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フィル・ライノット/シン・リジィ。(煌めきへのレクイエム2)

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シン・リジィはアイルランド出身のHRバンド。
1969年にフィルと、ブライアン・ダウニー(D)、エリック・ベル(G)で当初Orphanage(孤児院)というバンド名で結成された。

僕が最も聴いたアルバムは83年の『サンダー・アンド・ライトニング(Thunder and Lightning)』で、元タイガース・オブ・パンタンのジョン・サイクス(G)とスコット・ゴーハム(G)のツイン・ギターが鮮烈だった。フィルは74年から解散まで、一貫してギブソン・レスポールによるツイン・ギターにこだわった。
最初に雑誌でフィルを見たとき、黒人のHRバンド? って印象だった。アルバムを最初に聴いたときも暗くてなかなか馴染めなかった憶えがある。ときに個性の強い相手に出逢うと、すんなり入り込めないことは往々にしてあるものだ。
皆さんも経験があるのではないだろうか?
初聴からガンガン乗れる音、何度か聴き込むうちにハマっていく音。
そう、僕にとってのシン・リジィは後者だった。正にフィルの歌声と曲は噛めば噛むほどに、その味わいと凄みが僕の中で露呈してきた。
だから、決して毎日聴くタイプのバンドではないが思い出したように聴いてみたくなる……。

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リーダーだったフィル・ライノット(B&V)は没後20年を経た現在でもアイルランドの英雄として高い人気を誇り、ダブリンには銅像まである。
1983年バンド解散後、ソロ活動開始まもなくヘロイン注射による感染症、敗血症により36歳で急死した。ドラッグへの依存はかなり重度だったそうで、度重なるバンドのメンバー・チェンジの原因の多くはフィルのドラッグ依存についていけないという理由だったそうだ。
さらにコカインの過度な吸引により、鼻骨が崩れ、プラスティックを入れていたらしく甘い鼻にかかった声色はその副作用だった。
しかし、バンドを去ったメンバーは異口同音にフィルを慕い続けている。
U2を発掘したり、ヒューイ・ルイスや後年ホワイト・スネイクをアメリカで成功させるきっかけとなった若きジョン・サイクスをピックアップした功績は大きく、“アイルランドの英雄”とうたわれる由縁がそこにある。
また、ゲイリー・ムーアとの親交も深く、何度かゲイリーはシン・リジィに参加している。
前述のジョン・サイクスとスコット・ゴーハムが核となり現在もシン・リジィは継続している。

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フィルはソング・ライターとしても才能にあふれ、ゲイリー・ムーアとの共作“パリの散歩道”でも作詞を担当し、自信の詩集も2冊著しておりジョン・ボン・ジョヴィなどにも多大な影響を与えたといわれる。

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父親がパリスというブラジル系の黒人で、アイルランド駐屯中に母と知り合い、1949年フィルが産まれたときには帰国し、我が子の顔を見ることがなかったという。
パリの散歩道”における、“1949年のパリを憶えているよ”という一節は父へのメッセージだといわれる。
悲しい生い立ち、ドラッグへの依存、死……。
ガラスのように鋭利でもろい、フィルの切ないソング・ライティングの由縁がそこにある。

●72年Whisky in the jar

●77年Bad Reputation(Live PV)

●77年The boys are back in town(Live PV)

●ジョン・サイクスとスコット・ゴーハム在籍時のCold Sweat

●83年、ジョン・サイクスとスコット・ゴーハム在籍時のThe Sun Goes Down

●2005年、ゲイリー・ムーアとスコット・ゴーハム(Live)

●2006年、現在のシン・リジィ(Live)

●86年ボン・ジョヴィによるThe boys are back in town(Live)




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  1. 2006/11/29(水) 18:00:00|
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CCR/大人になれないオヤジのロック45。

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先日のレーナード・スキナードにも強い影響を与えたサザン・ロックの先駆の登場です。
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)は1959年に中学生だったジョン・フォガティ(G&V)、スチュ・クック(B)、ダグ・クリフォード(D)が結成したブルー・ベルベッツに、67年ジョン・フォガティの兄トム・フォガティ(SG&SV)が参加してバンド名をクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルとしたバンドである。
“プラウド・メアリー”を始めとするヒット曲が多数あるが、ビルボード・シングル・チャートで5曲が第2位に甘んじて、一位になれなかったアーティスト中で最多の2位記録保持者という珍記録を持っているそうだ。

隙っ歯で灰汁の強い、パワフルな声色を持つジョン・フォガティへの注目度が高過ぎてメンバー間が不仲となり71年にジョンが脱退する。以後ジョンは2003年までソロ活動を続けるが、兄のトム・フォガティは1990年にエイズで他界した。
現在、スチュ・クック、ダグ・クリフォードがクリーデンス・クリアウォーター・リヴィジデッドとしてライブ活動をしているが、相変わらずジョン・フォガティとはそりが合わず現在に至る。

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“クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル”というバンド名の由来は諸説あり、60年代当時サイケデリック、アート・ロックなどへ進化したロックへのアンチテーゼとしての原点回帰を促すべく“信念をもって清らかな水を甦らせる”というゴロ合わせのような説もある。
しかし、実のところはクリーデンスという彼等の友人の名前に、当時流行っていたビールのコマーシャルのコピーからクリアウォーターを拝借し、活動停止状態にあったバンドの復活を意味するリバイバルをくっつけたという説もあるようだ。
冒頭でサザン・ロックの先駆者と書いたが、実は彼等は生粋のカリフォルニアっ子である。
66年にジョンとダグが徴兵されたこともあり、8年間の永いブランクで彼等が熟考した“ロックの原点”こそが、アメリカ南部特有の泥臭いスワンプ・ロックだったようだ。

調度、僕が中学の頃ベトナム戦争を皮肉った“雨を見たかい”が大ヒットし、日本のラジオ等でもヘヴィ・ローテーションしていた。

♪俺は知りたくもない
そんな雨を見たことがある奴のことなんて
俺は知りたくもない
そんな雨を見たことがある奴のことなんて
晴れた日に降る雨のことなんて……♪


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ジョン・フォガティによる作詞・作曲の甘くキャッチーなメロディを持つこの曲で歌われている“雨”とはベトナム戦争下のナパーム弾のことである。
大ヒットしたが、一部の州では放送禁止になったそうだ。
勿論、中坊だった僕がそんなことを知る由もなく、原題の“Have You Ever Seen The Rain”を英語の過去完了形のお手本にしていたことが今は懐かしい。

●雨を見たかい(PV)

●プラウド・メアリー(PV)

●69年エド・サリバン・ショーのDown on the corner

●Born in the bayou(69Live)

●Midnaight Special(Live)

●2006年、クリーデンス・クリアウォーター・リヴィジデッド

●ジョン・フォガティCenterfield(PV)


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  1. 2006/11/28(火) 16:47:21|
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イエス/大人になれないオヤジのロック44。

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このブログは主に49歳の僕が通過してきた70~80年代のロックを紹介しているわけだが、果たして何歳ぐらいの方が読んでいるのだろう?
今回のイエスも、MTV人気で世界ヒットした“ロンリー・ハート”でさえ83年の作品である。

イエスは1969年『イエス・ファースト・アルバム(Yes)』でデビューしたイギリスのプログレ・バンドである。例によってメンバー・チェンジと紆余曲折の末、昨年まで活動していたようだが、現在は事実上の解散状態にある。
僕は中学~高校と、
・72年『こわれもの(Fragile)』
・72年『危機(Close To The Edge)』
・73年『海洋地形学の物語(Tales From Topographic Oceans)』
あたりまで聴いていた。
勿論83年の『ロンリー・ハート(90125)』もかなり聴き込んだ。
バンドの黄金期は上記の僕のフェイバリット・アルバム発表時期である。
ジョン・アンダーソン(V)の哲学・世界観が大きく影響した音楽観に、クリス・スクワイア(B&V)がバンド面で貢献し、最も成功した有名な『こわれもの(Fragile)』ではリック・ウェイクマン(K)、71年に参加したスティーブ・ハウ(G)により高度で完成度の高いプログレッシブ・サウンドを構築している。
中学のときにNHK.FMで『こわれもの』と『危機』を全曲オンエアしたことがあり、それを機に彼等を知った。クラシック・アプローチのステーブ・ハウのギターと、リック・ウェイクマンの大胆なムーグ、シンセサイザーの導入、子供のようなジョン・アンダーソンの声色は衝撃的だった。

特筆すべきはジャケット・デザインやロゴ・デザインでイラストレーターのロジャー・ディーンが一貫してデザインを手がけており、画集まで発売されていた。
余談だが、83年にはステーブ・ハウとジェフ・ダウンズが、元キング・クリムゾンのジョン・ウェットン(V&B)、元EL&Pのカール・パーマー(D)等と、より産業ロック色を前面に打ち出した“エイジア”で世界的な成功をした。

是非みなさんも、今のような録音技術が未だ発達していない時代のアナログなハイテク・サウンドが物語る“音宇宙”を体験してみてはいかがだろうか?

●Roundabout(72Live)

●ステーブ・ハウのギター・テクニック!

●And You And I(72Live)

●Close To The Edge(72Live)

●御存知83年、Owner Of A Lonely Heart(PV)



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  1. 2006/11/27(月) 20:05:17|
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レーナード・スキナード/大人になれないオヤジのロック43。

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さて、ここらでハード・ロック史で忘れてはならないもう一つのウェイブ、アメリカのサザン・ロックでも。
ブルースやカントリーのテイストを持つオールマン・ブラザーズ・バンドやマーシャル・タッカー・バンドといったブルース・ロックの影響を受けつつも、荒くれた、泥臭い南部独特の空気感を“サザン・ロック”というジャンルにまで昇華させたのがレーナード・スキナードである。
初期メンバーは、
ロニー・ヴァン・ザント/Ronnie Van Zant(V)
ゲイリー・ロッシントン/Gary Rossington(G)
アレン・コリンズ/Allen Collins(G)
エド・キング/Ed King(G)
ビリー・パウエル/Billy Powell(K)
レオン・ウィルクソン/Leon Wilkeson(B)
ボブ・バーンズ/Bob Burns(D)
1964年フロリダ州のハイスクールに通う、ロニー、アレン、ゲイリーの3人が結成した。
バンド名はいつも口うるさく「髪を切れ!」といっていた体育教師Leonard Skinner先生の名前をもじったという。
73年にアル・クーパーのプロデュースにより、『Pronounced Leh-Nerd Skin-Nerd』でデビュー。
74年のセカンド・アルバム『Second Helping』を発表。収録曲“スウィート・ホーム・アラバマ”のヒットで世界的にその名を知らしめる。
75年の『Nuthin' Fancy』では、“サタデイ・ナイト・スペシャル”が映画『ロンゲスト・ヤード』の挿入歌にもなり全米トップ10入りを果たす。
76年『Gimme Back My Bullets』発表、2枚組ライブ盤『One More From The Road』も全米9位に浮上する。
そして77年には来日、続いて『Street Survivors』発表。全米5位に輝く。
しかし、アルバム発表後にメンバーとクルー26人が乗る自家用飛行機が墜落し、6名が死亡。
要であるロニーを失ったバンドは活動停止、ゲイリーとアレンがロッシントン・コリンズ・バンドを結成し、事実上の解散となる。
事故の同年にはロニーの弟であるドニー・ヴァン・ザントがレーナード・スキナードの後継として“38スペシャル”でデビュー。
87年、ロニーのもう一人の弟ジョニー・ヴァン・ザントが正式にレーナード・スキナードとして元メンバーを集めバンドを再結成し、現在もライブ中心の活動を続けているそうだ。

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今、ファースト・アルバムを聴きながら書いているが、“ポイズン・ウィスキー”という曲がやはり映画の挿入歌となっていて、映画名を思い出せないのだが、僕はその映画を観てレーナード・スキナードを聴くようになった憶えがある。以後のZZトップなどに影響を与えた重く、それでいてメロディアスなサウンドはイギリスのバンドにはない独特の乾いた重厚感だ。
ロニーの弟ジョニーが結成したレーナード・スキナードのMTVアンプラグド盤『Endangered Species』の“ポイズン・ウイスキー”と聴き比べてみると、鼻にかかったロニーの血をひくジョニーの声色なくしてレーナード・スキナードは成立しないことを痛感する。

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それにしても自家用飛行機でツアーを移動するまでに成功した彼等が、機内で正に“毒入りのウイスキー”を飲んでいたとでもいうのか?
これもまた痛ましいロック・スターの悲劇である……。

●75年Sweet Home Alabama(Syudio Live)

●77年Free Bird(Live)

●Sweet Home Alabama(Phto Clip)


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  1. 2006/11/24(金) 17:19:15|
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シンデレラ/大人になれないオヤジのロック42。

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ヴォーカル、ギターのトム・キーファーのイケ面ぐあいとバンド名“シンデレラ”のイメージが先行し、アイドル・バンドと混同されがちなシンデレラ。
1984年、アメリカのフィラデルフィアでトム・キーファーが中心となり結成され、クラブ・サーキット中にジョン・ボン・ジョヴィによって発見された。
ファースト・アルバム『Night Songs』でデビュー。アルバムはプラチナム3つを獲得。以後、ボン・ジョヴィのツアーの前座を努めた。
88年、セカンド・アルバム『Long Cold Winter』発表。
90年に『Heatbreak Station』で、兼ねてよりのトム・キーファーのブルース志向が全面に押し出された。以後、トムの何度かの咽の手術により、不安定な活動を余儀なくされるが、97年に再結成、今年の夏にはポイズンと共にツアーを行った模様だ。

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そうなのだ、シンデレラはブルース・フェイバー香る筋金入りのハード・ロック・バンドである。
天をもぶっ壊しそうなトム・キーファーの声色は圧倒的だ。文字通り咽をぶっ潰すほどのトムの腹の底から絞り出すようなヴォーカルは必聴である!
特に“地声”から“シャウト”に移行するあたりは、ガンズ・アンド・ローゼズのアクセル・ローズに非常に近いものがあり、ブルージーなバック・ボーンもかなり共通する部分があると、僕は思っている。ガンズ好きな方ならシンデレラも必ず気に入るはずだ。

残念ながら来日公演には行けず、当時最もライヴを経験してみたかったバンドの一つ。
今も88年『Long Cold Winter』を聞きながらこれを書いているが、“Coming Home”は僕の大好きな曲である。
平成元年の結婚式の披露宴で、ご多分にもれず僕もスライドショーをやった(誰も観たくないっちゅーの!)が、BGMは“Coming Home”にしたことを付け加えておこう!
えっ? んなことどうでもいい?? ですね……。

●Shake Me(PV)

●No Body's Fool(PV)

●Heartbreak Station(PV)

●Coming Home(PV)

●Coming Home(Live)

●Gipsy Road(PV)


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  1. 2006/11/23(木) 12:00:00|
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スコーピオンズ/大人になれないオヤジのロック41。

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スコーピオンズは1965年、ルドルフ・シェンカーによって結成された。
71年に実弟のマイケル・シェンカーがコペルニクスを解散させ、クラウス・マイネ(V)とアチィム(B)を伴って加わり、(恐怖の蠍団(Lonesome Clow)でデビュー。
以後マイケルの優柔不断な出入りに翻弄されながら、度重なるメンバー・チャンジを経て現在に至る。
デビュー・アルバムはプログレ的なサウンドであったが、74年加入のウルリッヒ・ロート(G)によりHR色が打ち出される。

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78年の日本ツアー後、ウルリッヒ・ロートが音楽的な見解の相違で脱退。140人のオーディションにより後任ギタリストを公募したが叶わず、ドイツで旧友マティアス・ヤプスを迎えることで全米制覇に懸けるが、またしてもUFOから逃げてきたマイケル・シェンカーにより、マティアスが降ろされる。
だが、この時点でのマイケルは酒とドラッグに完全に侵されており、再度マティアスが復帰した。

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そして、ここからがスコーピオンズの快進撃の始まり! と思いきやバンドの要であるクラウス・マイネが咽を痛め声を失い、一年間の療養を強いられる。
1982年、難産の末に制作された『蠍魔宮(Blackout)』で、悲願の全米10位(アルバム)を達成。84年『禁断の刺青(Love at First Sting)』発表後ワールド・ツアー敢行、そのまま8月に西武球場で行われた日本初の野外イヴェント『スーパー・ロック84イン・ジャパン』に出演している。85年には『サヴェイジ・アミューズメント(Savage Amusement)』を発表後、ペレストロイカ真っ最中のソビエトで親善大使としてコンサートを開催し、世界は勿論、ドイツでは国民的なヒーローであり、いわゆるジャーマン・ロックの始祖である。

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当時音楽誌でクラウス・マイネの咽の手術のことを知っていた僕は確か冬に発売された輸入盤『蠍魔宮(Blackout)』の包装ビニールを剥がし緊張しながらレコード盤に針を降ろした記憶がある。
そして、冒頭の“ブラック・アウト”でぶっ飛んだ!
とても声を失っていたとは思えないほどのクラウスのシャウト。そしてクラウスの療養に付き合い一年感活動停止を余儀なくされたとは思えぬ、ルドルフの攻撃的なリフ。涙が出た……。
ハードでありながらメロディーを重視した出来栄えは正に世界制覇を成す音作りであり、現在まで、いや、デビュー以来一貫したそのハード・ロック魂は多くの影響力と恩恵をシーンにもたらしてきた。

●(必殺)1984年来日直前NYでのBlackout(live)!

●(超お宝)1972マイケル・シェンカー在籍時のI'm Going Mad(PV)

●(お宝)ウルリッヒ・ロート在籍時のHe's A Woman,She's A Man

●No One Like You(PV)

●Big City night(Live)

●Rhithm Of Love(PV)


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  1. 2006/11/22(水) 17:17:14|
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ジャーニー/大人になれないオヤジのロック40。

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マイケル・シェンカーと同じく17歳でプロ・デビューしたギタリストといえばニール・ショーン!
1971年、19歳になっていたニールを自らのバンドに加入させたのはサンタナ。
サンタナ・バンドを脱退したニール・ショーンとグレッグ・ローリー(K&V)が73年に結成したのがジャーニーである。
当時は未だ、演奏スタイルが迷走しており鳴かず飛ばずの状態が続き、その後スティーブ・ペリー(V)がデモ・テープの中から選ばれ加入してから78年『インフィニティ』で成功の道を登り始める。
さらに元ベイビーズのジョナサン・ケイン(K)が参加。以後81年『エスケイプ』、83年『フロンティアーズ』で、スティーブとジョナサンによる強力なソング・ライティングにより世界制覇に至る。86年『Raised On Radio~時を駆けて』以後、活動停止。
以後、メンバーを入れ替えながら現在に至る。

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僕はファースト・アルバムから86年『Raised On Radio~時を駆けて』まで聴いていた。
しかし、前述したように何といっても81年『エスケイプ』、83年『フロンティアーズ』がバンドの絶頂期! 特に83年のフロンティアーズ・ツアーは日本公演からスタートし、世界を巡って日本公演で終わった。
僕は両方を武道館で観たと思う(これもパンフ紛失)。
2度目の最終公演はアルバムの世界的なヒットも手伝い、チケットがステージ裏しかとれなかった。
ちょうどメンバーがバック・ステージから出てくるエントランスの真上の席だった。
ニール・ショーンのギター・ソロのとき、ニールが奏でるギターに武道館の観客の声援がドーンと同調した。まるで自分が一万人の前で演奏しているような錯覚を憶え、身震いするような体験だった。
モンキー・ビジネスとはよくいったもので、一度ミュージシャンがあの感覚を知ってしまうと、ドラッグよりも最悪だという。どんなに売れなくなり落ちぶれても、俺はまたいつかあの声援を受ける日が来るんだ、とヒモ生活に甘んじてしまうそうだ。
今回この記事を書くためにYouTubeで懐かしの動画を手繰っていると、涙が出てきた。
ジャーニーを聴いていた頃は家内と恋人時代であり、当時の甘酸っぱい思い出が甦る。
う~む、初心に帰らねば……。

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さて、ジャーニーを“産業ロック”と悪い意味で揶揄する向きも多いと思う。
しかし、だ。
そんなことをいってる奴はナンセンス!
プロとしてやって行く以上、売れたいのは当たり前でしょ?
誰にも聴いてもらえず、「俺達は本物のロックだ」なんて馬鹿です。
セックス・ピストルズだって日本に住んでるキミが知っている以上、充分に産業パンクなのだ!
売れて、聴いてもらいたいという自己顕示欲でプロ・デビューするんでしょうが、皆!!

●Feeling That Way(PV)

●Any Way You Want It(PV)

●Who's Crying Now(Live)

●Faithfully(PV)

●Chain Reaction(PV)

●Dont Stp Believing(Live)

●Separate Ways(Live)

●Open Arms(Live)


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  1. 2006/11/21(火) 17:34:04|
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ジミ・ヘンドリックス(動画付き)/煌めきへのレクイエム1。

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ほんとはこのロック・ブログのネタが尽きたとき、オーラスを飾るべき最もロック史に多大な影響を及ぼしたジミ・ヘンドリックス!
でも、まだまだネタも尽きないし、今後は個々のギタリストを取り上げていかねばならない都合上、本日ご紹介しようと思います。

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ジミ・ヘンドリックス(1942~1970年)は、黒人の父とアメリカ先住民(チェロキー・インディアン)の母から産まれた。少年時代からアマチュア・バンドで演奏し、17歳で陸軍に志願、入隊するも62年に骨折により負傷除隊する。
その後、バック・ミュージシャンとしてリトル・リチャーズなどのサポートをしていたが、爆音と派手なパフォーマンスで、リチャーズに「俺より目立つな!」と叱責されたという逸話がある。
66年にアニマルズのベーシストに見出され渡英し、まもなく“ヘイ・ジョー”でシングル・デビュー。因みにこのときアニマルズにジミ・ヘンをプッシュしたのはストーンズのキース・リチャーズの恋人である。
ジミ・ヘンは基本的に、ブルース、R&Bをベースに非凡な音選びや個性的なフレーズ展開が孤高のスタイルを生み出している。左利き(両刀説もあり)で、あえて右用のギターで弦を張り替えて演奏するのは有名で、スイッチやボリュームのつまみが上部に位置することになり、逆にそれのよりトリッキーな奏法に功を奏したとされる。
歯でギターを弾いたり、壊したり、燃やしたりするリッチーお得意のパフォーマンスもジミ・ヘンが元祖である。
1970年、9月18日未明、ロンドンのホテルで飲酒後の睡眠薬服用により、嘔吐物を咽に詰まらせ死亡。享年27歳、デビューからわずか4年のはかない人生だった……。

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ジミ・ヘンを聴いたことがない方でも、名前は聞いたことがあるはず。何故なら、現在まで内外問わず様々なロック・ギタリストから賞賛されリスペクトされているからだ。
今までこのブログで取り上げてきたバンドで、ジミ・ヘンの影響を受けていない奴など皆無だ。
例えば、ブラッド・ギルスはクラプトンやペイジに影響を受けたが、彼等を通してジミ・ヘンにも遡るのである。ジミ・ヘンと同世代のクラプトン&ペイジでさえジミ・ヘンの影響下にあるギタリストなのだ。あげれば切りがないほどだ。

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特にフェンダー・ストラトキャスターを駆使したトリッキーな奏法は、ジミ・ヘンが元祖であり、当時衰退していたフェンダー・ストラトキャスターを自由自在に操り、独特のアーミングやノイズをもサウンドとして駆使するスタイルは、いうまでもなく現在も綿々と多くのギタリスト達により継承され続け、今や多くのギター・キッズがストラトキャスターを愛用するに至っている。
現在のテクニック至上主義的なギタリスト達の卓越した技能に比べると、劣るように思う向きもあるかも知れない。しかし、それはテクニックの枠外にある“タメ”と“ツッコミ”であり、巧みで音数の多い現代のHR/HMギタリストに欠落する“センス”の妙なのである。
誰の影響下にもなく、それまであり得なかった奏法をストラトキャスターからマジックのように奏でた“センス”(偉業)はまさしく天才にカテゴライズされるものである。
下記リンクの動画をご覧になれば一目瞭然、ジミ・ヘンのギター・スタイルとスピリットは全くの“オリジナル”であり、現在におけるロックの“流れ”や“道”を標した先駆である。

だから、貴方が今ギターを弾いているとしても、それすらジミ・ヘンの影響下にあるのだ。
それは、貴方が意識下になくても間違いなくジミ・ヘンが標したロックの“流れ”の中での行為に過ぎないのだから……。


●歯弾き! ヘイ・ジョー

●御存知、パープル・ヘイズ!

●12弦アコースティック! ヒア・マイ・カミング

●伝説のウッド・ストック! ブードゥー・チルドレン

●写真で綴る、ジミ・ヘン!

●ジョーン・ジェットでお馴染み! ワイルド・シング

●名曲、フォクシー・レディ!


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  1. 2006/11/17(金) 17:05:11|
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オジー・オズボーン(動画付き)/大人になれないオヤジのロック39。

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オジー・オズボーン(本名ジョン・マイケル・オズボーン)、1948年12月3日イギリス、バーミンガム生まれ。

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オジーといえば、なんといってもバック・グラウンドはブラック・サバスであるが、それは後日。
ブラック・サバスから正式解雇されたのが、1978年12月。
以来、オジーのソロ・プロジェクトであるオジー・オズボーン・バンドとしてのほうが皆さんには馴染み深いのではないだろうか?

さて、オジー・オズボーン・バンドからも傑出したギタリスト達が排出されている。
79年のスタート時が、ランディ・ローズ、82年まで2枚の名作を世に送り出し、残念ながら彼は飛行機事故により他界する……。
ランディ亡き後、ブラッド・ギルスが後任(後にナイト・レンジャー)。
83年~86年に、日系アメリカ人ジェイク・イー・リー(後にバッドランズ)。
87年~ザック・ワイルド
95年~ジョー・ホームズといった具合。
個々のギタリストについても後日にゆずるが、紆余曲折の末2003年暮れに自宅庭で四輪バイク事故を起こし、瀕死の重傷を負うが見事復活し、現在に至る。
自宅庭とはどんな家なんじゃい! と思うかも知れないが、実際ビバリー・ヒルズの豪邸に住んでおり、敏腕マネージャー兼妻のシャロンや子供達との奇想天外な生活ぶりは、2002年MTVの『オズボーンズ』として世界的な人気を博し、一家そろってお茶の間の人気者になっている。

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また、鳩やコウモリの生首を喰いちぎるパフォーマンスでも有名な奇人伝説の持ち主でもあるが、
「俺はいつも奇行を売り物にしてきたが、中にはあらかじめ考えといたやつもあったよ」とも語っており、素顔のオジーは極めて紳士であるともいわれ、どこまでがオジー・オズボーンを演じているオジーであるかは定かでない。

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僕が盛んに聴いていたアルバムは『月に吠える(BARK AT THE MOON)』で、ジェイク・イー・リーがギターだった頃。MTVで人気を博し、日本公演も行われたが残念ながらこれもパンフレットを紛失している。『月に吠える(BARK AT THE MOON)』は悔しくも、プラチナム・レコードには至らなかった。だが、オジーが最高傑作と自負した作品でもあり、オジーの詩とジェイクのソング・ライティングが光る名盤である。
ジェイクのギターは当時としてはニュー・ギター・ヒーローの一人として、トリッキーかつ高速な早弾きが話題となった。特にアンルイスが彼に惚れ込み、つき合ったとか結婚したとかまでの噂になったが、実際アンルイスのアルバムにも参加している。

「俺はあまりギターが上手くないんで、作詞は全て俺だが作曲はもっぱらギタリスト任せ」と語っているが、それが功を奏しオジー・オズボーン・バンドは若手ギタリストの登竜門でもあり、オジーはHR/HMの歴史を語る上で、外せない重要な人物の一人である。

●ランディ・ローズのオジー・オズボーン・バンドを観る!

●ブラッド・ギルスのオジー・オズボーン・バンドを観る!

●ジェイク・イー・リーのオジー・オズボーン・バンドを観る!

●ジェイク・イー・リーのソロ・ステージ(後半が見所)を観る!

●ザック・ワイルドのオジー・オズボーン・バンドを観る!

●ジョー・ホームズのオジー・オズボーン・バンドを観る!


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  1. 2006/11/16(木) 17:06:40|
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ディープ・パープルの軌跡/YouTube動画で辿る。

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ディープ・パープル第2段!
パープルの永い歴史において、在籍メンバーから様々なバンドやプロジェクトが発展していった。
本日はそれらを可能な限り動画で探してみました。

★第1期(1968年4月~1969年6月)
◎ジョン・ロード/John Lord(K)
◎リッチー・ブラックモア/Ritchie Blackmore(G)
◎イアン・ペイス/Ian Paice(D)
◎ニック・シンパー/Nick Simper(B)
●ロッド・エヴァンス/Rod Evans(V)→“キャプテン・ビヨンド”

♪キャプテン・ビヨンドを観る♪


★第2期(1969年6月~1973年6月)
◎ジョン・ロード
◎リッチー・ブラックモア
◎イアン・ペイス
●ロジャー・グローヴァー/Roger Grover(B)→“レインボー
●イアン・ギラン/Ian Gillan(V)→“イアン・ギラン・バンド”→“ブラック・サバス”


♪イアン・ギラン・バンドを観る♪

♪ブラック・サバスのイアン・ギランを観る♪


★第3期(1973年10月~1975年4月)
●ジョン・ロード→“ホワイト・スネイク”
●リッチー・ブラックモア→“レインボー”→“ブラックモアズ・ナイト”
●イアン・ペイス→“ホワイト・スネイク”→“ポール・マッカートニー”
●グレン・ヒューズ/Glenn Hughes(B&C)→“ヒューズ・スロール”→“ゲイリー・ムーア
●デヴィッド・カヴァーディル/David Coverdale(V)→“ホワイト・スネイク


※レインボーからは、ロニー・ジェイムス・ディオやグラハム・ボネット、ジョー・リン・ターナーなどのヴォーカリストを排出している。

♪レインボーのロニー・ジェイムス・ディオを観る♪

♪レインボーのグラハム・ボネットを観る♪

♪レインボーのジョー・リン・ターナーを観る♪

♪グレン・ヒューズを観る♪

♪デヴィッド・カヴァーディル&ジミー・ペイジを観る!!♪

♪ブラックモアズ・ナイトを観る♪






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  1. 2006/11/14(火) 15:11:03|
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ディープ・パープル/大人になれないオヤジのロック37。

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ディープ・パープルの歴史は長い。
現在に至るまでのメンバー・チェンジも非常に複雑である。
※それでも興味のある方はこちらからどうぞ。

なんと初期の頃はプログレ的なサウンドだったが、1969年以降(第2期)、リッチー・ブラックモア(G)、ロジャー・グローバー(B)、イアン・ペイス(D)、ジョン・ロード(K)、イアン・ギラン(V)から、レッド・ツェッペリンの成功に刺激されハード・ロック志向に転換する。

僕がライブで聴いていたのは71年『ファイアーボール(Fireball』、72年『マシン・ヘッド(Machine Head』、74年『紫の炎(Burn)』あたりである。

『ファイアーボール(Fireball』はイアン・ギランがヴォーカル。典型的な当時のハード・ロックサウンドで、マウンテンなどに共通した音作りを感じる。

『マシン・ヘッド(Machine Head』もイアン・ギランがヴォーカル。全英一位となりバンドの全盛期であった。“スモーク・オン・ザ・ウォーター”“ハイウエイ・スター”の名曲が納められている。このあたりのリッチー・ブラックモアのギターが最もリッチーらしい。

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74年『紫の炎(Burn)』は第3期パープルで、グレン・ヒューズとデビッド・カヴァーデールのツイン・ヴォーカルとなり、このあたりから解散の噂がちらつき始める。しかし、ブルージーかつファンク志向が目立つが、名曲“Burn”を内包している傑作だ。
同75年2月には、リッチーが『銀嶺の覇者(RITCHIE BLACKMORE'S RAINBOW)』を録音し、実質レインボーへと移行する。

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紆余曲折の果て、84年に往年の第2期ベスト・メンバーで再結成され85年来日している。
残念ながらパンフレットは紛失したが、ロートルなパープルが僕には営利主義の同窓会にしか見えなかった憶えがある。
実は85年『BURRN!』誌4月号の来日直前インタビューで、リッチーはこう語っている。
「レインボーは、上手くいっていたしメンバーも申し分なかったんだ。しかし、ジョー・リン・ターナーがソロ活動に興味を示していた。だから、レインボーもこれでお終いだって、いってやったよ」
だが、再結成パープルはイアン・ギランが脱退した後釜にジョー・リン・ターナーが、参加しているのだ!
いかにもワンマンなリッチーらしい……。

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【現在のパープル】
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リッチーのいないパープル。これもディープ・パープルと呼ぶのか?!

●(お宝)スモーク・オン・ザ・ウォーター!!

●(お宝)ハイウエイ・スター!!

●(お宝)バーン!!! 74年ライブ。






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  1. 2006/11/13(月) 19:58:51|
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ドッケン/大人になれないオヤジのロック36。

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本日は1985年に渋谷公会堂で観たドッケンを。

1977年、ドイツ系アメリカ人ドン・ドッケン(ヴォーカル)を中心に結成されたLAメタルバンド。元エクサイターのジョージ・リンチ(G)、ミック・ブラウン(D)を迎え、1983年『ブレイキング・ザ・チェインズ』でデビュー。その後、ジェフ・ピルソン(B)を迎え『トゥース・アンド・ネイル』を皮切りに、次々とヒット・アルバムを発表した。
1988年、バンドは内部対立で惜しくも解散。その後、ドンは、ヨーロッパのジョン・ノーラム(G)と共にソロアルバムを発表。その後93年に再び、ジョージ・リンチを迎え再結成された。以後、ジョージ・リンチが出たり入ったりしながら、現在も活動中。

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なんといってもジョージ・リンチのギターは、センセーショナルで多くのギター・キッズの羨望の的であり、影響を与えた。甘いストレートなドンのヴォーカルに、ジョージの攻撃的なカミソリギター・プレーが炸裂する。
さしずめドンのヴォーカルはイギリス的な叙情性であり、ジョージのギターがドライなLAメタルを演出していて、そのアンバランスがドッケンの魅力である。
しかし、ドンとジョージは犬猿の仲らしく、歌いたいドンと弾きまくりたいジョージの確執こそが結果として魅力であるところも皮肉な話である。
ドンは優秀なソング・ライターでもあり、新人バンドのプロデューサーとしても才能を発揮している。
考えてみたら、ヴァン・ヘイレンボン・ジョヴィも中心メンバーの名前がバンド名であり、流れ的にはドン・ドッケンもそれを目指していたのだろう。
なるほど、ジョージ・リンチに脚光があたるのが面白くないわけだ……。


●In My Dreamsプロモ・ビデオ!

●Dream Warriorsプロモ・ビデオ!(映画“エルム街の悪魔3テーマ曲”)

●バラード、Alone Againプロモ・ビデオ!


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  1. 2006/11/11(土) 18:00:00|
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モーターヘッド/大人になれないオヤジのロック35。

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本日は泣く子も黙るモーターヘッド
1975年に元ホークウィンドのレミー・キルミスター(B)が中心となりイギリスで結成されたトリオ。現在まで頻繁にメンバー・チェンジを繰り返しているが基本的にモーターヘッドはレミーのバンドであり、レミーがいればすなわちモーターヘッドである!

僕は80年『Ace of Spades』がお気に入りだった。
パンフレットが紛失しているが、80年代初期に日本公演を観ている。
抑揚のない縦乗りの“ゴリゴリ”サウンドとレミーのダミ声が特徴で、嫌なことを忘れるべく何も考えずに、ひたすらヘッド・バンキングするためのサウンドである。
以後のスラメタやデスメタルにも多大な影響を与えたと思われる。
ファン層が厚いバンドとしても知られ、レミーの生き様はHR/HMファンにアピールし、ゴリゴリのザラついたサウンドがパンクファンにアピールするのではないだろうか?

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レミー・キルミスター(Lemmy Kilmister, 本名:Ian Fraser Kilmister, 1945年12月24日~)はスタッフォードシア州・ストーク・オン・トレント生まれ。
1960年代はジミ・ヘンドリックスのローディをしていたという。
常に若手のバンドをツアーに帯同させてチャンスを与えるシーンの兄貴分であり、イギリスではロックン・ローラーの象徴的な存在として、ライフスタイルやツアーがテレビで特集されテレビCM(ポテトチップス)にも出演する国民的なアイドルでもある。
定住する家を持たず、ジャック・ダニエルのコーラ割りを1975年のバンド結成以来飲み続けているが、実は熱心な読書家でありフェミニストであり、睡眠4時間の強者である。

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昨年、体調を崩し5年越しの糖尿病であることを公表したが、
「ジャック・ダニエルのコーラ割りの比率を変えれば済むことだ」といい放ったとか!!

これぞロックン・ローラーの鏡!
リッケンバッカーをかきむしりマーシャルで歪ませた音、高い位置にマイクをセットして常に上を向いてシャウトするレミーのスタイルは健在だ……。

●必殺のAce of Spadesでどうだ!

●Ace of Spadesバービー人形バージョン?!

●ゴリゴリだけじゃない! オジー・オズボーンとのデュエット♪

●I Got Mine! レッツ、ヘッド・バンキング!!


エース・オブ・スペーズ
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  1. 2006/11/10(金) 17:06:59|
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ピンククラウド/大人になれないオヤジのロック34。

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日本のHMはラウドネスに限るが、HR、いや日本の偉大なロック・バンドといえばピンククラウドである! さらにいえば、日本のカリスマ・ギタリストといえばチャー!! である。

77年頃、『夜のヒットスタジオ』という歌番組で“気絶するほど悩ましい”を披露したとき、あるいは“闘牛士”のヒットで完全なアイドルになってしまったチャーが、改めて自らのロック魂に立ち返り、79年にルックス、サウンド面でメンバーを徹底的に厳選して結成したのがピンククラウドの前身ジョニー・ルイス&チャー。
メンバーは元イエローのジョニー吉長(D)、元ゴールデン・カップスの加部"ルイズ・ルイス"正義(B)、チャー/竹中尚人(G)。
82年にピンククラウドに改名。94年に残念ながら解散したが3人の交流は今だに続いている。
特に加部"ルイズ・ルイス"正義は当時廃業し、サンフランシスコに移住していたそうだ。
70年代後半にゴダイゴとのツアーで知り合ったミッキー吉野から加部正義を推薦されたことで、説得しまくり、サンフランシスコから呼び戻したというのは有名な話である。

僕が当時聴きまくったのが、『KUTKLOUD』と『PINK CLOUD』の2枚。
実はこの頃僕はマイケル・シェンカーにハマっていた時期でもあり、ピンククラウドと交互に聴いていたことを思い出す。マイケル・シェンカーのメロディアスで叙情的なギターとは対称的な、チャーのファンキーかつジミ・ヘンドリックス的でトリッキーなギターは、文句なくカッコいい! まだ体験してない方は必聴である。

何年だったか憶えていないが、確か新宿厚生年金(違っていたらごめんなさい)あたりで、ピンククラウドを観たことがある。また、チャーが設立した江戸家レーベルが近所だったらしく、よく自転車で代官山あたりを颯爽と走り抜けるチャー氏を何度か見かけたことがある。
最近も、ワインのコマーシャルでお洒落なギターを弾いていて、相変わらず磨きがかかったチャーのギターは健在だ!

●(必見)御存知、82年のSmoky!!

●チャー&高中正義のCROSS ROADS!!(後半のアドリブは必見)

●(お宝)アイドル時代の闘牛士!


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  1. 2006/11/09(木) 14:42:14|
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PFM/大人になれないオヤジのロック33。

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今日はウケないのを覚悟してます!
超マニアックです。
PFM、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(Premiata Forneria Marconi)知ってる?

1968年にイタリアでデビューしたプログレ・バンド。
バンド名は彼等が子供のときに通っていた、お菓子屋さんの名前からとったもの。
ムフフ、この由来についてはさすがのWikipediaにも書いてないぞ~!
僕の記憶では日本で彼等のアルバムが発売されたのは、73年の『幻の映像/Photos of Ghosts』からである。因みにこのアルバムに詩を提供したのは初期キング・クリムゾンの作詞も手がけたピート・シンフィールドである。
ELPのグレッグ・レイクに見出され、彼等の“マンティコア・レーベル”と契約し、世界デビューしたのだ。日本でのセカンド・アルバム74年『甦る世界/The World Became the World』まで、聴きまくった。
ピンク・フロイド、キング・クリムゾンなどとまた違う、今思うとなるほどELPっぽいサウンドだったが、クラシックを取り入れた緻密な曲展開やテクニックが正にプログレを地でいっていた。
特にムーグ、シンセサイザーの使い方が大胆で、それでいてイエスとも違うサウンド。
上手くいえないが、とにかくハマった。

当時、北海道で高校生してたので、75年の来日公演に行けず悔しくて夢にまで観たPFMも、今はYouTubeで観れちゃう!
なんと、今年も来日予定だったが中止になった!!
もう、泣いちゃうよ! オジさんは……。

●(お宝!)当時のPFMのImpressioni Di Settembre!(涙)
●2002クラブチッタのImpressioni Di Settembre!(涙、涙……)

幻の映像
幻の映像

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甦る世界
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  1. 2006/11/08(水) 19:31:18|
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BURRN!/大人になれないオヤジのロック32。

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御存知、『BURRN!』1984年10月創刊号です。

当時、ミュージック・ライフでは既に毎号のようにHR/HMの特集や記事があり、何故わざわざこの『BURRN!』が発刊されたのかよくわからなかった。
あの頃は僕もロック情報の収集源として、プレイヤー・マガジン、ヤング・ギター、ロッキング・オン、ミュージック・マガジン等、毎号熟読していた。
『BURRN!』は創刊号から86年頃まで買っていて現在も手元にあるが、当時グラビアなどはもとより、モノクロの細かい情報コラムが必読であった。
どこそこのバンドのギタリストが、今度はかのバンドに乗り換えたとか、お気に入りのバンドの新譜はプロデューサーが誰で、目下どこぞで録音中であるとか、とにかくマニアックだった。
特に80年代のHMブームであまたのバンドが世界ヒット(全米チャート上位)を成すには、いかに売れっ子プロデューサーにつくかで左右された。
例えば、ファーストアルバムで全英で注目され、アメリカ進出する際、必ずといっていいほど売れっ子プロデューサーが担当した。
勿論、レコード会社の戦略なわけだが、売れっ子プロデューサーが半年忙しければ、ニュー・アルバムの録音も半年延ばすのは当たり前だった。

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話を戻すが僕の所有する『BURRN!』からも、今後記事を摘んでこのブログで取り上げ、当時のシーンの熱さを伝えていこうと思う。
しかし、だ。
狙ってのことであるのは理解しているが、今観てもダサいデザインである。
これじゃ、ロック=ダサっ! である。
この雑誌ポリシーは、現在まで脈々と受け継がれており、今でもたまに本屋で観ると赤面してしまう。考えてみると過度な演出を施したロック・コンサートはプロレスのショー・ライクな部分と類似している。
熱い=濃い。
濃い×ロック=ダサっ! なのかも知れない。
久しぶりに『BURRN!』を眺めていると、改めてショー・ビズにおけるHR/HMが子供騙しのモンキー・ビジネスであることがわかるというものだ。

それでも、大人になれないオヤジな僕はYouTubeなどで当時のライブ動画を観ると、感涙する。
本日は『BURRN!』創刊号表紙のオジー・オズボーンwithジェイク・イー・リーでもどうぞ!

●オジー・オズボーン『Bark at the Moon』プロモ・ビデオ!

●オジー・オズボーン『Bark at the Moon』83Live!






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  1. 2006/11/07(火) 18:19:29|
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ロックギタリスト養成所。

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今日は左プロフィール欄にもリンク・バナーを設置してある『ロックギタリスト養成所』について。

僕が“大人になれないオヤジのロック”なる日記を書き始めたとき、いち早く読者になっていただいたのが、その管理人ガブリエルさんである。

僕もそうだが、少年時代にカッコいい音楽やミュージシャンに憧れ、自分でも演ってみたい! って思った方は多いはずだ。
基本的に“女にモテたい”ってところから男の上昇志向は奮起する。
着るものでも、車でも、スポーツでも金でも全ては“女にモテたい”ことが男をやる気にさせるのだと、僕は思う。逆な意味で女性も然りである。
ステージで観衆の心を一手に掴み、喝采を浴びるミュージシャンは、取り分けそんな中で最もカッコいい存在である。
しかし、プロ・デビューして世間から迎えられるミュージシャンなど、ほんの一握り。
大人になり現実というリアルな事象に突き当たり、残念ながらその志は夢として封印されてしまう。
乱暴ないい方だが、そういう意味において“女にモテたい”って強い願望を最後まで抱き続けた奴だけが、プロになれるのだ!

だが最近、その夢を趣味として継続したいという気軽な意図で、団塊の世代の方々が熱心にギター・スクールや練習スタジオに通う現象が起きている。
そんな方々の経済的なゆとりも手伝い、彼等が若いときは憧れだったギブソンやフェンダーのギターが飛ぶように売れているという。
そして僕やガブリエルさんのように、70~80年代の優れたロックを埋もれさせたくない! という大人も増えている。
ガブリエルさんは5年前まで、プロのギタリストとして活躍されていた。
「もっと色々な世代の人にロック・ギターに親しんでほしい」ということで、昨年自らのサイト『ロックギタリスト養成所』を設営された。サイトは現在一日700アクセスを誇り、先日東京新聞夕刊で紹介された。
サイト内では、ギター上達へのテクニックから、バンド活動、ライブ活動、プロへの道まで指南されている。

何故、『ロックギタリスト養成所』がそんなに人気があるのか?
僕の分析では、まずガブリエルさん自身の超ハイテク・ギターが、その指南のバック・ボーンとしてあるからだ。まあ、元プロ・ミュージシャンだったわけで当たり前かも知れないが、驚くのはプロではない、自分の楽しみだけで日々ギターの腕を磨いている超絶ギタリスト“ネット・ミュージシャン”達が『ロックギタリスト養成所』に集い始めていること。

ガブリエルさんを始め、“ネット・ミュージシャン”達のギター・テクニックは半端ではない!
ヴァン・ヘイレンイングヴェイも今となっては、霞むほどである。
勿論、上手いからプロになれるわけではないが、自分は素人だから、と卑下する時代でもないことは『ロックギタリスト養成所』をご覧になれば一目瞭然である。

恐ろしい世の中になったものだ……。

●ガブリエルさんの日常を綴った日記はここ





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  1. 2006/11/06(月) 16:24:05|
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ラウドネス/大人になれないオヤジのロック31。

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僕が日本のHR/HMで唯一認めるのは、ラウドネスだけである。

1981年5月、レイジーの高崎晃(G)と樋口宗孝(D)が中心となり、アースシェイカーのヴォーカルだったニ井原実と、高崎の幼馴染み山下昌良(B)で結成。
4枚のアルバム発表を経て、84年に米アトランティック・レコードと契約。
1985年1月21日『THUNDER IN THE EAST』で、事実上の世界デビューを果たしビルボードのアルバム・チャートで74位を記録! 後にも先にも日本のロック・バンドがビルボードTOP100以内に入ったのはラウドネスだけである。
その後、モトリー・クルーやシンデレラ、ポイズン、AC/DCなどと全米ツアー後86年日本武道館で凱旋ツアーを果たす。
しかし、その後メンバーチェンジと音楽的な迷走に入るが、2000年に上記オリジナル・メンバーによるラウドネスが復活し、現在に至る。(※詳しくはここで)

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実は結成したばかりで正に湯気がたっている、デビュー前の彼等と、とある洋風居酒屋で一緒になったことがある。当時マニア以外はまだ日本国内ではHMブームは皆無で、世はまさにYMOのピコピコ・ミュージックに踊らされていた時代だ。

僕は彼等のこと(ラウドネス結成)は知っていたが、そのとき同席していた親友Wは、元レイジーの高崎晃と樋口宗孝のことすら知らなかった。
よせばいいのに、YMO大好きな親友Wが酔っぱらって彼等に絡んだ。
「お前ら、何で今時(テクノ時代)、そんなカッコして髪伸ばしてんの?」
そんなバカなWの質問に、ニ井原氏が腰が低~い感じで答えた。
「あ、自分達へヴィメタ演ってるんですよ」
それに対してWは淡々と説教を始めた。要するに時代遅れだということをクドクドといったわけである。
しかし、彼等は実に腰が低く誠実で、逆に無知なWにいかに今HMが世界的なブームであるか、自分達はそこを目指し成功したい、ってことを柔らかく説明したのである。

そんなこともあり、僕は最初のアルバムから聴いてはいたが、どうしても日本語のロックに馴染めなかった。
レイジーというアイドル・バンド時代のイメージも強かったかも知れない。

だがアメリカ進出のニュース、『THUNDER IN THE EAST』の仕上がりには度肝を抜かれた。
さすがにプロデューサーの力量が明らかに違うため、完璧に向こう(世界)の音に仕上がっていた。そして85年の夏渋谷公会堂のライブに行った。
居酒屋で親友Wに説教され、謙虚に対応していた彼等が、アメリカデビューを果たし堂々ステージに立ち、僕の眼の前にいたのである!

そしてその僕の横で、親友Wが “ クレイジー・ナイツ ” に合わせ、ヘッド・バンキングしていたことも付け加えておこう……。

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【現在のラウドネス! 素晴らしい!!】
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もう一度、今の彼等と飲んでみたいなあ……。

 ラウドネス/THUNDER IN THE EAST
 ラウドネス/THUNDER IN THE EAST

♪試聴はここ

●アメリカ進出のラウドネス! 観ちゃう?

●武道館ライブも観ちゃう?






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  1. 2006/11/04(土) 01:35:18|
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ラッシュ/大人になれないオヤジのロック30。

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今日は1984年、僕が武道館で体験したラッシュについて。

僕が知る限り、彼等の来日公演はこの一回きりである……。
ラッシュは1968年カナダのトロントで、ゲディー・リー(B.V.K)、アレックス・ライフソン(G)、ジョン・ラトジーが結成したトリオ。
1974年のデビュー・アルバム『閃光のラッシュ』後のアメリカ・ツアーで、ドラムがニール・パートにチェンジし、現在まで不動のラインナップを維持し続けている。

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メタリカなどにも強い影響を与えたプログレッシブ・ロック・バンドであるが、デビュー当初はレッド・ツェッペリンの影響が強く、単なる二番煎じバンドと酷評されていたそうだ。
だが、アレックス・ライフソン曰く、「ライブで再現できない曲は書かない」という頑固なポリシーからくる、“ライブでの再現性を上げるために技巧鍛錬に努力を惜しまない”を実践する技巧派バンドであり、3人のテクニック向上への日頃の鍛錬は凄まじいものであるとされる。
これは大のツェッペリン・フリークだったアレックス・ライフソンが、ツェッペリン・ライブを観にいったとき、ジミー・ペイジがアルバムと違うソロを弾いていたことに憤慨したことからくるとされる。
そして、1976年発表の『西暦2112年』を境にバンド・サウンドは大きくプログレッシブなものへと移行する。これは冒頭に書いたドラマー、ニール・パートの加入が原因であるとされ、哲学的思想家であり読書家のニールが書く詩をゲディーとアレックスの二人がサウンドとして具現化するための必然だったとされる。故にこの3人の誰が欠けてもラッシュは成立しないといわれる由縁である。

もう一つ、プログレッシブ化に伴い単なるシャウト・スタイルだったゲディーの歌い方に、もっと詩の内容に即した穏やかな歌唱法を促したのは、誰あろうマイケル・シェンカーだったそうだ。

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僕が彼等のアルバムを聴くようになったのは1982年『シグナルズ』からで、音楽雑誌などの予備情報でプログレ・バンドであることは認知していたが意に介していなかった。
だが、当時来日するHR/HMバンドのライブにいくたびに、HR/HMキッズ達のGジャンに必ずラッシュのワッペンが縫い付けられていて、気になって聴いたというのが僕のラッシュ体験の不順な動機である。

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今も僕が頻繁に聴いているのが、87年『ホールド・ユア・ファイア』である。
実は彼等のライブのLDも持っているのだが、3人が創り出すラッシュという名のタイトな孤高の音空間に一度ハマると病みつきになる。

決して“ライブで再現できない曲は書かない”を侮ってはいけない!
きっと、初めて体験される皆さんはこう思うだろう。
「この音をどうやって3人で演ってるんだ?」ってね……。

【Aポイント付】ラッシュ Rush / Hold Your Fire (CD)
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  1. 2006/11/01(水) 17:07:12|
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ブラックストライプへようこそ!
ロックとロックな生き方を愛し、模索する1957年生まれ。
大人になれないオヤジのロック・レビューです。


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