のインタビューでは、盛んにフラメンコに興味を示していたとされる。

「俺の音楽はあそこのキャンディの入った瓶みたいに、全部がゴチャゴチャに混ざっているんだ」(ジミ・ヘンドリックス談)

「バッハとかヘンデルとか、マディ・ウォーターズやフラメンコみたいなものを一つにまとめてみたいんだ。そんなサウンドがだせたら、すごくハッピーだろ?」(ジミ・ヘンドリックス談)

ジミ・ヘンドリックスのギター・プレイは前述した通りブルーズやR&Bを基盤としたマイナー・ペンタトニック・スケールであるが、その卓越したメロディ・センスから、ペンタトニック・スケールを自由自在に崩してメロディを優先させた。
また、反復を嫌い常に同じ演奏をせず、ステージで気の向くままに演奏を変え新しいアレンジで実験的な演奏を好んだ。
バッキング・プレイでは、カーティス・メンフィールドウェス・モンゴメリーなど、幅広い影響が見られ、その点でも当時のロック・シーンの遥か先をいっていた。

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ジミ・ヘンドリックスの最初のレコーディングは、60年代初期、ロサンゼルスでビリー・レヴィスによってプロデュースされた、ローザ・リー・ブルックスの“My Diary”だったとされる。

トリオというバンド構成から、リズムとリードのコンビネーションが進化し、コード構成の中にメロディを編み込み、オクターブ・ユニゾンやスライド&チョーキングを自在にこなした。また手が異常に大きいことで通常では困難なコードも容易に押さえることができたし、演奏しながら自在にトレモロ・アームをコントロールできる器用さも併せ持っていた。

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ジミ・ヘンドリックスといえば、フェンダー・ストラトキャスターである。
当時、倒産寸前だったフェンダーは彼によって経営を継続できたとまでいわれている。
左利きにも関わらず、右利き用のギターに弦を逆に張り、コントーロール・ノブ、トレモロ・アームが上部に位置したことで、様々な革命的なギター・サウンドを編み出した。
彼にとってギターとは、フィンガーボードだけの楽器ではなく、ヘッド部分の弦を弾いたり、ネックの後ろを叩いたり、変則チューニングや弦にピックをこすりつけたり、コントローラーやトグル・スイッチなど、あらゆるギター・パーツを駆使してサウンドに結びつけた。
さらにはアンプですら楽器の一部と発想し、極端にヴォリュームを上げることでディストーションやフィード・バックを起こし、音やコードにサスティンをかけた。またトレモロ・アームにより、爆弾の降下音や悲鳴のようなサウンド効果を得たのも彼が最初だった。通説に反しギターにほとんど改造を施さなかったが、ピッチを上げ下げできるようにトレモロ・アームを調節し曲げ、アームを使いながら弦をタッピングできるようにしていたといわれる。

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半音下げてのチューニングが有名であるが、弦はフェンダー・ロックンロール・ライト・ゲージ「.010 .013 .015 .026 .032 .038」を好んだが、彼のギターを何本か所有するバディ・マイルズによると、6弦にはヘヴィ、4・5弦にはミディアム、3弦にはハワイアンの弦、2弦にはライト、1弦にはスーパー・ライトを張っていたという説もある。ピックはニューヨークのマーニーズ・ミュージックのミディアムを使用していたとされる。

ライブでの使用アンプは、スタック3台まで、100、200Wの“プレクシー”ヘッド3台をローラ・セレッション・スピーカーに装備した4×12マーシャル・スピーカー・キャビネット6台につないで使っていた。スタジオではフェンダー・ツイン・リヴァーブを使用。

また現在では当たり前だが、何種類ものエフェクターを同時につなぐアイディアもジミ・ヘンドリックスが考えたものだった。
ダラス・アービター・ファズ・フェイスというディストーション・ユニットに、ユニオン、ユニ・ヴァイブ(エレクトロ・トレモロ/ヴィブラート装置)、ヴォックスのワウ・ペダルを好んで使用した。

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ギター・テクニック、機材の使用法、ソング・ライティング、アレンジ、特異なライブ・パフォーマンスと、どれをとってもジミ・ヘンドリックスの創造性は画期的であり、その彼のインパクトが海を渡り世界中に派生し、今日のレコーディング技術、新しい楽器や機材の開発を促したのである。

1967年『アー・ユー・エクスペリエンスト?』から、1970年28歳の死まで、たった 3年間のキャリアであった。

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ジミ・ヘンドリックスが近代ハード・ロックの発展に与えた影響は計り知れない。“究極のギター・ヒーロー”とは、紛れもなくジミ・ヘンドリックスのための冠である。


●Jimi Hendrix RARE 67-03-07 Belgium - Hey Joe Tienerklanken

●Jimi Hendrix - The Wind Cries Mary

●Jimi Hendrix sets guitar on fire - Wild Thing - High Quality

●Jimi Hendrix - Purple Haze (live)

●Jimi Hendrix - Georgia Blues (Rare Recording)

●Jimi Hendrix Watchtower

●Jimi Hendrix LuLu Show 1969 **FULL**

●Jimi Hendrix - Woodstock Solo

●LIKE A ROLLING STONE

●jimi hendrix - machine gun pt 1(isle of wight) 1970

●jimi hendrix - machine gun pt 2 (isle of wight) 1970

●Jimi Hendrix-Lover Man (Stereo)

●Jimi Hendrix with the Rolling Stones (Long version)





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  1. 2007/07/10(火) 16:25:30|
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ロバート・フリップ/大人のギタリスト講座17。

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「俺はジャズ・ギタリストでも、クラシック・ギタリストでもロック・ギタリストでもないと思っている。どれをプレイするにもそこに可能性を感じない。だから、もしみんなが受け入れてくれるなら、オリジナルなギター・スタイルをクリエイトしていく必要があると思う」(ロバート・フリップ談)

約60年あまりのロック史において、ギター・モダンともいうべき流れの源流に位置するギタリスト、ロバート・フリップについて。

いわずと知れたキング・クリムゾンの創始者ロバート・フリップは、1946年5月16日、英国オーセット州、ウィンボーンに生を受けた。

最初にギターを手にしたのは、1957年11歳のころ。
蛇足だが、1957年といえば僕が生まれた年でもある。
左利きだったフリップ少年は、あえて常道の右利きスタイルでギターを弾きはじめたという。
そうして、Egmund Freresのアコースティック・ギターで練習した彼は、14歳のときにヘフナー・プレジデントというエレクトッリック・ギターを手にし、1963年17歳でギブソンES-345を弾きはじめた。
ギターを弾きだして興味をもったのは、チャック・ベリーエルビス・プレスリースコッティ・ムーアである。

最初の3ヶ月は独学。
後にコース・メロンにあったスクール・オブ・ミュージックに1年通い、ピアノ教師から音楽理論を学んだとされる。
最初のギターの師匠は、1930年代スタイルのギタリスト、ドン・ストライク。
スクールを辞めた彼はドン・ストライクのもとに2年通い、ニック・ルーカスエディ・ラングのプレイ・スタイルをアコースティック・ギターで学んだ。
ロバート・フリップは今でもクロス・ピッキングを教えてくれた恩人としてドン・ストライクを挙げている。その頃にはジャンゴ・ラインハルトにも夢中だった。

さらに完璧なフィンガー・ピッキングを習得し、クラシック・スタイルを制覇すべく、フラメンコ・ギターを買い、クラシックと現代音楽の両方を聴きながら、ジャズ・ギタリスト、トニー・アルトンのもとで10回のレッスンを受け、スケールコード、ソロ・テクニックなどを学んだ。

「ギタリストのプレイを本気で聴いたことがないんだ。実際のところギターって、あまり大した楽器じゃない。ギターから興味をそそられることって、あまりないんだよな」(ロバート・フリップ談)

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そんなロバート・フリップも、60年代に入るとご多分にもれずジミヘンに衝撃を受ける。しかし、彼の興味はジミヘンのギター・テクニックではなく、音楽にだったという。ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ時代のクラプトンジェフ・ベックの才能も早くから認めていたが、ロバート・フリップにはそれらが“単に面白いもの”でしかなかったという。

だが、一日8時間の練習から、変拍子を交えての演奏を2時間一度もミスすることなく弾き続けたという逸話をもち、彼の演奏に感激したジミヘンが、楽屋で、心臓に近い左腕で握手をしてくれ、と頼んだといわれる。
その言動からは、アンチ・ギターを提言してはばからないが、実のところ彼ほどギターという楽器の可能性に着目し、切磋琢磨と落胆を繰り返すギターの求道者はいない。

クラシックでは、バルトーク『弦楽四重奏』ストラヴィンスキー『春の祭典』ドヴォルザーク『新世界』
ジャズでは、オーネット・コールマンチャーリー・パーカーマイルス・デイヴィストニー・ウィリアムスマハヴィシュヌ・オーケストラウェザー・リポートに自分と同様の可能性を感じていたという。
そして唯一ビートルズの『サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・バンド』からは、音楽家、作曲家としての要になるようなものを与えられたという。

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1964年、後のポリスアンディ・サマーズの後釜としてマジェスティック・ホテルの専属バンドに入る。
1968年、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ
1969年、キング・クリムゾン結成。『クリムゾン・キングの宮殿』発表。
1974年解散。
1981年、エイドリアン・ブリュー(G)、ビル・ブラッフォード(D)、トニー・レヴィン(B)による新生キング・クリムゾン結成。

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60年代後期のプログレッシブ・ロック・シーンの中にあって、ブル−ス・ベースを基盤とするロック・ギタリストに収まらなかったロバート・フリップは、ロック・ギターの可能性を大きく広げることになるのである。

ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ在籍の頃、最初のレスポールを買った。
そのレスポールには何種類かのスイッチ、ケーラーのトレモロ・ユニットを加え大幅な介改造が施された。
またトーカイのレスポールには、6音ポリフォニック・シンセPUを内蔵し、ケーラーのトレモロ・ユニット、それぞれのピック・アップにはコイル・タップ、フェイズ・スイッチを装着してある。

フェンダー・ストラトキャスターでは、63年製、66年製、ロビン・トロワーから進呈された57年製などを所蔵。
ロック・ギタリストともに名声を得るアコースティック・キャリアにおいては、ギブソンJ-45とテナー、ヤマハ、戦前のミルナー、タカミネを愛用。
自らのギター・クラフト・セミナーを開設後は、オヴェイション・レジェンド1867が彼のメイン・アコースティック・ギターとなる。
 使用弦は、70年代半ばからジョン・アルヴィー・ターナーのライト・ゲージ。
80年代後半、自ら開発したニュー・スタンダード・チューニング(C G D A E G 低音弦から高音弦)には、アコースティック弦「.012 .015 .023 .032 .047 .060」のセット。ピックは、べっ甲製のライトである。

1972年に、ブライアン・イーノと仕事をしている間、テープ・ループ・システムを教わり、それをもとに“フリッパトロニクス”を開発する。
これにより、ドリアン・モードでのダイアトニック・メジャー・スケール、ホール・トーン・スケール、オクタトニック・スケール、スーパー・ロクリアン、オリエンタルなど多種多様なスケールを奏でながら、多音声&や多韻律でパターンをシフトする独自の演奏をものにした。

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ロバート・フリップのアンプは、最初が8インチスピーカーの6W ワトキンス。
以後、ハイワット、フェンダーのほか、クリーン・トーンにはローランドJC-120ジャズ・コーラスといったソリット・ステイト・アンプ、ディストーションがほしいときにはチューブ・アンプのマーシャルなども愛用する。

“フリッパトロニクス”では、エコー・システムとしてRevoxのテープ式エコー2台、あるいはエレクトロ・ハーモニックス・16セカンド・デジタル・ディレイ2台。
ペダル・ボードには、アイバニーズ・デジタル・ディレイ、エレクトロ・ハーモニックス・ビッグ・マフ、フォクシー・レディが並び、さらにヴォリューム、ワウワウ、ファズのペダル類、バーンズ・バズアラウンド、カラー・サウンド・ユニットも加わる。

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80年代に、キング・クリムゾンとアンディ・サマーズのコラボでは、ローランドGR-300、GR-700のギター・シンセを試みた。

「エレクトリック・ギターって、もとはでかい音を出すためのアコースティック・ギターだ。でもそれがギター・シンセサイザーという別な楽器になった。今やそれぞれのライフ・スタイルに合わせたそれぞれの異なった音楽を、各自のテクニックで演奏できるってわけさ」(ロバート・フリップ談)

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リズム・アンド・ブルースから発展したロック・ミュージックは、ハード・ロックへと進化を続ける一方で、サイケデリック・ムーブメントを背景にプログレッシブ・ロックへの進化もとげる。
ロバート・フリップという類い稀なアーティストが、プログレッシブ・ロック、“進歩的なロック”を実践したことで、今日のロック・シーンに与えた影響は計り知れない。


●King Crimson - 21st Century Schizoid Man

●King Crimson - Pictures Of A City

●King crimson "Islands"

●King Crimson - Larks Tongues In Aspic Pt. 1 1973

●King Crimson - Discipline

●King Crimson "Elephant Talk"

●King Crimson - Robert Fripp solos

●ROBERT FRIPP - Frippertronics Demo (1979)

●Robert Fripp - Crafty Guitarists Pt1

●Robert Fripp String Quintet

●Robert Fripp - Guitar Hero (1992)

●David Sylvian & Robert Fripp - Riverman

●Sleepless - King Crimson

●King Crimson Red - dvd deja vrooom

●King Crimson - Vroom






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  1. 2007/07/03(火) 16:27:02|
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