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ブラッド・ギルス&ジェフ・ワトソン/大人のギタリスト講座3。

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“大人のギタリスト講座”と称して、80年代メタル・シーンで活躍した若手(当時)ギタリストを紹介しているわけだが、今回はナイト・レンジャーの顔ブラッド・ギルスとジェフ・ワトソン!

当時のシーンとしては、スーパーと冠するギタリストを内包するバンドのほとんどが、サウンドのイニシアチブをギタリストが握っていた。
しかし、ナイト・レンジャーはちょいと特異なケースである。
コンポーズの中心はジャック・ブレイス(B)とケリー・キージー(D)であり、リード・ヴォーカルも兼任、実際ステージではケリー・キージーがドラムセット横置きでフロントを張っていた。
そして、バンド・サウンドのポップ感(産業ロック的)な仕上げはアラン“フィッツ”ジェラルド(K)が担っていた。
それでもブラッド・ギルスとジェフ・ワトソンはバンドの顔として存在しながら、全体像でいえばバンドの一員として、きっちり仕事をするという各メンバーの力量が均一に統制されたバンド・スタイルがナイト・レンジャーの特色である。
詰まり、決してギターだらけになっていない分、万人受けするサウンドであり“売れ線”であるといえる。
ことあることに僕は“産業ロック”という常套句を使うが、60~70年代のギター・サウンドが前面にフィーチャーされたハード・ロック・サウンドに囚われず、よりバンド・アンサンブルを重視することで万人受けするサウンドを目指したのが産業ロックだと、僕は捉えている。
結果、チャートに頻繁に顔を出すこととなり、“チャートの常連(売れる音)”を良くも悪くも産業ロック的と揶揄するようになったのだ。
古くはバッド・カンパニーから始まり、フォリナー、ボストン、ジャーニー、エイジア、ボン・ジョヴィ……、数えれば切りがない。

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さて、ブラッド・ギルスとジェフ・ワトソンに話を戻そう。
1stアルバム『Dawn Patrol』の代表曲“Don't Tell Me You Love Me”ひとつとっても、
ブラッド・ギルスは、ノーマルでも充分凄腕であることは周知のところだが、フロイド・ローズを駆使したアーミング・プレイはヴァン・ヘイレン以降のギタリストとしては屈指である。
特にハーモニクスに掛けるアーミングではシンセサイザーのポルタメント・トーンを彷彿させるフロイド・ローズならではのプレイを引き出し、さらにボディを叩くことによるモジュレイションぽいヴィブラート・トーンも、フローティング・セッティングのフロイド・ローズだからこそのトリック・プレイであり、後世のギタリストにかなりの影響を与えた。

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一方ジェフ・ワトソンはギブソン・レスポールで脅威のアルペジオ的ライト・ハンド16分音譜速弾き(8本指奏法)で、まさに“走り屋”的なスピード感を演出している。
二人ともリア・ハムバッカーのストレートなオーヴァー・ドライブ・サウンドがメインだが、当時の傾向として(多分プロデューサーによる)、ショート・ディレイ類での加工というツボは押さえていた。

いずれにせよ当時、ブラッド・ギルスとジェフ・ワトソンというとんがったギタリスト2人を内包しながら、シーンのコマーシャリズム(産業ロック志向)に翻弄され浮沈したことは残念ではあったが、直接的にも間接的にも今のギター・キッズに多大な影響を与えたナイト・レンジャーの功績は大きいのである。


※フロイド・ローズ:80年代にヴァン・ヘイレンはじめ多くのギタリストが装着したアーム・ユニット。従来のフェンダー・ストラトキャスターのアームは少なくとも3本でテンション・バランスをとっていたが、フロイド・ローズでは2本でとれるため軽いアクションで微妙なアーミング・プレイが可能になった(ブラッドのボディを叩くことによるヴィブラートがこれ)。また逆に、ネック部分で弦を固定するため大胆なアーミングでもチューニングを狂わすことなくプレイができた。

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●Don't Tell Me You Love Me(PV)

●ブラッド・ギルス、ギターソロ(1982Live)

●ジェフ・ワトソン、ギターソロ(1982Live)

●Don't Tell Me You Love Me(アコギ・バージョン!)





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  1. 2007/01/30(火) 17:20:49|
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フィル・コリン(現デフ・レパード)/大人のギタリスト講座2。

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今回はフィル・コリンズじゃないよ、フィル・コリン!
因みに彼は1957年生まれで、僕とタメです……。

フィル・コリン(現デフ・レパード)は、1982年にガールという日本風にいえばビジュアル系ロック・バンドから、旧知の仲だったデフ・レパードに迎えられた。
アルバムでいえば、『炎のターゲット(Pyromania)』からの参加となり、既に制作中だったため本作ではリード・パートのみの録音だったといわれる。
因みにフィル参加前のリード・ギタリスト、ピート・ウィリスは本作でバッキング・トラック段階までプレイしており、アルバムが8割は仕上がっていた中での交代激だった。

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ガールは1980年『シアー・グリード』で、ルックスもさることながら確かな音楽性を有していたにも関わらずセールス的には低迷していた。結局、長期にわたり難航していたセカンド・アルバム発表前にフィル・コリンは脱退した。

僕は前にもふれたが、『炎のターゲット(Pyromania)』が一番のお気に入りである。
むろんセールス的にも成功を納めた『ヒステリア(Hysteria)』、『アドレナライズ(Adrenalize)』の完成度はいうに及ばないが、ギター好きな僕には“こ綺麗にまとまり過ぎ”な感がある。
『炎のターゲット(Pyromania)』における、巧みでスリリングかつパワフルなギター・アンサンブルは、冒頭にも説明したようにほぼピート・ウィリスとスティーブ・クラーク(SG.1991年、1月8日死亡)のものである。
『炎のターゲット(Pyromania)』のフィルのソロ・パート以外を注意して聴いてみると、ピート・ウィリスのアグレッシブ志向が見え隠れする。

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フィル・コリンのギター・スタイルは、60~70年代のブルース、ハード・ロック・テイストを匂わせながらも、“フォトグラフ”などでは、よりオープンなメジャー・スケールを駆使したポップ・センスが80年代型であり、“ロック・オブ・エイジス”のソロでは3連譜のモタりやトリル、ハーモニックスのアーミングなどでそれは顕著である。
サウンド・メイキングは、ハムバッカーにマーシャルのナチュラル・オーバードライブ・サウンドが主体だが、ショート・ディレイにコーラス、フランジングを施したモジュレイションが特徴的だ。

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『炎のターゲット(Pyromania)』の発展形として『ヒステリア(Hysteria)』、『アドレナライズ(Adrenalize)』への進化と考える向きが多いと思われるが、僕にはちょっと異論がある。
聴き込めば聴き込むほどに、1st『オン・スルー・ザ・ナイト(On through the Night』、2nd『ハイ・アンド・ドライ(High 'N' Dry)』、『炎のターゲット(Pyromania)』までがギター主体のロック志向な時期であり、『ヒステリア(Hysteria)』から新たな境地“新世代コンセプト・ロック”
とでもいうべき時代に転化している。

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フィルのギターは『ヒステリア(Hysteria)』ではかなり控えめで、リード・ギターとはいえスティーブ・クラークとのアンサンブル重視に徹している。
そして、悲願の全米No.1を達成した『アドレナライズ(Adrenalize)』においては、スティーブ亡き後、彼の分の穴埋めもしているがアルバム・コンセプトの一部、“歯車”としてのギターに終止する。
これはガール時代のフィルから想像もできなかった変貌であり、デフ・レパードというバンドの音楽性・スタイルに多大な影響を与えているとしか思えないのである。
詰まり、フィル参加を期に当時流行だったギター主体のシーンから逸脱することにより、バンドは新しい局面へと動きだし、デフ・レパードという“新世代コンセプト・ロック”という境地に達したと思われる。結果、オリジナル・メンバーのスティーブ・クラークをも迷走させ悲劇へと誘因したのではないだろうか?
『アドレナライズ(Adrenalize)』におけるフィルのギターは、壷を押さえた“匠”な渋みが光っており、あまりにお洒落である。
彼の模索するサウンド・コンセプトは乱暴ないいかたをして“ラッシュ”のようでもあり、ギター・スタイルをして、ポリスのアンディ・サマーズに通じるものがあると、僕は思う。
それでも、HMとしての“味”はキープされているところが特筆に値する。

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現在のデフ・レパードには、ライブ対策のためか元デイオホワイトスネイクギタリスト、ヴィヴィアン・キャンベルが加入しているが、いずれせよフィル・コリンこそがキー・マンであり、60年代からのHR、80年代からのHM史に新しい“風”を吹き込んだ功績は大きい。


●ガール時代(PV)

●Rock of Ages(PV)

●Photograph(1988Live)

●Love Bites PV(Hysteriaから)

●Tonaight PV(Adrenalize)から

●Miss you in a heatbeart(1995Live)ヴィヴィアン・キャンベルと!


●フィル・コリン、ギター講座!





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  1. 2007/01/27(土) 12:00:00|
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ヴァンデンバーグ/大人のギタリスト講座1。

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さて、あのリッチー・ブラックモアに、ツェッペリンとヴァンデンバーグが好きだ! といわしめたエイドリアン・ヴァンデンバーグです。
オランダ出身のエイドリアン・ヴァンデンバーグは、国内でスタジオ・ワーク、セッションで腕を磨き、1982年『ネザーランドの神話(Vandenberg)』で自らのファミリーネームを冠して“ヴァンデンバーグ”としてデビューした。

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デビュー・アルバムはジミー・ペイジ所有のソル・スタジオで録音され、エンジニアはやはりペイジの相棒スチュアート・イプスが担当。録音時、ペイジが時折顔を見せてはアドバイスをしたといわれる名盤である。
僕も当時かなりハマったバンドの一つで、84年の日本公演にも行った。
ナイト・レンジャーデフ・レパード等と並び、典型的な80年代型のメロディアスかつストレートなロック・サウンドで、ブラッド・ギルス、フィル・コリン、ジョン・サイクスとともにエイドリアンは“四天王”とされた。

バンドは当時の産業ロックの波に翻弄され、84年にセカンド・アルバム『誘惑の炎(Heading for Storm)』を発表するが、ブラコンが上位を占めていたチャートには乗り切れなかった。
サード・アルバム『alibi』は前作までの不振と反省からレコード会社が深く介入し、外部プロデューサーを起用、アダルトなロック志向を施すが、これまた裏目となり、当時シーンを賑わしていたLAメタル勢の派手さに押され、86年、エイドリアンのホワイト・スネイク加入により惜しくも解散した。
しかし、下記リンク(YouTube)を観ると最近もライブ活動を行っている模様だ。

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エイドリアンのギター・スタイルは、クラシックの影響からくるメロディアスなフレージング、クライ・ベビーによるパラEQミッド・レンジ・ブースト・サウンド、3連譜のモタり、3~6弦のミュートなど、本人は否定しているらしいが明らかにマイケル・シェンカーからの影響が強い。
だが、特筆すべきは全ての楽曲、アレンジ、プロデュース等をこなす彼のスタイルは単なるギタリストの枠を越えた、サウンド・クリエイターとして群を抜いていた。

“ヴァンデンバーグ”が日本でこそ受け入れられたものの、浮沈した理由はプロデュースの問題だと僕は思っている。むろんエイドリアンによるセルフ・プロデュース(1st.2nd)は素晴らしいのだが、願わくばデフ・レパード、シティ・ボーイ、フォリナー、AC/DC等を手がけたロバート・ジョン(マット)ランジあたりが手がけていれば、バンドの運命は大きく変わっていたのではないだろうか。
当時アトランティックともあろうレコード会社が、何故そうしなかったのか?
エイドリアンは最近、画家になったともされるが、いかにも惜しいギタリストである……。


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●1983年、Friday night(PV)

●1983年、Different Worlds(PV)

●1984年、日本公演! Different Worlds

●Burning Heart(PV)

●1984年、日本公演! Burning Heart

●1985年、Once in a lifetime

●2004年、Burning Heart(live)

●デビッド・カヴァーデール&エイドリアン・ヴァンデンバーグ


●1989年、ホワイト・スネイク、スティーブ・ヴァイと(PV)

●1994年、ロン・ヤング(リトル・カーサー)、ルディ・サーゾ(クワイエット・ライオット)、
トミー・アルドリッジ(オジー・オズボーン・バンド)と!




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  1. 2007/01/25(木) 16:58:34|
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5人目のビートルズ/大人になれないオヤジのロック59。

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ザ・ビートルズを世に送り出し、間接的にザ・ローリングストーンズをも発掘したブライアン・エプスタイン(ブライアン・サミュエル・エプスタイン1934年9月19日~1967年8月27日)を語らずしてビートルズは理解できない。デビューから、ブライアン死後の『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』以降のビートルズまで、ブライアンの影響を考察してこのシリーズの終章としたい。(また書くかも知れないけど)

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1960年代初め、リヴァプールのドッグに建ち並ぶ、陰気な倉庫街を縫うマシュー・ストリートのとある場所で、毎日のように昼下がりになるとティーンズの行列ができていた。
それが、初期ビートルズの箱(ライブ・ハウス)であった“キャバーン”である。
当時のビートルズは、ジョン、ポール、ジョージ、そしてドラマーのピート・ベストだった(リンゴが参加したのは62年8月)。

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そして、ロック史上記念すべき日となった61年10月28日。
キャバーンの眼と鼻の先に位置するレコード店、NEMS(ノーザン・イングランド・ミュージック・アンド・エレクトリック・インダストリーズ)にボブ・ウーラーという若者が、ビートルズの“マイ・ボニー”というシングル盤を買いにきたことで正に“そのとき歴史が動いた”のである。
経営者であったブライアン・エプスタインは、若者が所望したザ・ビートルズの存在を知らなかったし、“マイ・ボニー”はトニー・シェリダン・アンド・ザ・ビート・ブラザーズというアーティスト名で登録されており、その伴奏にビートルズが参加していただけだった。
後日やっと入荷した“マイ・ボニー”をブライアンは店のウインドーの片隅にディスプレイしておいた。
ところが、その素性の曖昧なシングル盤が、当時トップ・スターだったプレスリーやクリフ・リチャードの新譜よりも先に売り切れてしまったのだ。
狐に摘まれたような現象に驚愕したブライアンは翌月9日、友人を伴って初めてキャバーンの薄汚れた階段を下る。そして歴史は始まったのだ。

ブライアン・エプスタインは家具商を営む裕福なユダヤ商人の御曹司で、母親の過保護で育った典型的なスノッブであり、キャバーンなど縄張り外だったし、そんな場所にたむろする若者に感情的な偏見を抱いていた男である。
そのブライアンが陰気でじめじめした穴蔵でオーディエンスを狂乱させている爆音の主ビートルズに一目惚れしたのである。
実際、その帰路同好したアリステア・テーラーに「彼等のマネイジャーをやろうじゃないか、彼等をスターにしよう」と取り憑かれたように話したという。
ブライアンが正に一目惚れしたのは、彼が同性愛者であり、ビートルズを“性的欲求の象徴”と捉えたからであり、さしずめ美男なピート・ベストに惚れたとされ、さらに、ジョンとの恋愛関係も何かと物議を醸している。
彼は同性愛者という性癖故幼少から、軍隊生活に至るまで様々な問題を引き起こした問題児でもあり、唯一ハイスクール時代に教師から演劇の才能を見出され、主役を演じ、退役後演劇学校にも通っていた。しかし、ここでも同性愛者としての問題を引き起こし逮捕され退学する。
夢破れ、リヴァプールに戻ったブライアンは父親の家具店のビル内にオープンしていたNEMSをまかされる。彼は商才に長けNEMSはやがてビルのほとんどを占有するまでに成功する。

演劇への夢の破綻。
そして、その原因が自らの“同性愛者”という性癖であることにもがき、失意の日々を移ろいでいたブライアンは、ビートルズという新たな輝ける希望を見出したのである。
ビートルズを発見してからのブライアンは、4人にはモヘアのスーツを義務付けながら、自分は革ジャンを身にまとい“第5のビートルズ”になろうと努力したという。

この頃のビートルズは、リヴァプールとハンブルグの人気者からイギリスのビートルズになりたいと切望していた時期であり、ジョンはブライアンにこういったそうだ。
「あんたが金を出して、俺達をヒット・チャートに乗せてくれるのかい?」

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ブライアンはビートルズを真剣に世に送り出そうと努力したし、御存知のように実際成功もした。
だが、1967年8月27日、睡眠薬の過剰摂取により死去する。
ビートルズをライブバンドと位置付けていたブライアンは、スタジオ活動に専念し始めたメンバーへの不信感と、自らの契約切れが迫っていたことに悩み、その焦燥から薬の過剰摂取を招いたとされる。そして、契約に関するごたごたから恋愛関係にあったジョンがブライアンへ失望し、ヨーコに傾倒していったことも要因の一つだとされ、その死は自殺だったのでは? とも考えられる。
いずれにせよ真相は謎に包まれている……。

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ブライアンが初めてビートルズに逢いに行ったとき、キャバーンに同好したアリステア・テーラーはブライアンの死後、4人が最も信頼する“友人”として彼等を公私ともに世話をやき、後年アップルの社長も努めることになる。
事実、ビートルズはブライアン亡き後も偉大なる軌跡を残したことはいうまでもない。
そういう意味で、アリステア・テーラーこそザ・ビートルズを純粋にアーティストとして理解し支援したといえる。

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よく芸能ゴシップにもなるが、アーティストと恋愛関係になるマネージャーは失格だといわれる。
それは内外共通であろう。
ブライアン・エプスタインは個人的な“性的欲求の象徴”としてザ・ビートルズに惚れていたことにより、それが彼が切望した“5人目のビートルズ”になることを邪魔したのである……。

※参考文献『ジョン・レノン伝説』朝日新聞社


●Brian Epstein Blues

●The Beatles in Japan





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  1. 2007/01/19(金) 20:19:12|
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ザ・ビートルズ2/大人になれないオヤジのロック58。

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映画『レット・イット・ビー』は観ましたか?
今回はジョン・レノン派からは、なにかと揶揄されがちなポールと、ジョンの関係を考察してみたい。

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僕は中学の時、ライブで劇場公開を2度続けて観た。
勿論、アルバムも世界ヒットし、巷にはいつも“レット・イット・ビー”が鳴っていた。
前々回も書いたが、当時のジョン・レノンは精神的なダウンをオノ・ヨーコを拠り所にすることで、凌いでいる日々だったという。
特に当時のジョンとショージは、ビートルズとしての“やる気”を消失していた。
ジョンも認めているが、ポールはある種万能タイプで周囲の状況に適応する力に長け“能才”の部類に匹敵し、ジョンは逆に孤独で適応力が欠乏した“天才”にカテゴライズすることができる。
時を同じくして、ビートルズであることに魅力を感じなくなったジョージは、インド哲学・密教に傾倒することでその孤独感から逸脱した。因みにリンゴ・スターはビジュアルに傾倒し、映像の世界に引き蘢っていく。

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当時、僕が映画『レット・イット・ビー』を観たときの感想は、
「なんて、バラバラ(メンバーが)なんだ!」というものだった。
上記状況から、リーダーとしての自覚を消失していたジョンは自暴自棄をヨーコと寄り添う事で紛らわしているようだったし、だからこそ優等生のポールが奮起して映画『レット・イット・ビー』をお膳立てしたという事実は否めない。
ポールはブライアン・エプスタインの死後、バラバラだった4人をもう一度ビートルズとしてまとめようとしたのだ。
しかし劇中の4人が、ビートルズとしてまとまる姿は皆無だ。
ジョンが“アクロス・ザ・ユニバース”を演奏する段になると、ポールはあくびをしながらブギーをやりだす始末。
スタジオの片隅で独り孤独にギターを弾いていたジョージが、「なにか曲はできた?」ってな感じで3人に促され、照れながら“アイ・ミー・マイン”を弾き語りで披露するシーンも忘れがたいほどの寂しさが漂っていた。
『レット・イット・ビー』の録音は最悪で、メンバーは最後までノレなかったという。
ジョン曰く、「誰もノッていなかった。しかもそのあいだちゅう、映画に撮られていたわけですからね。そんな状態で音楽なんか出来ません」

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しかし、賛否あるかも知れないが『レット・イット・ビー』の完成度は素晴らしいものだ。
当初はメンバーがいわば捨てた、このアルバムの曲を敏腕プロデューサー、フィル・スペクターが最高レベルに仕上げたと噂されていたが、2003年に発売された『レット・イット・ビー・ネイキッド』を聴くとフィル・スペクターの手を借りずとも既に“ネイキッド(最高)”の状態だったことがわかる。
つまり、ジョンがなんといおうとビートルズのテクニック、センスは我々が想像する以上に優れており、だからこそ30年以上を経た今も彼等が生み出した曲が輝き続ける由縁なのだ。
だからこそ、ジョン、ジョージの死が痛ましくもある……。

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さて、何かとジョンとポールの確執が取りざたされるが、最後に二人の世界観から、資質の違いを考察してみよう。

思ってみろよ 天国なんてものはないと
やってみればわけないさ
おれたちの足の下に 地獄なんてあるものか
頭の上には空があるだけさ
(ジョン・レノン/作詞、イマジンより)

そして私が暗闇の時の中にいると
マリア様は目の前にお立ちになり
賢い言葉をおっしゃる
そのままにしておきなさい
(ポール・マッカートニー/作詞、レット・イット・ビーより)


孤独で自分本位なジョンの世界感に比べ、ポールの世界観は、人事をつくして天命を待て、というような世界観である。
レット・イット・ビーの“Mother Mary”マリアとは、彼が14歳のときに亡くなったメアリー・マッカートニーのことだとされるが、当然聖母マリアに引っ掛けてもある。
しかし、このポールの境地からも、後期のビートルズにおける彼の存在感と功労が伺い知れるというものだ。
いずれにせよ、この二人の資質の違いからくる葛藤こそが、ザ・ビートルズだったのであり、二人の互いの必要性があってこそビートルズとしての必然が存在し続け、世界中を魅了したのだ。

●Let it be

●Across the universe

●I me mine

●Don't let me down

●One after 909

●I've got feeling

●Two of us

●The Long And Winding Road

●For you blue

●Dig a pony

●Get back





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  1. 2007/01/10(水) 18:12:15|
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ジョン・レノン/大人になれないオヤジのロック57。

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ことあるごとに書いてきたが、ギターを始めるきっかけなんて極論すると“女の子にモテたい”ってことで、まあそれが“目立ちたい”ってことと同義になる。
ビートルズだって例外ではなかっただろう。ところが、そんな不順なきっかけでデビューを果たし、稀に秘められた才能が開花してしまう人がごく少ない割合で存在する……。

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毎日一生懸命に練習し、曲を作り周囲から認められ、やがてクラブで演奏するまでに至る。そして、トントン拍子に動員数を増やし続け、ある日チャンスが訪れる。

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「君達はスターになれる」
スカウト氏はそういうだろう。
ビートルズに「君達はスーツを着れば、スターになれる」と誘ったのが、かのブライアン・エプスタインである。そして、サインに応じプロを目指す。
ところがサインに応じた時点で、マネージャーの思惑と大体がズレているものなのだ。
何故ならばサインした方は、「やったぜ! 俺達は今まで通り好きな演奏をするだけで金を得られるんだ!!」とはしゃぐ。
だが、マネージャーは、「こいつらを金を生む木に育てるには、ココとアレを修正し……」と考えている。
自分はプロになって、もっと人々に受け入れられるようになりたい。
いや、自分はプロになってしまったため、多くのことを失った。
とりわけビートルズにおいてポール・マッカートニーが前者であたり、ジョン・レノンは典型的な後者に属する。

1972年4月15日初版の『ビートルズ革命』片岡義男訳/草思社刊(絶版)。

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僕が28年前頃、神田の古本街で偶然手に入れたもので、発表当時、いわゆる暴露本として話題になった本でありジョン・レノンへの膨大なインタビューからまとめられた、ジョンのビートルズ観が綴られている。古い本であり、実際ジョン自身が後年覆した発言も多いが、少なくとも70年の解散2年後に語ったジョンの言葉には、正に“自分はプロになってしまったため、多くのことを失った”的な発言が目立つ。

「もし、自分が漁夫だったら、よかったと思う。
アーティストであることは、少しも楽しいことではない。責苦だ。
ファンが私達アーティストを死ぬまで吸い尽くしてしまうのです」

「武器を売ったり、黒人を殺したり、鼠と同居するような貧困生活、イギリスは何も変わっていない。ただ、私は30歳になり、周りに長い髪をしている人達が多くなったというだけですね」

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「有名になれば、さらに多くのことが期待されてしまう。
例えば、市長の奥さんと握手をしないと、“何だと思っているのかしら!”。
いつも新聞にいいつける、と脅されるのです。警察署長の娘、市長の娘……、最も不快な人達です。ビートルズとしての自分の存在になりきるために、自ら屈辱状態に陥れなければならなかった」

「ポールと知り合い、「バンドに入りたいかい?」と誘い、ジョージが加わり、リンゴが入ってきた。私たちはダンス・ホールでイギリスでも最高のパフォーマーだった。
ところがブライアン・エプスタインにスーツを着せられ、角をそぎ落とされて、大変な成功をした。成功とミュージシャンとしてのビートルズを交換してしまったのです。そして、ずっと後には有能なレコーディング・アーティストになっていた。ミュージシャンとレコーディング・アーティストは、全く別なものなんです」

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「ギタリストとしては、技術的にはそれほどでもないのですが、吼えるような、動くような音は出せます。私はバンドをドライブさせることができます。
ジョージのギター? なかなかいいと思いますよ。
ハ、ハ。私は私の方をとりますけど。『ゲット・バック』では私がソロを弾いています。
A面の全てをポールがソロをとった場合、人に親切になったポールは私にソロをくれるのです。
ジョージは素晴らしいギター演奏をするのですが、頭の中で考え過ぎてしまって本領を発揮できずにいるのです。今は変わったかも知れませんが、それはクラプトンも同じなのです」

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「映画『レット・イット・ビー』を観たとき、悲しく思いました。
あの映画はポールのために、ポールによってお膳立てされたものです。
ブライアン・エプスタインの死後、私達はポールのサイドマンになっていきました。
カメラはポールを撮り、編集した人間はポールが神様という態度で編集しています」

「解散を予感したのは『ホワイト・アルバム』の録音のときです。
あのアルバムはビートルズのレコードといっても、ある部分はポールとそのバッキング・グループ、またある部分では私とそのバッキング・グループ、これはジョージの、というようなレコードでしたから、とにかく私達が解体したのは、あのときです」

「ブライアン・エプスタインが死んだとき、これでもうお終いだとも思いましたが、自分じゃなくて(死んだのが)良かったっていう感情もありました。ブライアンは自分のためにビートルズを続けてきたのです。ポールはブライアンに世話になってきた、という感情があったのではないでしょうか? 彼はブライアンが死んでいないかのように、「さあ、アルバムを作ろう」といってきたのです。『マジカル・ミステリー・ツアー』はそうして作ったのです」

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勿論、今回抜粋・引用した箇所はほんの一部でしかない。
ご多分に漏れず、ビートルズの4人もドラッグ浸けだった時期があり、上記引用部分の回想もジョン的に曖昧なところが多いと語っている。
しかし、燃え尽きたようなジョンの発言を捲っていると良くも悪くも、満身創痍で“ビートルズ”を演じ、維持し続けた4人の疾走ぶりが痛いように感じられる。
やはり、4人でビートルズ。
この抜け殻のようなジョンの言葉からも、いかに時代がビートルズと添い寝していたかがわかろうというものだ……。

08Lennon.jpg
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  1. 2007/01/01(月) 00:00:00|
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