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スーパー・ロック・フェス85・イン・ジャパン/大人になれないオヤジのロック29。

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スーパー・ロック・フェス84(西武球場)のパンフが見つからない!
ってことで、先にスーパー・ロック・フェス85・イン・ジャパン(お台場)のご紹介。

84年西武球場のときはとにかく暑かった。
一転、85年のお台場は悪天候により、野外ライブとしては最悪のコンディションだった。
しかも朝まで、ドロドロの泥沼と化した会場で、正に戦いであった。
出演アーティストは、

@ディオ
@ママズ・ボーイズ
@ラフ・カット
@スティング
・1985年8月10日(土)~11日(日)
・開場1:00pm
・開演6:00pm
・終演6:00am(オールナイト)
・東京お台場運動広場となり

パンフレットにはフォリナーも出演予定になっているが、確かポシャったはず。
だってフォリナーをこの眼で観た記憶がないもん。
他に日本のアース・シェイカーも出演したらしいが、憶えていない。鼻っから興味がなかったので、トイレにでも行っていたのだと思う。

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なんといっても、 ディオ!
レインボー、ブラック・サバス、そしてディオと、アルバムは聴きまくっていたから、ロニー・ジェイムス・ディオを体験できたのは、感慨もひとしおであった。
このときは『セイクレッド・ハート』をひっさげての登場。
雨の中でのロニーの登場は妙にテンションが上がったし、あのおどろおどろしいヴォーカルを生で聴けたときには、いやがおうにも盛り上がった。
ヴィビアン・キャンベル(G)、ジミー・ベイン(B)、ヴィニー・アピス(D)、クロード・シュネル(K)。

●【お宝♪】スーパー・ロック・フェス85・イン・ジャパン(お台場)のディオ! 観ちゃう?


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10日のトリはスティング!
何故かこの顔ぶれの中にスティングがいたことは今も不思議である。
ポリス解散後のスティングのソロ・アルバム『ブルー・タートルの夢』もかなり聴き込んでいた。
ブランフォード・マルサリス(SAX)等のジャズ畑のメンバーが参加しており、そのままのメンバーで登場した。
オマー・ハキム(D)、ケニー・カークランド(K)、ダリル・ジョーンズ(B)、ブランフォード・マルサリス(SAX)

●ソロのスティングはこんな感じ!


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83年デビュー、ママズ・ボーイズもアイルランド出身のマクマナス兄弟3人のトリオで、『パワー・アンド・パッション』は中々のハード・ポップで期待していた。残念ながら後年アメリカン・チャート及びMTVを意識し過ぎて『Growing Up the head way』で、 コマーシャリズムに埋もれてしまった惜しいバンドだった。
パット・マクマナス(G)、ジョン・マクマナス(V.B)、トミー・マクマナス(D)。

●85年ロンドンのママス・ボーイズ、観る?


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ラフ・カットは82年、LAメタルの新鋭としてデビュー、『ROUGH CUTT』でのジャニス・ジョップリンの“ピース・オブ・マイ・ハート”のカヴァーがカッコ良く、このライブでも期待以上のパフォーマンスを披露してくれた。確か明け方の登場だった記憶がある。
ポール・ショーティノ(V)、クリス・ヘーガー(G)、アミール・デラク(G)、マット・ゾーネ(B)、デビッド・アルフオード(D)。

●ラフ・カットってこんなバンド!


今も憶えているのは何十と設置されたレンタル・トイレ!
雨も手伝い、あっという間に汚れ、酷い状態だった。
採算ど返しの豪華出演メンバー(ディオとスティングだけだと思うが)へのギャラ含め、結果としてこの野外ライブは大赤字を出し、イベント会社が一個潰れた、潰れないの曰く付き!
近年、フジ・ロックなどの野外イヴェントは活況のようだが、僕はスーパー・ロック・フェス85・イン・ジャパン(お台場)のドロドロ体験がトラウマとなり、今イチ足が向かない。





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  1. 2006/10/31(火) 16:22:31|
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ナイト・レンジャー/大人になれないオヤジのロック28。

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1982年、このバンドも『ドーン・パトロール/DAWN PATROL』で突然に僕の前に現れた。
当時、聴き込めば聴き込むほどハマった。83年に初来日しているが残念ながらチャンスを逃した。『ミッドナイト・マッドネス/MIDNIGT MADNESS』85年、『セブン・ウィシーズ/7 WISHES』86年日本公演には両方行った。

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ナイト・レンジャーはヘヴィ・メタルな時代に、カリフォルニアで結成されデビュー。
『ドーン・パトロール/DAWN PATROL』の一曲目“DON'T TELL ME YOU LOVE ME”は衝撃だった。僕はジャーニーなどのいわゆる産業ロックも大好きだが、それらとはまた一味違うハード・ポップが鮮烈だったのだ。特にツイン・リード・ギターの二人の演奏は、無条件で日本のHR/HMファンにも受け入れられた。
だが、続く『ミッドナイト・マッドネス/MIDNIGT MADNESS』はプロデュサーとレコード会社の思惑により、彼等が望んだ、よりハードなものとはほど遠いポップ・ロック・アルバムになってしまう。しかし皮肉にもそれが功を奏し、シングル“シスター・クリスチャン”が大ヒット(全米5位)するのである。
そして今度こそと、録音されたサード・アルバム『セブン・ウィシーズ/7 WISHES』も、前作“シスター・クリスチャン”の大ヒットにより、さらに“売れるバラード”寄りなアルバムに仕上がってしまう。このあたりで、ボストン、ジャーニー路線に入ったのは明確である。
まさにコーラやライト・ビール片手に、腰を振るような音。
『ドーン・パトロール/DAWN PATROL』で着いたファンは、当然放れ始める。

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だが、ブラッド・ギルス(G)とジェフ・ワトソン(G)のツイン・ギターは当時のギター・キッズには計り知れない影響をおよぼしたのではないだろうか。
ブラッド・ギルスはリード時のトリッキーな演奏しかり、とにかくバックにまわったときの繊細なフレーズが光る。
ジャフ・ワトソンは脅威の8本指ライト・ハンド奏法で話題になった。
現に、二人のギター・テクニック教則ビデオまで発売され、僕も買って何回も観たものだ。
「いいかい、みんな!“DON'T TELL ME YOU LOVE ME”のあのフレーズは、こうやって弾くんだ!!」ってな、軽~いノリで、ブラッド・ギルスがさらっと弾くのだが、全然真似できませんでした……。

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ドーン・パトロール

♪試聴はここ

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ミッドナイト・マッドネス

♪試聴はここ

★今すぐ“DON'T TELL ME YOU LOVE ME”を観る!

★“シスター・クリスチャン”も観ちゃう?






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  1. 2006/10/27(金) 20:56:03|
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キング・クリムゾン/大人になれないオヤジのロック27。

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このブログを設営してから、僕が80年代に通ったライブのことを淡々と書いてきた。
ここらで、ちょっと小休止。
僕の大好きなプログレッシブ・バンド、キング・クリムゾンのことを。

“プログレッシブ・ロック”とよくいうが、これは1970年発売のピンク・フロイド『原子心母/Atom Heart Mather』の発売に伴い東芝のピンク・フロイドの宣伝担当氏が命名したといわれている。
先進的、前衛的、従来のロックン・ロールの枠からはみ出し、クラシックやジャズ、アートのエッセンスを取り入れたロックのカテゴリーとしていまや世界中で“プログレッシブ・ロック”という言葉が使われている。
ピンク・フロイド、イエス、エマーソン・レイク&パーマー、そしてキング・クリムゾンが60年代後半~70年代前半まで“プログレッシブ・ロック”の代表的なバンドである。

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前置きが長くなったが、キング・クリムゾンは68年にロバート・フィリップ(G)が中心となり、結成され69年に『クリムゾン・キングの宮殿』でデビュー。
以後、複雑にメンバーチェンジを繰り返し俗に第1~4期までという区割りをされている。ご興味のある方はここを参照されたい。
そしてアルバムの数は20枚にも登る。
だが、もし皆さんが未だキング・クリムゾンを体験されていないならば、乱暴ではあるが以下の4枚を聴けば充分だと、僕は思う。つまり、この4枚は必聴である。

・1969年『クリムゾン・キングの宮殿/In The Court Of The Crimson King』
・1973年『太陽と戦慄/Larks Tongue In Aspic』
・1974年『レッド/Red』
・1981年『ディシプリン/Discipline』

上記4枚の上部2枚はロック色とジャズ的なアプローチが強い。
そして、『レッド』は今現在も僕がもっとも頻繁に聴くアルバムである。
リーダ-であり、キング・クリムゾンを想像したロバート・フィリップは“プログレッシブ・ロック”とカテゴライズされることに嫌悪していたといわれている。
デビュー・アルバムで既にロックという枠を破壊しようとした彼は、終止ロックでもプログレでもないロバート・フィリップという音楽を想像しようとした。

『レッド』はロック色とジャズ的なアプローチに限界を感じたロバート・フィリップの正にレッド・ゾーンを示すアルバムであり、故に逆にその完成度はMAXの評価も高い。

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81年の『ディシプリン』は、世が正にHR/HMで活況を呈していた中、あえてもう一つのウェイブの要であったトーキング・ヘッズのギタリストであるエイドリアン・ブリューやジョン・レノン『ダブル・ファンタジー』でベースを担当したトニー・レビンを招き、文字通りディシプリン=訓練・鍛錬・修養と呼ぶにふさわしい、ストイックな音楽を作り出している。
そういう意味で、僕は『レッド』までが第1期、『ディシプリン』以降が第2期だと思っている。

いずれにせよ、デビュー・アルバムから『レッド』までは、当時の多くの“プログレッシブ・ロック”同様、レコード・プレイヤーにLPを乗せて、でっかいスピーカーの前に正座して聴くべき音楽である。未だウォークマンもない時代であり、でっかいスピーカーがなければでっかいヘッド・ホンで聴いていた。何故ならばLP盤の表裏にコンセプト・アルバムとして完結していたから、いやがおうにも正座して聴くべきものだったのだ。
ラジオから流れてくるリズムに身を委ね、コーラを飲みながら聴く類いの音楽ではないのだ。
だからこそ、聴く側にもそれ相応の集中力と読解力を必要とした。
だが、ひとたびその行為に浸れば間違いなく、我々をまるで“小説の宇宙”のようなめくるめく精神世界に誘ってくれる。

そして、バッドになるかハイを体験するか? それは貴方次第……。
オアシスなき、世俗から我が身を隔離する手段として“プログレッシブ・ロック”は有効である。
だからこそipod時代に入り、あえて“クリムゾン・トリップ”を体感する時代になったのだ!

クリムゾン・キングの宮殿
クリムゾン・キングの宮殿

♪試聴はここ

【Aポイント付】キング・クリムゾン King Crimson / Lark's Tongues In Aspic(CD)
【Aポイント付】キング・クリムゾン King Crimson / Lark's Tongues In Aspic(CD)

♪試聴はここ

レッド
レッド

♪試聴はここ

【Aポイント付】キング・クリムゾン King Crimson / ディシプリン (日本盤CD)
【Aポイント付】キング・クリムゾン King Crimson / ディシプリン (日本盤CD)

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  1. 2006/10/26(木) 16:23:05|
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ジューダス・プリースト/大人になれないオヤジのロック26。

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厳密にいうと、ジューダス・プリースト(71年~)が現在のようなレザー・ファッションになったのは79年の『Killing Machine』からだそうだ。
70年代後半、同時期に結成されたエアロスミスとジューダス・プリーストが当時音楽雑誌を賑わせていた頃、僕はイーグルスやジャクソン・ブラウン等にハマっていた頃で、西海岸ボケしていた。ただ、アメリカのエアロスミスはハード・ロック、イギリスのジューダス・プリーストはヘヴィ・メタルなのだ! というカテゴライズだけはしていた記憶がある。

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案の定、80年発表の『BRITISH STEEL』で、“メタル・ゴッド”を宣言し名実共にヘヴィ・メタルの神として、現在までサウンド、ファッションともに“ヘヴィ・メタル”という概念を作り上げた御本家である。極論すれば、ジューダスがいなかったら、モトリー・クルーのあのケバいファッションも生まれなかったであろう。
冒頭にも書いたように、僕の中でジューダスとエアロを何かと比較してしまうのだが、エアロは70年代後半に一度沈むが、ジューダスは淡々と来るべき80年代黄金のHR/HM時代にそなえ人気を維持してきた。

71年にK.K.ダウニング(G)とイアン・ヒル(B)によって結成。
73年に今やバンドの象徴、いや“ミスター・メタル・ゴッド”であるロブ・ハルフォード(V)とジョン・ヒンチ(D)が加入し、ファースト・アルバム『ロッカ・ローラ』を発表。
74年にグレン・ティプトン(G)が加入し、ツウィン・リードとなる。
その後、何度かのメンバーの入れ替わりとアルバム発表を経て、アメリカ進出し、80年の『BRITISH STEEL』で全米制覇、以後ヘヴィ・メタルの重鎮として君臨するのである。

僕も80年『BRITISH STEEL』から、81年『黄金のスペクトル』、82年『復讐の叫び』、84年『背徳の掟』まで聴いた。

ここで、ロブ・ハルフォードのメッセージを。
「背徳の掟/DEFENDERS OF THE FAITHとは、ヘヴィ・メタルに忠実であるということ。どんな局面においても、ヘヴィ・メタル・ファンとともに俺達はこの信念を貫き通す」

『背徳の掟』が84年一月に発売され、その9月の3度目の来日公演はいやがおうにも盛り上がった。なんせ、“メタル・ゴッド”のライブである!
下手なかっこはして行けない。
だが、9月7日である。
そう、大量の汗に蒸れながら皮ジャンでキメたことは、いうまでもあるまい……。

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【CD】ジューダス・プリースト /ブリティッシュ・スティール<2004/6/2>
【CD】ジューダス・プリースト /ブリティッシュ・スティール<2004/6/2>

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ジューダス・プリースト/黄金のスペクトル【0610w_大特価】

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【CD】ジューダス・プリースト /復讐の叫び<2004/8/4>
【CD】ジューダス・プリースト /復讐の叫び<2004/8/4>

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【Aポイント付】 ジューダス・プリースト / 背徳の掟 (日本盤CD)

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  1. 2006/10/25(水) 17:23:12|
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ゲイリー・ムーア/大人になれないオヤジのロック25。

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さあさあ~、お立ち会い!
顔は不味いが、ギターは熱い!!
炎のギター・ヒーロー、ゲイリー“クレイジー”ムーアのご紹介だよ~♪

さて、アイルランド生まれの彼は、知る人ぞ知る伝説のバンド“スキッド・ロウ”をなんと16歳で69年に結成。
73年にゲイリー・ムーア・バンドを結成し、74に解散するもスキッド・ロウ時代の旧友フィル・ライノットの誘いでシン・リジィに参加。
75年、“コラシアム2”とスキッド・ロウを掛け持ち、79年、コージー・パウエルのソロ・アルバム『オーバー・ザ・トップ』に参加。
80年、自らのバンド “G-Force”結成、解散。
81年、グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーアで、レディング・フェス、全米ツアー敢行。
82年5月、ヴァージン・レコードと契約……。
正に英国版、“ギターをもった渡り鳥”である。

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しかし、彼の野性的な風貌とは裏腹に多くのミュージシャンにカヴァーされた名曲“パリの散歩道”を聴けば、彼の繊細なブルース・ルーツなギター・プレイに魅了されるはずである。
トリッキーなエディ・ヴァン・ヘイレン、メロディアスなマイケル・シェンカーに並ぶ、80年代のビッグ3ギタリストであることに、文句のつけようがない。
84年の武道館公演で、パワフルかつメロディアス、そしてフュージョンのセンスまで合わせ持つゲイリーの演奏に熱くなった僕のような“オヤジ”が大勢いるはずだ!

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なんといっても、彼のトレード・マークであるサーモン・ピンクのストラトキャスター!
60年代オリジナル・モデルであるが、当時日本でかなり流行った。
フェンダー・スクワイヤ(フェンダー・ジャパン)から、ゲイリー・ムーア・モデルと称して、1万円代で発売されていた。ミーハーな僕はそれにネック固定式のアームをカスタマイズしてゲイリーになったつもりになったものだ。

ゲイリー・ムーア/コリドーズ・オブ・パワー
ゲイリー・ムーア/コリドーズ・オブ・パワー

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ゲイリー・ムーア/ヴィクティムズ・オブ・ザ・フューチャー
ゲイリー・ムーア/ヴィクティムズ・オブ・ザ・フューチャー

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テーマ:HR/HM - ジャンル:音楽

  1. 2006/10/24(火) 21:31:04|
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レインボー/大人になれないオヤジのロック24。

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リッチー・ブラックモアが伝説のディープ・パープルを正式脱退したのが1975年6月5日。
その8月10日には『リッチー・ブラックモアズ・レインボー(銀嶺の覇者)』としてアルバム・デビュー。
因みにロニー・ジェイムス・ディオがボーカル、セカンド・アルバム『虹を翔る覇者』でドラムスにコージー・パウエルを迎える。三枚目の『バビロンの城門』まで、リッチー、ロニー、コージーは完璧な布陣のように思われた。
そう、ディープ・パープルで成し得なかった、様式美をこのバンドで目指したわけだ。
パープル時代の歴代ヴォーカリストにはない、叙情的でより細やかな表現力を持った歌い手は、リッチーが新たに夢想した様式美には必要不可欠だったようで、以降頻繁にメンバー・チェンジが繰り返されることになる。

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当初、日本・ヨーロッパで絶大な反響があったが、重く、暗い様式美はアメリカ受けしなかった。
確かに当時のロニー・ジェイムス・ディオは日本・ヨーロッパ受けする傾向にあった。
そこでグラハム・ボネットをヴォーカルに迎え、軽く、明るい様式美、つまりポップ性を打ち出していく。ここで、パープル時代の盟友ロジャー・グローバー(B)も加わり、サウンド・プロデゥーサーとしてレインボー・サウンドの構築に大きく貢献する。
リッチーの思惑通り『ダウン・トゥ・アース』は大成功を納め数々の名曲を世に送り出した。
しかし、それに反目したのがコージー・パウエル。結果彼とグラハムも同時に脱退してしまう。ウィキペディアによると、リッチーは最後までグラハムの“オール・バック・ヘア”が気にくわなかったそうで、ギターで頭を殴ったという話もあるようだ。

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そして、アメリカのバンド、ファンタンゴのジョー・リン・ターナーを新たなヴォーカルに迎えるのである。私見ではロニー、グラハムのレインボーも捨てがたいが、ジョー・リンが一番馴染んでいたような気がする。事実、『アイ・サレンダー』『闇からの一撃』『ストリート・オブ・ドリームス』は商業的な成功を納め、現在におけるハード・ロック理想型として啓蒙され続けている。
僕が行った『闇からの一撃』発売に伴う82年10月の武道館公演で、それは確信した。僕は当時ジョー・リンのファンタンゴ時代のアルバムも聴いていて、結構好きだった。大学出のインテリ、ジョー・リンの書く詩も多いに貢献していたからだ。
しかし、それはあくまで売れる理想型(商業ロック)としてであり、初期のレインボーを熱狂的に指示するシンパとに二分されるところでもある。

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しかし、84年の日本公演で活動休止。リッチーとロジャーがディープ・パープルを再結成する(これも観ました)。95年に再び、リッチー・ブラックモアズ・レインボーとしてアルバム一枚を発表するも、ここでレインボーの歴史は実質11年の幕を閉じる。
だが、リッチーに見いだされ首切りされていったロニー・ジェイムス・ディオは以後“ブラック・サバス”に加入し、自らのバンド“ディオ”まで、名実共に大成功。
グラハム・ボネットもアルカトラスで成功し、イングヴェイ・マルムスティーンやスティーブ・ヴァイなどの名ギタリストを世に送り出す。
78年の二度目の来日公演(札幌中島スポーツセンター)では、興奮したファンがステージに殺到し、当時19歳の女性が胸部圧迫死しており、以降国内のロック・コンサートの警備が強化されるようになった。
あらゆる意味で、リッチー・ブラックモアが現在のハード・ロック、ヘヴィ・メタルシーンに残したものの意義は多大である。

闇からの一撃
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  1. 2006/10/23(月) 14:42:37|
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ボン・ジョヴィ/大人になれないオヤジのロック23。

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さて、マニアックなバンドが続いたので、ちょいとメジャーなところを。
当時、僕は仕事場への行き帰りのどちらかに必ずレコード屋(CDじゃないよ)に足を運ぶのが日課のようになっていた。
小林克也の“ベスト・ヒット・USA”のニュー・カマーズ・コーナーで紹介される、自分のお気に入りをいち早く入手するためである。
そんな中ある日レコード屋に、突然華やかな飾り付け(パネル・ポスターなど)とともに、ボン・ジョヴィなるニュー・バンドのレコードがディスプレイされていた。
“ベスト・ヒット・USA”は勿論、当時はビルボードのチャートや音楽誌も6誌ぐらいチェックしていたのに、全く知らなかったのが、このボン・ジョヴィ(1983~)である。
とりあえず購入し、“夜明けのランナウェイ”というポップでキャッチーな曲が、このバンドのブレイクを臭わしていることを感じたのも束の間、テレビ・雑誌・ラジオで一気にボン・ジョヴィ及び“夜明けのランナウェイ”がヘヴィ・ローテーションするようになる。
そんな経緯もあり、僕はてっきり企画物バンドなのかと思っていた。つまり、全世界同時発売(デビュー)だったのだ。折しも世界的ヘヴィ・メタルブームの中、いかにアイランド・レコードがボン・ジョヴィに入れこんでいたかがうかがえる。

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サウンド的にはハード・アレンジのメロディアスでキャッチーなロックで、明らかにヘヴィ・メタルの枠外であったが、その年8月、デビューからわずか3ヶ月で西武球場の84’スーパー・ロック・フェスに前座で参加した。
リーダーのジョン・ボン・ジョヴィ(V)やリッチー・サンボラ(G)のルックスと“夜明けのランナウェイ”のヒットの後ろ盾もあり、万来の拍手で迎えられたのを今でも憶えている。
そして 85年4月セカンド・アルバム『7800°ファーレンハイト』発表直後、中野サンプラザで単独ライブを敢行。86年『ワイルド・イン・ザ・ストリート』で三度目の来日。以後89年まで、毎年来日し、いかに彼等が日本のマーケットを意識していたかがわかる。
セカンド・アルバムには“トウキョウ・ロード”という名曲まである。
実は僕は86年まで3度とも彼等を観ている。

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『ワイルド・イン・ザ・ストリート』はプロデューサーにブルース・フェアバーンを起用し、セカンド・アルバムまでの生温さを解消したハード・ポップ・ロックに仕上がっていた。
このアルバムは全米で8週に渡り1位、全世界で3000万枚を売り上げる。
88年の4作目『ニュー・ジャージー』以後、各々のソロ活動が目立ち始める。
確かこの頃からジョン・ボン・ジョヴィは俳優業にも手を染める。
解散の噂流れる中、92年に『キープ・ザ・フェイス』で見事復活。以降、現在に至る彼等の栄光の道は皆さんのほうが詳しいであろう。

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万人に受け入れられるメロディー、精力的な活動、そしてジョン・ボン・ジョヴィの類い稀なルックスとヴォーカル。
だらだらとボン・ジョヴィの経歴を連ねてしまったが、既にバンド・キャリアは23年に及ぶ、冒頭で危惧した“企画バンド”どころか、ニュー・ジャージー生まれのジョン・ボン・ジョヴィは生粋の現役ロックン・ローラーである!

ボン・ジョヴィ/夜明けのランナウェイ
ボン・ジョヴィ/夜明けのランナウェイ

♪試聴はここ

ボン・ジョヴィ/7800°ファーレンハイト
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ワイルド・イン・ザ・ストリート
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  1. 2006/10/20(金) 18:02:46|
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アルカトラス/大人になれないオヤジのロック22。

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イングヴェイ・マルムスティーンを語るには、まずアルカトラスから入らねばなるまい!

アルカトラスは、グラハム・ボネットが結成し、1983年に『アルカトラス』でデビューした。
僕がグラハム・ボネットを知ったのはレインボーが最初。
オール・バック・ヘアの彼の浮きようは尋常じゃなかった。まるでラウドネスに矢沢永吉がいるようなもんでしょ!
80年にレインボーを脱退したグラハムは次に、コージー・パウエルとジョン・ロードの協力を得て『孤独のナイト・ゲームス』をソロで発表。
さらに82年、マイケル・シェンカー・グループに所属。
アルバム『黙示録』一枚で、マイケルと喧嘩別れする。正直、そのとき僕はホッとしました。
のほほ~んとフライングVを股に挟んでいるマイケルのとなりで、こめかみに血管を浮き出させてグラハムがシャウトする図は、変だったもん。
前置きが長くて恐縮!

いよいよ、グラハム・ボネットは活動の場をLAに移し、アルカトラスを結成するのである。
この人もコージー・パウエル並みの渡り鳥である。
そもそもレインボーで、リッチー・ブラックモアに見いだされたのがいけなかった。
ハード・ロック&メタル勢にはグラハムの歌唱力が魅力的だったことだろうが、僕は本質的な部分では無理があったのではないかと思っている。
なまじっか、レインボー時代に“シンス・ユーヴ・ビーン・ゴーン”や“オール・ナイト・ロング”など大ヒットを経験したものだから、彼は道を外してしまったのではあるまいか。
彼には68年に“オンリー・ワン・ウーマン”をヒットさせたマーブルスのようなバンドがお似合いだ。

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しかし、アルカトラスにおけるグラハムの功績が一つある。
それはイングヴェイ・マルムスティーンを実質世に送り出したことである!
スウェーデン生まれのイングヴェイは78年にライジング・フォースでデビュー。
LAに乗り込んで、スティーラーに参加。
83年にオーディションを経てアルカトラスに迎えられる。
フェンダー・ストラトキャスターのネックを彫り込んだイングヴェイは諸にリッチー・ブラックモアのコピーのように見えただろうし、そのことからもグラハムがいかにレインボー時代の栄華に固執していたかがわかろうというもの。
かたや、LAでうだつの上がらなかったイングヴェイとて、神の如く崇めるリッチーのレインボーにいたグラハムとで、イッパツかましてやろう的な野心も充分に納得できる。
当時、『アルカトラス』を聴きまくった。イングヴェイのそこまでしなくても! ってなぐらいの早弾きはセンセーショナルだった。
実際、84年に中野サンプラザでこの眼で目撃したイングヴェイは、
「ほんとにこの人はリッチーが好きなんだなあ」って感想である。
歯でギター弾いたり、叩き壊したり……。

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僕は賛否あるかも知れないが、イングヴェイはアルカトラス時代が一番良かったように思う。
グラハムのような立派なヴォーカルをサポートしているぐらいが調度良いのではないだろうか。案の定、一躍ギター・ヒーローとなったイングヴェイはグラハムの存在が邪魔になってしまう。終止、弾き続けたい気持ちは充分にわかるが、バンドでやる以上バランスは必要である。
以後のイングヴェイ・マルムスティーンズ、ライジング・フォースを聴けばそれは一目瞭然!
弾きゃ~、いいってもんじゃないでしょう!! と、僕は思っている。

トップ画像左から、ゲイリー・シェア(B)、ジミー・ウォルドー(K)、イングヴェイ・マルムスティーン(G)、グラハム・ボネット(V)、ヤン・ウヴェナ(D)
それにしても、イングヴェイの若いこと(当時20歳)! しかも細っ!!

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アルカトラス/アルカトラス

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  1. 2006/10/18(水) 17:32:52|
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モトリー・クルー/大人になれないオヤジのロック21。

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LAメタルで忘れちゃならないのが、モトリー・クルー(1981~)である!
トップ画像のパンフは1985年の日本公演のもの。
僕は7月21日の渋谷公会堂に行った。
これは間違えない、何故なら当時同行したガールフレンドと勘違いし、中野サンプラザで待ち合わせしてしまい、慌てて渋公に着いたときは既に数曲目であった苦い経験があるからね。
いずれにせよ、モトリーは女の子と行くバンドである!

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モトリーといえば、僕は最初のアルバム『華麗なる激情』から聴いていた。
“ライブ・ワイヤー”“テイク・ミー・トゥ・ザ・トップ”が盛んにMTVでオン・エアされていた。
ゴリゴリのLAメタル然としたサウンドにいち早く注目していたのも束の間、セカンド・アルバム『シャウト・アット・ザ・デヴィル』で完璧にイカされてしまった……。
勿論このアルバムは全米200万枚、ダブル・プラチナムに至る。
同アルバム中の“ルックス・ザット・キル”は彼等の代表曲となった。
「俺達はmotly(猥雑)という言葉を地で行く、ロック史上最もラウドでケバいバンドだ!」
リーダーのニッキー・シックスは語っている。
確かに下品で自堕落を具現化したようなファンションや行動に、“単なるケバいバンド”の酷評もあったが、
「皆が描いているモトリーに負けないように、俺達はいつも必死なんだ!」
ともニッキー・シックスは言っている。
その彼の言葉は、サード・アルバム『シアター・オブ・ペイン』で証明されることになる。
シングル・ヒットした75年のヒット曲のカバー“スモーキー・イン・ザ・ボーイズ・ルーム”のアレンジ・センスは、既に彼等が“単なるケバいバンド”ではなくなった証といえた。

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酒・ドラッグ・女に塗れた典型的なロックン・ローラー。
彼等が引き起こした事件、エピソードは枚挙にいとまがない。
あのケバいメイクには、一人一時間以上を要し、グラビア撮影は押しに押す!
やっと撮影も終わり彼等が夜のハリウッドに繰り出した後、撮影スタジオ内には2ダースのビールの空き瓶と数本のワインボトルがころがっていたという。
AC/DCのときにも書いたが、何故僕が破天荒なロックン・ローラーに興味を持つのか。
刹那主義の野方図な大馬鹿野郎達に何故、執着するのか?
勘違いしちゃいけないのは、そんな彼等だが、自分達の曲と演奏で世界中の人間に貴重で甘酸っぱい記憶と高揚を与えることができた限られた人間であるということ。
その選ばれた彼等の花道の影に潜む、葛藤や孤独感は、とても常人並みの神経で乗り切れるものではないからだ。

最後に面白いエピソードを。
実はクラブ・サーキットに明け暮れ貧しい時代に、ニッキー・シックスはラットのロビン・クロスビー(SG)と一緒に住んでいた。
LAのミカドという鮨屋で、金のない彼等はいつも格安で鮨を食べさせてもらっていたそうだ。
後年、有名になった二人は店主家族をコンサートに招いたり、発売前のアルバムをいち早く店に届けたり、受けた恩義を決して忘れなかったという。
ロックン・ロール・ヒーローを育てたのは、ショー・ビジネスの人間だけではないのだ。

左から、トミー・リー(D)、ミック・マーズ(G)、ヴィンス・ニール(V)、ニッキー・シックス(B)
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  1. 2006/10/17(火) 18:07:37|
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アイアン・メイデン/大人になれないオヤジのロック21。

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忘れもしない、1980年。
日本では、YMOが彗星のようにデビュー! 
日本中でオカマのようにもみあげを短くカットし、髪の毛ツンツンのテクノ・カット野郎が蔓延。
同じくして、イギリスではニュー・ロマンティック勢と二分してNWOBHMが吹き荒れる。
その筆頭がアイアン・メイデンであった。

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リーダーのスティーブ・ハリスによる“ヘヴィ・メタル”の概念。
それは、オカルト・黒魔術・暴力・殺人といったマイナス文化をサウンドやステージで具現化するという徹底した演出と、伝統的なハード・ロックの様式美を頑に貫くというもの。
特にサウンド・メイキングにおいてハード・ロックの様式美を進化させ、アドリブを除外したインストゥルメンタル・パートの構築が、当時センセーショナルだった。
これはスティーブ・ハリスが敬愛するジェネシスやネクターなどのプログレの手法を取り入れたものであった。
さらにファンとの強い連帯を築き上げるため、マスコット“エディ”を6人目のメンバーと位置づけ、ジャケットデザイン、ステージ、Tシャツなどのグッズ展開などで徹底した“エディ”イメージを訴求したことも根強いファンを掴む要因となった。

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ほとんどのソング・ライティングを手がけるスティーブ・ハリスのベースはフィンガーピッキングによる早弾きで、縦ノリな中にも変則的なリズムを刻み出し、メイデン・サウンドの要となっている。
デイブ・マーレイとエイドリアン・スミスが織りなすツイン・リードも、深い叙情的なリフを刻み、時にはプレグレのように緻密で複雑なギターサウンドを生み出し、メイデン・サウンドを圧倒的な“個性”として成立させている。

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僕はキャラクターとしてのアイアン・メイデンというより、プログレのテイストが調味料となっているアイアン・メイデン・サウンドが好きだ。
そして、そのサウンドを彼等の全盛期82年にライブで確認できたことは、ハード・ロック&メタル・ファンとして至上の喜びである。

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  1. 2006/10/17(火) 01:36:17|
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ラット/大人になれないオヤジのロック20。

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RATT'N'ROLL!!
ご覧のように、僕は1986年NHKホールと87年武道館の2回、観に行ってる。
正直2回行った記憶が曖昧なんですが。

ラットの結成は1980年。
LAの数々のクラブ・サーキッドで実力を蓄え、83年の夏にアトランティックと契約し『Out Of The Cellar(情欲の炎)』でメジャーデビュー!
シングル『ラウンド・アンド・ラウンド』が大ヒットし、205回に及ぶ全米ツアーの甲斐あってアルバムはアメリカだけで300万枚をセールスした。
因みに『ラウンド・アンド・ラウンド』のビデオ・クリップに出演したハリウッドの有名コメディアン、ミルトン・バールの甥がラットのマネージャーという絡みがあったりする。

当時、LAメタル全盛の中、RATT'N'ROLL!!といわしめるほど彼等の音楽性は独自だった。
メタルなんだけど、シュール!
上手く表現できないんだけれど、クールでシュールなのだ。
多分、ボーカルのスティーブン・パーシーの声、パフォーマンスがそうなのだ。
嗄れた、バーボンで潰した声質ではなく、独特の声色を持っている。

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また、特筆すべきはギターのウォーレン・デ・マルティーニである。
一時、ホワイトスネイクにも在籍したようだが、何といってもラットにおいてこそ彼のギターは輝きを放つ。
甘いマスクと、典型的なロック・ギタリスト体型からか女性ファンを中心に一気にギター・ヒーローになった彼だが、当時のプレイヤーマガジンのインタビューを読むと、非常に内向的で暇さえあれば部屋に閉じこもって何時間でもギターの練習に明け暮れていたそうだ。
なんともオジー・オズボーン・バンドにおけるランディ・ローズとかぶるキャラである。
そんな彼の性格と対照的なアグレッシブなギター・ワークが、クールなRATT'N'ROLL!!に熱さを加える。

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1992年に惜しくも解散するが、97年に再結成、ウォーレン・デ・マルティーニが中心となり現在も現役である。
80年代後半を疾走したRATT'N'ROLL!!
是非、貴方も体験してみてはいかが?


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  1. 2006/10/13(金) 20:46:31|
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ホワイトスネイク/大人になれないオヤジのロック19。

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これは1983年のホワイトスネイク武道館公演のパンフレット。
記憶も曖昧だが、僕は2月22~23日のどちらかに行ったことになる。
1978年のデビューから、3度目の来日であったようだ。
ホワイトスネイクは、1976年7月のディープ・パープル解散まで、ラスト2年半をボーカリストとして在籍したデヴィッド・カヴァーデールのバンドである。
彼が神経質なのか、このバンドはメンバーが定まらない。
このときの来日メンバーは3度目のメンバーチェンジ後の新生ホワイトスネイクである。
オリジナル・メンバーはディープ・パープル以来のジョン・ロードのみ。
実はこの来日公演は当時のニューアルバム『セインツ・アンド・シナーズ』発売に伴う世界ツアーであった。
『セインツ・アンド・シナーズ』の録音後、ほとんどのメンバーが脱退してしまい、当時解散説まで浮上した。

その頃のエピソードとして、ゲイリー・バーデンを首にしたマイケル・シェンカーがコージー・パウエルと結託し、マイケル・シェンカー・グループの新ボーカリストにデヴィッド・カヴァーデールを迎えようという暴挙にでたことがあった。
僕はマイケル・シェンカーも大好きであるが、デヴィ・カヴァのマイケル・シェンカー・グループはないだろう! と悲嘆にくれた憶えがある。
「マイケル・シェンカーって、ほんと頭弱いなあ」とつくづく思った。
実はデヴィッド・カヴァーデールとコージー・パウエルは私生活レベルの旧友だったのである。
それが災いしてか、逆にデヴィッド・カヴァーデールがコージー・パウエルを誘い、この新生ホワイトスネイクが誕生したのである。
結果、渡り鳥コージーに振り回されたかたちだ。
ああ、哀れマイケル・シェンカー……。

話を戻すが、僕がデヴィッド・カヴァーデールのファンになったのは、勿論ディープ・パープル『BURRN』からであることはいわずもがな、ある音楽雑誌のグラビアのデヴィ・カヴァのファッションだった。
黒のシャツに白蛇皮の細いネクタイ、ブルージーンズ、白蛇皮のベルト!
典型的なロック・ファッションなのだが、腕時計がなんとカルティエであった!!
確か、百万円単位のカルティエをはめたデヴィ・カヴァは、カッコ良過ぎた。
なるほど、昔ファッション・モデルだっただけはある、と思った。

だが、この来日公演のパンフレットのデヴィ・カヴァは、ちょっとね~。
レッグ・ウォーマーかい!
メンバーもベテラン勢による“燻し銀”といえば聞こえが良いが、ロートル集団だし……。

左から、コージー・パウエル(D)、メル・ギャリー(G)、デヴィッド・カヴァーデール(V)、ミッキー・ムーディ(G)、ジョン・ロード(K)、コリン・ホッジキンソン(B)
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実は当時、デヴィ・カヴァのカルティエのコピーをアメ横で買った。
しかし、数週間で僕の模造カルティエは上蓋のガラスが落ちてしまった……。
今となっては若かりし良き思い出である。
今年の正月、アサヒビールのテレビCFで、『ヒア・アイ・ゴー・アゲイン』が使われていたが、僕と同世代のプロデューサー氏が関わっていることは明白である。
それぞれの思い出の中に、デヴィッド・カヴァーデールの勇姿が刻まれているんだね、きっと。

【Aポイント付】ホワイトスネイク Whitesnake / Saints & Sinners(CD)
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  1. 2006/10/12(木) 18:18:24|
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ごあいさつ。

はじめまして。
noodlesと申します。
このブログは、以前の楽天ブログ現在のブログ内のカテゴリー『大人のロック』をまとめたものです。
現在のブログのカテゴリーが増えたため、以後も『大人のロック』はこちらに更新することに致しました。
70~80年代の熱いロックを、筆者の記憶を手繰りながらご紹介していきたいと思います。
気まぐれな更新になると思われますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

※過去の記事では、文中リンクなど古い情報になっていることもあります。





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ロックとロックな生き方を愛し、模索する1957年生まれ。
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