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大人のロック、イクイップメント講座。

かの名ギタリスト達は、マーシャル・アンプで爆音を発するまでに、いかなるイクイップメントを使用していたのだろうか?
昔の資料が見つかったので、リスト・アップしてみました。
勿論今は、エフェクター等、デジタルに進化しているが何かの参考になれば幸いです。

ジミー・ペイジレッドツェッペリン)】
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●使用ギター
主に1958~60年代製造のギブソン・レスポール(スタンダード6本)。
レスポール・デラックス(68年製、シングル・コイル・ピックアップ)。
ギブソンESD-1275(ツイン・ネック)。
ダン・エレクトロ。
フェンダー・テレキャスター(オールドと、セカンド・ストリング・ベンダー付きの2本)。
フェンダー・ストラトキャスター。
ヤマハSG-2000。
GRギター・シンセサイザー。
●使用アンプ
マーシャル3を200wに改造して2セット使用。
アンプ2台に、12インチ・スピーカー4本入りキャビネットを4台。ステージではこのセットを2セット用意し、1セット分を予備とした。
●使用エファエクター
ジェン・クライ・ベイビー。
カスタム・メイドのディトーション・ユニット。
マエストロ・エコー・プレックスEP-3。
マエストロ・ファズ・トーンFZ-1B。
マエストロ・テルミン。
MXRフェイズ90。
イーブンタイド・クロックワークス・ハーモナイザー。

★天国への階段ソロ(Live)


リッチー・ブラックモアディープ・パープルレインボー)】
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●使用ギター
いわずと知れたフェンダー・ストラトキャスター・マニア。
特にニュー・モデルをシングル・コイルのままで好んで愛用する。但しそれぞれ性格の異なるシングル・コイル・ピックアップを組み合わせてマウントしていた。
当初はメイプル・ネック仕様を使っていたが、後年はローズ・ネックのフィンガー・ボードを削ったスキャロップをトレード・マークとした。
●使用アンプ
マーシャル社の社長ジム・マーシャルが自ら改造した500wを2セット。(1セットは予備)
これは特殊な真空管が装着されており、スタンダード・モデルの5~6倍のパワーを誇った。
スピーカー・キャビネットは、JBLスピーカー4本入り4台。
●使用エフェクター
ホーンバイ・スクューズ特製トレブル・ブースター。
コンパクト・フェイジングAフェイズ・シフター。
MXRフェイズ100。
マーシャル・リヴァーブ・ユニット23。
ティアック3ヘッド・オープン・テープデッキ(エコー・マシンとして)。
ムーグ・タウラス・ベース・シンセサイザー。

★再結成パープル、ギターソロ(85Live)


エドワード・ヴァン・ヘイレン(ヴァン・ヘイレン)】
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●使用ギター
1ハム・バッキング、1ボリューム、1トーンのカスタム・ギター5本が主体。
3台がシャーベルのパーツをカスタマイズしたストラトキャスター、内2台にフロイト・ローズを装着。
残り2台は、イバニーズのデストロイヤー(エクスプローラー・シェイプ)、ギブソン・レスポール・カスタムを改造。
他には、ギブソン・サンバースト・レスポール(1958年製)。
ギブソンES-335(1958年製)。
ディーンTHE V。
●使用アンプ
マーシャル・アンプ新旧9台(50w、100w混合)。
フラッグ・システム製12インチ・スピーカー8本入り9台を会場の広さに応じて使い分けていた。
●使用エフェクター
MXRフランジャー。
MXRフェイズ90。
マエストロ・エコー・プレックス(2台)。
ボス・グラフィック・イコライザー(2台)。
カスタム・メイドのディトーション・ユニット。
ナスティ・ラジオ・コントロール・システム(ワイヤレス)。

★ギターソロ(Live)


ゲイリー・ムーア
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●使用ギター
ギブソン・サンバースト・レスポール(1959年製)。
ギブソン・メロディ・メーカー(1959年製)、ディマジオPAFピックアップをマウント。
ギブソン・レスポール・ジュニア(1955年製)、ディマジオPAFピックアップをマウント。
フェンダー・ストラトキャスター(1974年製)。
シャーベル・ストラトキャスター、ディマジオPAFピックアップをマウント。
ギブソン・サンバースト・レスポール(1957年製)、ピーター・グリーンがフリートウッド・マック時代に使っていたものを譲り受けた。
●使用アンプ
マーシャル・ユニット3。100wアンプ1台。12インチ・セレッション・スピーカー4本入りキャビネット2台。
●使用エフェクター
MXRフェイズ100フェイズ・シフター。
マエストロ・エコー・プレックスEP-3エコー・マシン。
ダイナコード・デジタル・リヴァーブ・システム。この三つをエフェクト・ボードで操る。
因にこのエフェクト・ボードはシン・リジィ時代の旧友スコット・ゴーマムと同じものだそうだ。

★ジミ・ヘン“Red House”カヴァー(2004年Live)


マイケル・シェンカーUFO/マイケル・シェンカー・グループ)】
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●使用ギター
当初はギブソン・レスポール・スタンダード(ビグスビー・トレモロ付き)を使用。
ギブソン・フライング V (1963年製)。ハムバッキング・ピックアップ2つの限定生産モデル。
ギブソン・フライング V (1969年製)、再生産モデル、シリアル・ナンバー#59。
●使用アンプ
マーシャル・ユニット3を2台。100wアンプ2台、14インチ・セレッション・スピーカー4本入りキャビネット4台(UFO時代)。
以後は、マーシャル・ユニット15。50wアンプ4台、12インチ・セレッション・スピーカー4本入りキャビネット4台。
●使用エフェクター
ジェン・クライ・ベイビー。イコライザーとして使用。踏み込んだときに最良のサウンドを得るために内部のギア(歯車)をカスタマイズ。
WEMテープ・エコー。リヴァーブ、ブースターとして使用。

★UFO“Rock Bottom”(1975年Live)


・Gibson
・Fender
・ダン・エレクトロ
・シャーベル
・イバニーズ
・ヤマハ
・ディーン
・マーシャル






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テーマ:YouTube動画 - ジャンル:音楽

  1. 2007/03/27(火) 18:09:20|
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リッチー・ブラックモア/大人のギタリスト講座6。

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1945年4月14日。
英国サマーセットの田舎町ウェストン・スーパー・メアにて、リッチー・ブラックモアは生を受けた。
彼がごく幼い頃、家族はロンドン近郊の町ヘストンに移転。
相当なわんぱく小僧として少年時代を過ごす。

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10歳頃から音楽に興味を抱き始め、11歳の誕生日には父親にスパニッシュ・ギターをプレゼントされた。当初は見様見真似でギターをかき鳴らしていたが、その後クラシック・ギターのレッスンを受ける。
しかし、一年分のレッスン料を支払ったにも関わらず、リッチー少年にはあまりにも退屈なものであり、嫌々レッスンに通っていたそうだ。
後年のクラシック・フレーズ、様式美への感化は、未だ幼いリッチー本人にも予想だにし得なかった。

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そして14歳の頃、念願のエレクトリック・ギター、ホフナー・クラブ=50を手に入れる。
やはり当初は独学で弾きまくる日々を過ごしていたが、たまたま近所に住んでいたザ・ワイルド・キャッツというバンドのビッグ・ジム・サリバンに出会い彼のギター・テクニックにすっかり魅了されてしまう。
半ば押し掛け同然でサリバンのもとへ通いつめ、あらゆるギター・テクニックを伝授されたという。

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自信をつけたリッチー少年は中学卒業後、居ても立ってもいられなくなりロンドンへ乗り込む。
働きながら数々のローカル・バンドを渡り歩き、16歳でミュージシャンとして成すべく、ハンブルグへ出向く。その後ロンドン、ハンブルグを出入りしながら、アウトローズ、ハインツ、ロート・サッチのバック・バンド、サベージ等のバンドで腕を磨いていた。
この頃、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ等ともセッションしている。

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サベージで弾いていた22歳のとき、“歴史が動いた”。
あのジョン・ロードから誘いがかかり、ロンドンでラウンドアバウトを結成。
このバンドが1968年、ディープ・パープルに改名。
ロック史上、あまりにも有名なハードロック・バンドとして煌めきの軌跡へと踏み出すのである。

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ディープ・パープルはデビュー・シングル“ハッシュ”から、立て続けにアメリカで成功する。
当初はバンド・リーダーであるジョン・ロードのもと、クラシック要素を踏んだんに取り入れたスタイルであったが、70年発表のアルバム『イン・ロック(In Rock)』で、バンドのイニシアティブをリッチーが握り、鮮烈なハードロック・サウンドを打ち出した。
我々が親しんだ、ディープ・パープル・サウンド(リッチー・サウンド)は、『イン・ロック(In Rock)』で開眼したのである。
その後の輝かしいパープルの威光は過去記事を参照されたい。

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そして音楽的な対立から、1975年にバンドを離れ、パープル時代のサポート・バンドだったアメリカのHRバンド“エルフ”のメンバーを伴い、レインボーを結成する。

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前回のジミー・ペイジが、ペイジありきのツェッペリン、ツェッペリあってのペイジだったのに対し、リッチーはあくまで孤高でワンマンである。
パープル脱退後のレインボーでそれは顕著になる。メロディこそ共作だが基本的にコード進行はリッチーがこなし、クラプトン、ベック、ペイジ等が意外に基本テクニックが曖昧なのに対し、何といっても正確無比なテクニック(ピッキング、フィンガリング)を誇り、ジミ・ヘンのブルース・フィーリング以外は完全に独自の演奏スタイルを確率させている。

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以後のヴァン・ヘイレンはもとより、直接リッチーをリスペクトし続けるイングヴェイ等、現在の“早弾き”の先駆であり、ときとしてフィーリングが欠落した、単なる早弾きギタリスト的な酷評がつきまとうこともあるが、あまりに有名な“スモーク・オン・ザ・ウォーター”のソロ頭8小節を観てもペンタトニックに固執しない、細やかなフィンガー・テクかつスピーディなピッキング、ポップ・センス漂うメロディー・ラインは充分歌心にあふれていることがわかる。
それは、下記リンク動画ラストのレインボー“ストーン・コールド”等のポップ・ナンバーを観れば一目瞭然なのだ!



●Deep Purple/Speed King(1970Live)

●Deep Purple/Fireball(1972Live)

●Deep Purple/Highway Star(1972Live)

● Deep/Purple Child in Time(Live)

● Deep/Purple Rithie Blckmore“Break Guiter”(1974Live)

● Deep/Purple Smoke on the Water(1973Live)

●Rainbow/Gates of Babylon(PV)

●Rainbow/Guitersoro(1980Live)

●Rainbow/Stone Cold(PV)






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  1. 2007/03/20(火) 16:21:06|
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ジミー・ペイジ/大人のギタリスト講座5。

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「世界で共通なのは、数学と音楽だけだ」

ジミー・ペイジの人生語録だそうだ。
本名ジェイムス・パトリック・ペイジ。
英国ミドルセックス、ヘストンにて、1944年1月9日、父ジェイムスと母パトリシアの間に一粒種として生を受ける。
8歳のときに音楽に興味を持ち、ラジオや友人宅でピアノに親しむ自転車好きのスポーツ少年でもあった。

そして彼が13歳のときに、“歴史は動いた”。
ロックに寛大だった両親のもと、母親がスパニッシュ・ギターを買い与えた。
16歳でニール・クリスチャン&クルセイダーズに参加、初のプロ・ステージを踏む。
僅かなライブ活動ながら、若き天才ギタリストとしての名を馳せることになるが、ハード・スケジュールにより身体を壊しバンド脱退。

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彼は絵の道を選択し、アート・スクールに通いだす。
しかし、週末には自宅に仲間を集めギターを手にセッションを繰り返す。
仲間が仲間を呼び、友人のガール・フレンドの弟も彼を慕い足を運んだ。
それが、ジェフ・ベックである!

この頃、噂が噂を呼び、ローリング・ストーンズの育ての親アレクシス・コーナーから彼のバンド“ブルース・インコーポレイテッド”へ加入の誘いを受けるが、絵の道にこだわり辞退している。
そのかわり、彼らが毎週木曜にマーキー・クラブで演奏しているステージにはセッションで参加。

このとき、観に来ていたエリック・クラプトンとの交遊が始まる。
18歳で初レコーディングを経験。
このシングルは全く売れなかったにも関わらず、スタジオ・ミュージシャンとしての依頼が殺到するようになる。
そのため独学で譜面の読み書きを習得。仕事をこなしていく。
18歳でスタジオ・ミュージシャンとして英国中の話題の的となった彼は、ついにアート・スクールを退学。
1963年~65年の間に彼が参加したレコードは、ザ・フー、ローリング・ストーンズ、キンクス、ドノヴァン等々、当時の英国のレコードの90% に至ったという。

1966年6月、22歳のときヤード・バーズに加入。
ジェフ・ベックとのツイン・ギターが話題となるが、同年暮れにベックが脱退。
ヤード・バーズはジミーのサイケデリック傾向一色となり、メンバー間の諍いを招き1968年7月のルートン工業大学のステージを最後に解散する。

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バンド活動への限界という失意のもと、ロンドンから30マイルの郊外ハングホーンに引き蘢った彼はテームズ河岸ヴィクトリア王朝風の船小屋で暗中模索を続けていた。
そして、ニュー・ヤード・バーズ結成を誓う。
その頃、ジミー・ペイジのニュー・ヤード・バーズ構想はロンドン中の話題の的となったといわれる。
まもなく彼の信棒者ジョン・ポール・ジョーンズがベースとして選ばれ、ロバート・プラント(V)、ジョン・ボーナム(D)が参加。ニュー・ヤード・バーズが始動する。
しかし、このユニットの可能性に驚愕した彼は全く新しいバンドの未来を予見したためバンド名を改名。

ここに晴れてレッド・ツェッペリンが誕生するのである。

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興味深いのは、彼がこのとき如何にレッド・ツェッペリンとしてのこのユニットに惚れ込んでいたかである。
後年1980年9月24日“ボンゾ”ことジョン・ボーナムが悲劇の急逝。
残ったメンバーはボンゾの後任を全く考えなかったという。
「ボンゾがいないなら、ツェッペリンも終わりだ」
多分、ボンゾでなくとも4人のうち誰かが欠けても一緒だったはずだ。
同年、12月4日解散を表明。
1982年『CODA』で、文字通り“終結”する。

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レッド・ツェッペリンの始動から解散まで、ジミー・ペイジが究極としたジョン・ポール・ジョーンズ、ロバート・プラント、ジョン・ボーナムの個性が彼に与えた影響は顕著であり、この3人がいなければジミー・ペイジはツェッペリンをここまでのバンドには出来得なかったであろうし、彼自身の演奏スタイルもエリック・クラプトンやジェフ・ベックと並び賞されることもなかったであろう。

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テクニック面でいうと、アレンジメント・ソロ(フレージングをあらかじめ決めたソロ演奏)が特徴的で、スタイルとしてはクラプトン、ベック、ジミ・ヘン同様B.B.キング、バディー・ガイ、フレディー・キング等のブルース・ギターの影響が濃い。
しかし、名曲“天国への階段”のイントロを観てもブルースのペンタトニックを基調に、6th/F音を活用し、独自のメロディ・ラインを構築している。
ソロ以外のバッキングの才能も秀逸で、“ブラック・ドッグ”“ハート・ブレイカー”など、リフの天才と賞賛され、以後のHR/HMギタリストのお手本として羨望の的であることはいうまでもない。

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まさか、このブログを読んでくださる方にレッド・ツェッペリンを知らない方はいないと思うが、もし未だ貴方がツェッペリンを聴いていないなら、是非聴いてみてほしい。
リフ主体のHR/HMサウンドの基本が、全て網羅されていることに衝撃を受けるはずだ。


※今回はYouTube直リンではありませんが、貴重な動画発見。
面倒でもURLを入力して、お楽しみください。それだけの価値はあります!!


●Whole Lotta Love
http://www.drummerworld.com/Videos/johnbonhamwhole.mov

●Mody Dick
http://www.drummerworld.com/Videos/johnbonhammobydick.mov

●The Ocean
http://www.drummerworld.com/Videos/johnbonhamocean.mov

●Rock And Roll
http://www.drummerworld.com/Videos/johnbonhamrocknroll.mov

●Kashmir
http://www.drummerworld.com/Videos/johnbonhamkashmir.mov





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  1. 2007/03/13(火) 15:15:17|
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ボストン/大人になれないオヤジのロック61。

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アメリカン・プログレ・ハードの代名詞、ボストン(1976年~)です。

アメリカン・プログレ・ハードというお気軽なジャンル名は、かの渋谷陽一氏(ロッキング・オン社長)が冠したそうだが、以後の同色バンドを列挙すると、
@カンサス
ジャーニー
@スティクス
@フォリナー
@REOスピードワゴン
@TOTO
など、“産業ロック”の先駆こそがボストンであるともいえる。
以前も書いたが、僕のいう“産業ロック”は、バンド・アンサンブル(バランス)を重視し、HR/HMファン以外の音楽ファンにも受け入れられるサウンド指向を有し、結果アメリカン・マーケット(世界市場)で成功するミュージシャンという解釈だ。

例えば、日本中を駆け回る陸送トラックのドライバーが、もれなく演歌好きだとする。
対して、巨大なアメリカ合衆国では他民族が多種多様な趣向性を持つ。
だから、カントリー・ミュージックが一番! あるいはZZ.TOPが最高にリラックするとか、ガンズがいいとか、ブラコンだ! とか、コンボイ・トラックのドライバーにも色々存在するのが合衆国なのだ。
そんな趣向性の壁を取り払って、万人受けを目指したのが“産業ロック”だといえばわかるだろうか?
まあ、日本のトラフィック・ドライバーが全て八代亜紀好きというのも乱暴ないい方ではあるが。

さて、話をボストンに戻そう。
ボストンとは、即ちトム・シュルツ(1947年3月10日生まれ)のことである。
今、デビュー・アルバム76年『幻想飛行(BOSTON)』を聴きながら書いているが、このアルバムはトム・シュルツが自宅アパートに構築した多重録音スタジオで独りで作り上げたデモ・テープが基になっている。
当時、テープを聴いたCBSはバンドだと信じて疑わなかったそうだ。
だから『幻想飛行(Boston)』は、結局シュルツのデモ・テープをプロ・レベルで再現する作業に終止した。
ボーカル以外のほとんどのパートはトム・シュルツの演奏である。
アルバム発表後、より確実なセールスに結びつけるライブ活動のためCBSの強い意向により、その気がなかったシュルツに渋々オーディションをさせ、メンバーを寄せ集めたほどだ。

トム・シュルツは7歳でピアノを習い、マチューセッツ工科大学在学中に独学でギターを習得し、卒業後ポラロイド社に就職したバリバリのエンジニア畑の人である。
自宅の録音システムもそんな電気工学の知識から構築された。

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この電気工学エンジニアというところが特筆すべき点であり、僕がボストンを聴くきっかけにもなった。当時プレイヤー・マガジンの色々なロック・ギタリスト・インタビューを読んでいたのだが、一様にレコーディングにロックマンを使った、という記述があったのだ。
これはいわゆるヘッドホン・ギター・アンプで、トム・シュルツが考案、開発、製品化した。
このロックマンをエフェクターがわりに、多くのギタリストがスタジオ録音に使用していたのだ。
実際シュルツは、1978年発表の2ndアルバム『ドント・ルック・バック(Don't Look Back)』以後、3rdアルバムの制作そっちのけで、ロックマン他エフェクターなどの開発に没頭し、数々のパテントを取得している。
今ではトム・シュルツは世界的な楽器メーカーSR&D(Scholz Research and Development) を設立。 “ロックマン”はエフェクター・ブランドとなっている。

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僕はそれを知ってから一気にアルバムを買いそろえた口で、ジャーニーから本家ボストンに行き着いた。
1986年『サード・ステージ(Third Stage)』まで聴いていたが、以後94年の『ウォーク・オン(Walk On)』発表まで8年、2002年『コーポレイト・アメリカ(Corporate America』まで8年と、ファンの間では“8年待てば新譜が聴ける”というジンクスがあるそうだ。

ってことは、次は2010年である……。



●お宝!! Don't look back(live) ごめん!(今回はこれしか見つかりませんでした)



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  1. 2007/03/06(火) 19:47:25|
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Author:noodles2
ブラックストライプへようこそ!
ロックとロックな生き方を愛し、模索する1957年生まれ。
大人になれないオヤジのロック・レビューです。


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