アルバムの導入から、僕は久々に脳に電極を突っ込まれたかの衝撃を受けている。
ラッシュ 5年ぶり18枚目のニュー・アルバム『スネーク&アローズ(Snakes & Arrows)』である!
僕が盛んに聴いたアルバムは、
1980年『パーマネント・ウェイヴス(Permanent Waves)』(全米4位)
1981年『ムーヴィング・ピクチャーズ(Moving Pictures)』(全米3位)
1982年『シグナルズ(Signals)』(全米10位)
1987年『ホールド・ユア・ファイア(Hold Your Fire)』(全米13位)
である。これらは今でも聴いている。
だから、この4枚のアルバム以外、僕には空白である。
それでも、先日ラッシュのギタリスト、アレックス・ライフソンを取り上げようと考えていたら、なんと5月2日に新譜が発表されることを知った。
5月14日付けオリコン・ランキング初登場赤丸40位!
ところが、週末地元のCD屋に走ったが、置いてない。
焦りながらも、結局日々の戯れ事に翻弄され、本日(25日)やっと入手!(仕事は戯れ事かい!)
いや~、ヤバいっす!
今朝から、ずっと連続で聴いています!!
メンバーの中で、どういう変革があったのか?
今回は正に原点回帰のプログレ・ハード!
日本版のみ、ニール・パート(Ds)のセルフ・ライナー・ノーツの翻訳が付いている。
そして、新たな若手プロデューサー、ニック・ラスキュリネッツの起用がメンバーにポジティブなエネルギーをもたらした。(その辺りは、
BURRN!誌6月号 に詳しい)
昨年1月、ラッシュの知能でありLAに住むニール・パートが、トロントに住むアレックス・ライフソンとケディ・リー(B)に詞を送り、それを3月までに二人がケディのスタジオで曲を付け5曲を形にして、LAに集合。
そこで3人は30年以上にも渡る活動が、揺るぎないものであったことを再確認するとともに、このバンドのさらなる可能性を見いだし、その“スピリチュアル”と“生の精巧さ”に感嘆したという。
アルバム全編を通して、アレックス・ライフソンのパワフルかつ燻し銀のようなギター・ワークが疾走する。
特にアコースティック12弦ギターが見事にアレンジされ、8曲目のアレックスのニックネームが曲名になった“Hope”のそれは、鳥肌ものだ!
ケディのボーカルは、おそらく今までで一番馴染み、ジャズ的なベース・パターンや長年封印してきたメロトロンの復活が最上のファクターとなっている。
その二人が作り出す緊張のごくごく微細な隙間を、容赦のないニールのドラミングが埋め尽くし、タイトでありながら壮大なスケールをもって圧倒的な意識(スピリチュアル)となり、我々の聴覚、視覚、思考力を支配する。
33年の活動を経て、なお尽きることない巨大な宇宙のようなスケールである。
3人の“継続”は33年という月日により燃焼、メルト・ダウンし、2007年新たなビック・ヴァンを起爆したかのようだ。
音質、グルーブ感ともに最上級! これぞ大人のロック!!
ラッシュの歴史は決して終わっていない。今なお、頂上を目指しているのだ。
これは賞賛に値する。
必聴である!
※RUSH-Offical Website ●アレックス・ライフソン、『スネークス&アローズ』を語る。 ※インタビュアー、伊藤セイソク。
●Rush - Making of Snakes and Arrows ●Rush Armor and Sword Snakes and Arrows ●Rush - Malignant Narcissism (Music Video) Snakes & Arrows ●Rush - Spindrift ( Sample From Snakes & Arrows ) ●RUSH - Far Cry - Music Video ( Snakes & Arrows ) ラッシュ/スネーク&アローズ ★試聴は
ここ ♪
【アレックス・ライフソン/大人のギタリスト講座】
アレックス・ライフソンは1954年、カナダのブリティッシュコロンビア州で生を受けた。
ごく普通の音楽好きな学生だったアレックス・ライフソンに、ある日ロックに魅了するショッキングな出来事が起こる。
1969年、彼が15歳のとき。
そう、
レッド・ツェッペリン のデビューである!
同年、同級生のケディ・リー、一歳年上のドラマー、ジョン・ラッツィとともにその衝撃からバンドを結成。
ラッシュの誕生だ。
ツェッペリンのコピー・バンドから始まり、やがて彼等はトロントのクラブ・シーンのトップ・バンドへと成長。
1974年『戒光のラッシュ(Rush)』でカナダ・デビュー。
同時にドラマーのジョン・ラッツィ脱退。
同年8月には、『戒光のラッシュ(Rush)』がアメリカ発売。
ここで、18世紀文学に精通するインテリ・ドラマー、ニール・パートの加入。
ニール・パートの精神性がアレックス、ケディに衝撃を与え、ラッシュは一気にプログレッシブ・ハード・ロック路線へと突き進むこととなる。
結成当時のアレックス・ライフソンは、ギブソンES-335とマーシャル・アンプをトレード・マークとした。
アレックス・ライフソンのギターの特色は、
今回の新譜『スネークス&アローズ』でも迸る、12弦エレクトリック&アコースティックである!
ノーマルな6弦ギターでは、全く臨めないようなコーラス処理された重厚で広がりのある12弦から繰り出されるピッキング&アルペジオ・サウンド。
ステージでは、ギブソンEDS-1275(6弦&12弦、ダブル・ネック・ギター)を駆使し、スペイシーで牧歌的な効果を演出し、これはラッシュ・サウンドにもアレックス自身にもなくてはならないものである。
さらに、ストラトキャスター、カーヴィン、PRSを使用。
現在のアンプは、ヒュースアンドケトナーの自身のモデル、TRIAMP Mkllを使用している。またこのアンプの売り上げの一部(一台につき$50)が、ユニセフに寄付されている。
ステージ上でのエネルギッシュな演奏では、アンプのスピーカーから音を拾わずにギターのプリ・アンプから直接ミキサー卓に信号を送り、スピーカーからの音をモニターする音作りが特徴的で、これによりエフェクターの操作ミス、シールド抜けを防いでいる。
※アレックス・ライフソンの現在のギアについては
ここ を参照されたい。
何においてもクリエーティブな彼は、スタジオに入ったときは料理担当を引き受け、その屈指のギター演奏以外、彼の“ラザニア”も最高の“作品”と評価されているという……。
『スネークス&アローズ(Snakes & Arrows)』で、是非アレックス・ライフソンを体験してみてほしい♪
※過去のラッシュ動画!
●RUSH Fly By Night! ●Rush - Tom Sawyer ●Rush - Red Barchetta ●Rush - Closer To The Heart (live - 1998) ●Rush R30 - Mystic Rhythms ●Working Man - Rush - R30 Blog Ranking
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2007/05/29(火) 12:00:00 |
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ロック史において、知っておかねばならないギタリストはまだまだいる。
エリック・クラプトン 曰く、
「ロックをプレイしたけりゃ、チャック・ベリーのように弾くか、彼から学んだことをプレイするしかないんだ。他にチョイスはない。それほど彼は基本なんだ……」
エレクトリック・ギターを、ロックというジャンルを決定付けるファクターに押し上げた先駆こそ、チャック・ベリーである。
さすがに、この辺りまで来ると僕もほとんど記録としてしか知りません。
一緒に勉強してみましょう♪
1926年10月26日、チャック・ベリー(チャールズ・エドワード・アンダーソン・ベリー)は米国ミズーリ州セントルイスに生を受けた。
1926年とは、NBCが初めてラジオ・ネット・ワーク放送を開始した年であり、日本では12月25日大正天皇崩御、大正から昭和に改元した年である。
彼の父親は、バプティスト教会の執事で、母親は教師という中流家庭であり、アンチオーク・バプティスト・チャーチ・コーラスという聖歌隊の練習風景の中で彼は育ち、音楽と接し、後に彼もその聖歌隊で歌うようになる。
1941年15歳のとき、サムナー高校の卒業生主催のコンサートで、ジェイ・マクシャーの“
Confessin' The Blues ”という曲を歌い、
「彼等が求めるものを与えさえすれば、聴衆は僕に答えてくれるんだ」と、パフォーマーとして最初の悦楽を味わうことになる。
そんなチャック・ベリーが、最初にギターを弾き始めたのは1951年のとあるパーティーだったとされる。当時彼が好んだのはブギウギ、ブルース、スウィングだった。
1952年には、ピアニストの
ジョニー・ジョンソン から、エビー・ハーディをドラムにフィーチャーしたバンドでの大晦日のギグに参加するよう誘われる。
因に後の名曲“ジョニー・B.グッド”はジョニー・ジョンソンが作曲したそうだ。
最初に手にしたギターは、セントルイスのR&Bプレイヤー、ジョー・シャーマンから30ドルで譲り受けたケイのエレクトリック・ギターだった。
1955年29歳のときマディー・ウォーターズの口利きで、シカゴのチェス・レコードのレコーディング・アーティストとして参加。
『Maybellene』『Wee Wee House』『You can't Catch Me』『Thirty Days』などをレコーディング。シングル『Maybellene』は、この年のR&Bソング・イン・アメリカのNo.1に輝く。
因に“Maybellene”とは、彼が小学3年生のときに習った童謡に出てくる雌牛の名で、
「それ以来同じ名前の娘3人に出会ったけど、勿論、その都度、君のために作った曲さ、といってやったよ」と語っている。
彼のギター・スタイルは、ブギウギ、ブルース、スウィングを混合したものであり、当時使っていた教則本はニック・マノロフの『Guiter Book of Chords』だった。だが、後にラドウィッツ・ミュージックで音楽理論と和声学をしっかり学んでいる。
チェス・レコード時代は、P-90というシングル・コイル・ピックアップを2個つけたギブソンES-350Tを使っていた。
チャック・ベリーが影響を受けたブルース・ギタリストは、
マディ・ウォーターズ 、
エルモア・ジェイムス 、タンバ・レッドである。
R&Bでは、
Tボーン・ウォーカー 、
ロニー・ジョンソン 、カール・ホーガン・ウィズ・ルイス・ジョーダンズ・ティンパニー・ファイブ。
ジャズからは、
チャーリー・クリスチャン 、
ジャンゴ・ラインハルト などに影響を受けたとされる。
さらに、
ハンク・ウイリアムス といったカントリーのアーティストからも影響を受けた。
クラブでプレイし始めた彼は、仕事を得るためと安定した活動のため、ブルース、ポップスに至るまで多様な音楽をこなしていく。
そうして彼が初めてファースト・アルバムを発表したのが、1957年の『After Svhool Session 』だった。
この頃は、ハムバッキング・ピックアップが2個ついたギブソンES-350Tを使用。
このギターは50年代後期までのレコーディングに使われ、現在はミズーリ州セントルイス、ブルーベリー・ヒルにある友人のジョー・エドワードが経営するレストランに飾られているそうだ。
チャック・ベリーのR&Bとカントリーの要素をミックスさせたギター・スタイルこそが、後にロックンロールとして認識、定着したスタイルだった。
実際、そのロックンロール創世に関与した彼自身、
「始めた頃、スタイルなんて意識していなかった。自分が持つスタイルなんてことに目覚めてもいなかったよ」と語っている。
しかし、特にビッグバンドのスウィング・ジャズからヒントを得たとされる、4/4拍子の8部音符でダウン・ストロークと8ビートのロック・フィーリングを絡み合わせたバッキング・プレイで、シャッフルのアクセントを好んで変えたりするスタイルがチャック・ベリーならではのスタイルである。
さらに、ルート音5thを繰り返すベース・パターンは初期のカントリーからヒントを得た。
1音分チョーク・アップし、となりの弦の同じ音でフォローするチョーキングもチャック・ベリーの十八番である。
チャック・ベリーのコード進行も特徴的で、彼の楽曲の多くは通常のギタリストならAやEのキーを使うところ、B♭、E♭でプレイしていた。
1958年、2ndアルバム『One Dozen Berrys』からは、“ジョニー・B.グッド”がシングル・ヒット。全米8位を記録した。
1959年、3rdアルバム『Chuck Berry Is on Top』を発表。
彼のギターを弾きながら腰を屈めステージ上を跳ね回る“ダッグ・ウォーク”は一世を風靡した。
1960年代には、彼はヴァイブローラ・テールピースと2個のハムバッキングをマウントしたギブソンES-335を使い始める。これは以前所有したギブソンよりもダブル・カッタウエイのため、よりハイ・ポジションでの演奏に適し、以来現在までこのモデルを好んで使っている。
使用アンプは、エピフォンの木製キャビネット仕様のスピーカー・カヴァーにEの文字が掘り出されたものだった。レコーディングにはフェンダーのツイードを仕様していた。
1960年から63年にかけて、公演旅行中メキシコで出会った14歳のウェートレスを連れ回し売春を強要した罪で逮捕され、刑務所生活を送る。
しかし、このブランクがあったにも関わらず、60年から10年間に発表したシングルは30枚に及んだが、商業的には順風満帆とはいかなかったようだ。
それは、アメリカ社会に根付く“人種差別”が影響しており、彼から影響を受けたエルビス・プレスリーが白人なればこそ、アメリカ社会はロックンロールを受け入れたのである。
もしチャック・ベリーが黒人ではなく、ギター・リフに著作権が存在していたら、間違えなく彼は億万長者になっていたであろう。
それぐらいチャック・ベリーはオリジナルであった。
「ロックンロールにもう一つの名前をつけるとしたら、きっとみんなチャック・ベリーっていうさ」とは故
ジョン・レノン の言葉である。
エルビス・プレスリー、
ビートルズ 、
ストーンズ 、ビーチ・ボーイズはもとより、僕の大好きなAC/DCの
アンガス・ヤング など、チャック・ベリーを慕いリスペクトするミュージシャンは後を絶たない。
蛇足だが、1985年の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で、1955年にタイム・スリップした主人公マーティーが、設定上架空のチャック・ベリーの従兄弟マーヴィン・ベリーの前で、未だ未発表のジョニー・B.グッド(58年発表)をライト・ハンド奏法を交えて熱演するシーンがあり、それを聴いてぶっ飛んだマーヴィン・ベリーが、チャック・ベリー本人に電話でその演奏を聴かせるという
名場面 があった。
偉大なるミスター・ロックンロール。
ロックの神。
しかし、チャック・ベリーはかく語った……。
「名誉? そんなものクソ食らえだ! 名誉なんてなくてもレストランでサービスは受けられるだろ?」
●Johnny B. Goode ●You Can't Catch Me(1965TV) ●Maybellene(1965TV) ●Roll Over Beethoven-Duck Walk ●Wee Wee Hours, Chuck Berry, E.Clapton, J.Johnson & more... ●Carol(1972Live) ●Chuck Berry and John Lennon ●KEITH RICHARDS chuck berry julian lennon ●CHUCK BERRY, KEITH RICHARDS & CLAPTON -Understand Each Other ●Chuck Berry Live @ Rome May,1st 2007 Blog Ranking
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2007/05/22(火) 12:21:19 |
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満を持しての、
ジェフ・ベック 。
60年代にはヘヴィ・メタル、サイケデリック・ミュージックへ貢献。
70年代はジャズ、フュージョン・ロック発展の中心を担った。
ロック・ギタリスト史上、最も尊敬され最も影響を与えた逸材である。
ジェフ・ベック(ジェフリー・アーノルド“ジェフ”ベック)は1944年6月24日に英国イングランド、サリー州ウォリントンにて生を受けた。
52年、8歳のとき両親によってピアノのレッスンを受けさせられたという。
「黒鍵を一枚ひっぺ返してやったんだ。そしたら、母親がやっと僕がピアノ嫌いだって気づいたんだ」
この頃、幼いベックは教会の聖歌隊で歌い、チェロも弾いていたがどちらにも馴染めなかった。
ジェフ・ベックが最も多大な影響を受けたのが、ジーン・ヴィンセント・アンド・ザ・ブルー・キャップスで、13歳の頃、映画『
The girl can't help it 』のポスターを見て、自作ギターを組み立てる。むろん音楽面でもブルー・キャップスのギタリスト、クリフ・キャップスから影響を受け、36年後の93年にはジーン・ヴィンセントのカヴァーを集めてギャラップに捧げたアルバム『Crazy Legs』を発表しているほどである。
とりわけ、ジェフ・ベックにこれらの影響を与えた張本人はロックンロール好きな姉であり、エディ・コクラン、ジェイズ・バートンがいる頃のリッキー・ネルソン、バディ・ホリーなどをベックに聴かせていた。
因にこの姉が、まだアマチュアだった
ジミー・ペイジ にベックを引き合わせている。
そんなジェフ・ベックが、初めて演奏したのは地元の縁日の広場だったという。
演奏したのは
エディ・コクラン の曲。
やがて、ブッカー・T&MG'sを知るや一気にソウル・ミュージックに傾倒し、さらにブルースへとハマり
バディ・ガイ 、
オーティス・ラッシュ に深くのめり込む。
1963年、トライデンツに参加。
この頃は、当時としてはかなりトリッキーでソフィスティケイトされたスタイルを持っていた
レス・ポール に親しんでおり、エレクトリック・ギターの可能性やエフェクターへの興味を刺激されていた。
後のアルバム『Jeff's Boogie』の中のフレーズから、レス・ポールの影響を聴くことができる。
1966年、
エリック・クラプトン 脱退後のヤード・バーズに参加。アメリカ・ツアー開始2週間で脱退。
1968年、ロッド・スチュアート、ロン・ウッドとともにジェフ・ベック・グループを結成。
1stアルバムはアメリカで大成功を収めるが、カー・レース事故により18ヶ月間活動を停止する。
1972年、
ブッカー・T&MG's のギタリスト、スティーブ・グロッパーをプロデューサーに迎え、新生ジェフ・ベック・グループとして『JEFF BECK GROUP』を発表、同年暮れにはバンドを解散し、ベック・ボガード&アピスを結成。
1975年、初のインストゥルメンタル・アルバム『BLOW By BLOW』を、
ビートルズ のプロデューサーとして知られたジョージ・マーティンととも制作。このアルバムはインストにも関わらず米国でゴールド・ディスクを獲得。さらに一年後『WIRED』を発表し、ジャズ畑ではないロック・ギタリストとして“フュージョン”を世に知らしめた。
以後、ソロで多方面のミュージシャンとコラボレートしながら活動している。
90年代には、ブルガリアン女性合唱団やベトナムのフルート・ミュージックにも傾倒し、さらに新しい音楽を見いだそうとした。
ジェフ・ベックのギター・テクニックを安易に真似できない由縁として、ボーカル、管楽器、ハーモニカのようなフレーズ、弦を持ち上げはじく“プラッキング”を駆使したパーカッシブなスタッカート、フィードバック&ハーモニクスなどがあり、それら全てが合致してベックならではの技となっている。
なんといっても彼の十八番は、プリングによる3連符や半音階でのオクターブの上昇、スラー、チョップ奏法による装飾音、トレモロ・アーム使いも巧みでアーム・ダウンで鳴らしながらリターン、アーム・アップしながらアクセントをつけスタッカートさせた音を弾いたり、アーミング・ヴィブラートを使ってスライド・ギターやハーモニカの音を真似たり、ボリューム・ノブを回しながらのヴァイオリン奏法など、現在のロック・ギターの原点となる奏法が詰まっている。
ジェフ・ベックが最初に手にしたギターは、たった一本しか弦を張っていない友人から借りたアコースティック・ギターだった。
これは後に彼を敬愛するガンズの
スラッシュ が真似ている。
そして、13歳で組み立てたエレクトリック・ギターは、
彼曰く「派手な黄色に塗ってあって、配線やツマミがむき出しでケースにも入らず持ち歩いていたから、それこそみんなぶったまげたものさ」というものだった。
61年のデルトーンズでは、ローズ・ウッドのストラトキャスターを手にしていたが、プロとしてふさわしい最初のギターは、ザ・ウォーカー・ブラザーズのジョン・ウォーカーから買ったフェンダー・エスクワイヤーだった。
ヤード・バーズでは、テレキャスター、ジャズ・マスター。
さらに当時
ジョン・メイ・オール と演奏していたクラプトンに影響され、ギブソン・レスポールをジェフ・ベック・グループの頃まで弾いていた。
以後、ストラトキャスターとレスポールを弾きこなしていたが、現在はストラトキャスターをフェイバリット・ギターとしているようだ。
1990年には、彼の協力でフェンダー・ジェフ・ベック・モデルも発売された。
彼がアコースティック・ギターを弾く機会は滅多になかったが、ミック・ジャガーの『Just another Night』でのソロに、ギブソンJ-200を使っている。
使用弦は、アニー・ボール・ハイブリット・スリンキーの.009、 .011、.016、.026、.036、.046。
1980年を境にピックを使わず、フィンガー・ピッキングで演奏していることもベック・サウンドの特徴である。
ジェフ・ベックがライブで使用するアンプは、ボックス、マーシャルのいずれか。
ヤード・バーズでは、2台のボックスAC-30とボックス・トーン・ベンダー・ファズ・ボックスを使用。稀にボックス・スーパー・ビートルも使った。
ジェフ・ベック・グループでは、マーシャルの100wスタック。
ベック・ボガード&アピスでは、ユニ・ボックスのスピーカーをつけたサンのアンプと“バッグ”と称するトーキング・モジュレーターを使用。
以後はマーシャル使いとなっている。
また、ジェフ・ベックはエフェクターをほとんど使用しないことでも知られ、80年にアイバニーズのブースターとTycobrahe Paraflanger。
あとは『Guiter Shop』のツアーで、ラットのディストーション、ボスのデジタル・ディレイdd-3を使っていたのみであった。
頑固に流行への追従に抗い、常に自らの音楽生のみを向上させてきたジェフ・ベックの匠的な音楽アプローチが、現在のロック・ギター・スタイルの王道としてフォーマットされていることは、これからのロック・ギター・キッズにとってこの上もない贈り物である。
その偉業はジミ・ヘンとともに永延に語り継がれることであろう。
そのジェフ・ベックは、ジミ・ヘンと交遊があり、ステージを見た衝撃から、
『マジで、廃業を考えたよ』
と、語っていたそうだ……。
●The Yardbirds-Train Kept a Rollin'(1966Live) ●The Yardbirds/Beck&Jimmy Page-Happenings ten Years Time Ago (1966Live) ●Jeff Beck Group & Rod Stewart-Shepe of Things(Live) ●beck,Bogert & Appice-Superstition(Live) ●Beck,Clpton,BB King,Buddy Guy-Sweet Little Angel(Live) ●Blow by Blow/Cause We've Ended as Lovers(Live) ●WIRED/Blue Wind(Live) ●Jimmy Page,Jeff Beck,Eric clapton-Stairway to Heaven(1983live) ●Jeff Beck and Vinnie Colaiuta Stratus(2006Live) ●Beck's Bolero(2006Live at Fuji) Blog Ranking
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2007/05/15(火) 18:58:29 |
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スラッシュ(サウル・ハドソン)は、1965年7月23日英国ロンドン、ハムステッドに生を受けた。
イギリス系ユダヤ人の父と黒人の母との間で、11歳までストーク・オン・トレントで暮らす。
その後1976年に一家は米国カリフォルニア州ロサンジェルスに移住、
レニー・クラビッツ や俳優のニコラス・ケイジを排出したビバリー・ヒルズ高校に進学する。
1978年、13歳の頃に後のガンズ・アンド・ローゼスのドラマー、スティーブン・アドラーに出会いギターを弾き始める。
スラッシュの最初のギターはクラシック・ギターで、ナイロン弦一本で弾いていた。
最初に手にしたエレクトリック・ギターは祖母からプレゼントされたもので、ギブソン・エクスプローラーの安価なコピー・モデルだった。
その後、メンフィスのレスポール・モデル、B.C.リッチのモッキンバードとワーロック、フェンダー・ストラトキャスター、ジャクソン・ファイアーバード・モデル、シャーベルなどを所有したが、ドラッグ中毒の代償として消えてしまった。
15歳のときには、ギターに専念するためハイ・スクールを中退。
1985年、
ガンズ・アンド・ローゼス 結成。87年に同バンドのメンバーとしてデビュー。
ガンズで活躍していた頃、80本以上のギターを所有していたといわれ、ライブでのメイン・ギターは85年にリイシューされたギブソン・レスポール・スタンダード。
これは、ガンズを始めたころからメインで使っていた。
1995年、アクセル・ローズとの不仲でガンズを脱退。
現在はヴェルヴェット・リヴォルヴァーで活動中ではあるが、僕にはガンズの延長にしか見えないし、なによりヴォーカルが癌である……。
70年代に育ったスラッシュも、ご多分にもれず当時ポピュラーだったHR/HMに影響された。
影響を受けたギタリストは、
ツェッペリン の
ジミー・ペイジ 、
ストーンズ のミック・テイラー。
次いで、
エディ・ヴァン・ヘイレン とジェフ・ベックから影響受けた。
エディ・ヴァン・ヘイレンがシーンに登場した頃が、スラッシュがギターを始めた頃で、
「エディがどのくらい上手いとか、ヴァン・ヘイレンがいかに凄いのかは、意識しなかった。ただ、連中のサウンドがかっこよくて、なんかエネルギーを分けてもらえた気がしたんだ」と語っており、実際彼は、こだわりを持たず好きなようにプレイしていた。
聴いていたのは、エアロスミス、テッド・ニュージェント、チープ・トリック、
ザ・フー 、
ブラック・サバス だったといわれ、とりわけエアロスミス『ロックス』、チープ・トリック『チープ・トリックat武道館』、
UFO 『UFOライブ』などを聴きながら独学で1日12時間以上練習していた。
そうしてギターの腕が上達してくると、ほどんどの練習時間をジェフ・ベックの完コピに費やす。
その後、
メタリカ やメガデス、フィアーやセックス・ピストルズなどのスピード・メタル、パンク・バンドに興味を持ち、後にプロデュースを手がけたガンズの『The Spaghetti Incident?』で、彼のパンク好きを証明している。
これは彼が70年代ハード・ロックの臭いを発しながらも、80年代的な先進性を併せ持つ由縁である。
スラッシュのギター・スタイルは上記影響から、ブルースやハーモニック・マイナー・スケールが基本であるが、通常のマイナー・ペンタトニック・スケールで構成したソロを“ブルース・ボックス・ポジション”で弾いたり、エオリアン・モード、ドリアン・モード、ミクソリディアン・スケール、ペンタトニック・メジャー・スケールで弾くこともあれば、メジャー・スケールをそのまま使ってメロディックなフレーズへ展開したりと、独学とはいえかなり先進的なセンスを併せ持ってもいる。
派手なタッピング、スウィーブ・ピンキング、アーミングといった80年代お約束の流行を無視し、70年代ギタリストのようなワイドでスピード感のあるヴィブラート・テクニックを信条としており、左手でプリング&ハンマリングしながら、右手をブリッジに乗せ弦をミュートしながらパーカッシブなサウンドを作り出すことが特徴的で、“ウエルカム・トゥ・ザ・ジャングル”のイントロなどにそれは顕著である。
スラッシュは全てのギターを半音下げてチューニングすることでも知られ、弦はアーニー・ポール・スリンキーのレギュラー・ライト・ゲージ“.010、.013、.017、.026、.036、.046”のセットをダンロップ・トルテックスのパープル2ミリのピックで弾きまくる。
アンプはお約束のマーシャル!
ライブではセレッションのスピーカー4×12入りのマーシャル・シングル・キャビネット。
また、スタジオではワウ・ペダル以外のエフェクターを使うことを嫌い、ギター→アンプのトーンにこだわっていた。
ステージ上では、グラフィックEQ、ヘイルのトーキング・モジュレーター、EMBオーディオのヴォルテージ・コントロール付き特注ワウ・ペダルを使用し、少量のディレイ、エコーはミキシング・ボードでかけ、ネイディー1200・ワイヤレス・システムで演奏していた。
以前もふれたが、グラミー賞で盗難にあったトレード・マークのトップ・ハット、ジミー・ペイジばりにレスポールを腰の位置で弾くスタイル。
あるいは、レスポールのピック・ガードを外すスタイルはプロ・アマ問わず影響を与え、B'Zの松本孝弘なども真似たほどである。
スラッシュのいるガンズ・アンド・ローゼスこそ、ヴァン・ヘイレンに続き僕が最もオリジナル・メンバーでの復活を願うバンドの一つである……。
●Guns N' Roses、Slash's guitar solo(Live) ●Guns N' Roses、Slash's guitar solo-Godfather Theme(Live) ●Slash-Hey Joe Jimi Hendrix Tribute ●Guns N' Roses 、Knockin'on Heaven's Door(Live) ●Guns N' Roses 、Welcome to the Jungle(Tokyo Live) ●Guns N' Roses 、Sweet Child O'Mine(PV) ●Guns N' Roses-Interviews(Axl&Slash's) ●Velvet Revolver、Fall to Pieces(PV) ●Velvet Revolver、Slither(Live) ●Velvet Revolver、Do it for the Kids(Live) Blog Ranking
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2007/05/01(火) 17:36:57 |
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