
そもそも、この『大人になれないオヤジのロック』を書き始めたのが、AC/DCというオーストラリア出身のバンドからだった。
ハード・ロックもヘヴィ・メタルもプログレも全て好きだし、70年~90年初頭まで、かなりのLPやCDをむさぼるように聴いて来た。
そんな中で、とりわけ僕はツェッペリンと、AC/DCをこよなく愛している。
この二つのバンドは世代こそ違え、音的にもロック的なライフスタイルでも、かなり共通している。
少なくても僕の乱暴な感性では、そうなのだから仕方がない。

【マルコム・ヤング】

【アンガス・ヤング】
マルコム・ヤングのヘヴィなリフと、アンガス・ヤングのアグレッシブなリードギターはジミー・ペイジの影響が色濃い。実際、ヤング兄弟も少年時代に聴きまくり、コピーに明け暮れたのはツェッペリンであったと明言している。

【ボン・スコット(左)とメンバー】
AC/DCが79年、イギリスをツアーしたころはボーカリストはボン・スコットだった。
体中の刺青と砂塵を巻き起こすような、嗄れた声を持つ正にMr.ロックン・ロールの彼の存在感はAC/DCの初期には特異な個性を放ち、バンドは徐々に世界規模の人気を博していった。
しかし、彼は80年2月19日、33歳でその絵に描いたようなロック人生を閉じる。
死因は、ボトル半分のウィスキーにより眠りこけ、嘔吐物を咽に詰まらせての窒息死だ。

【ボン・スコット】
因みに同じ年9月25日に、ツェッペリンの伝説の天才ドラマーである、ボンゾことジョン・ボーナムも同じような状況で死んでいる。
さらにその10年前の9月18日、あのジミ・ヘンドリックスも同様にこの世を去っている。
そして、死因こそ違うがジョン・レノンもやはり80年12月8日に撃たれて死んだ。。
僕にとって80年という年はアイアン・メイデンを筆頭に、ニュー・ウェイブ・オブ・ヘヴィメタルの大同や、日本ではYMOのデヴューなど色々な意味でキラキラした面と、偉大なロッカー達の示し合わせたような死という暗黒面を合わせ持つ、忘れられない年である。

【ブライアン・ジョンソン(左)とメンバー】
ボン・スコットの突然の死が、ファンはもとよりメンバーへ与えた影響は甚大だった。
が、メンバーは悲しみを乗り越えて、ニューカッスルのバンド、ジョーディにいたブライアン・ジョンソンを新ボーカリストに迎えプロデューサー、マット・ランジとともに制作した『
地獄の鐘の音(バック・イン・ブラック)』を発表する。
アルバムはビルボード誌に56週チャートインし、プラチナアルバムとなり、名実共にワールド・ビッグ・バンドへとなっていく。
勿論、このアルバムはボン・スコットへのレクイエムでもある。
だから、ジャケットも故人を喪して、黒なのだ。

【ブライアン・ジョンソン】
ふと考える。
ボンスコットが生きていたらAC/DCに今の名声はあっただろうか?
残念ながら新ボーカリスト、ブライアン・ジョンソンの方がステージ映えするし、メジャー感がある。そしてボンの死をきっかけにメンバーのソング・ライティングが輝きだした。
ボンゾが生きていたら?
ジミヘン、レノンが生きていたら?
きっと、あの煌めく才能はとうに枯れてしまっていたかも知れない。
折に触れ書いてきたが、『地獄の鐘の音』アルバムの1曲目ヘルズ・ベルズの冒頭で鐘の音がカウントされる。
僕も武道館公演で体験しているが、ツアーでも500キロの特注で鋳造した鐘を叩き、曲がスタートする演出だった……。

【ステージでの鐘】
1980年、愛すべきロッカー達へ地獄からの招待状のように鐘が鳴っていたというのか?
「ほら、地獄の鐘がお前を呼んでるよ」
選ばれた者だけがそれを聴いてしまったがために、滅して逝った?
何故、大いなる存在は愛しき者へ『永遠の輝き』を約束してくれないのだ?
彼等は自らの血肉を削り、その曲を通して世界中のファンのために安らぎや勇気を与えてくれた。
ロッカーの一瞬の煌めきと、暗い死の関係。
幼い頃から楽器の腕を磨き、スターを志したハングリーな若者に突然スターダムへの階段が現れる。そう彼は選ばれた。夢にまで観たその階段を昇り始めたら、眼の前には自分達を生活の糧とするスタッフ、クルーが100人単位で待機し、何千人、何万人のオーディエンスが自分達を取り囲んでいる。
自分のシャウト、あるいはかき鳴らしたギターに合わせてその観衆がどよんと揺れ動く。
無名だった若者の全ての事象が、たった一夜にして反転してしまうのだ。
そのプレッシャーは想像を絶するものであろう。
さらに良質な『売れる曲』を量産し続けなければならない。
そして、連日のツアー。いったい今俺はどこで演奏してるんだ?
レコーディング、ツアー、ラウンド&ラウンド。
彼等は混乱する頭を覚醒させるべく、酒と女とドラッグに埋もれていく。
「ほら、地獄の鐘がお前を呼んでるよ」
俺は有名になりたかっただけ、こんなはずじゃなかった……。
そして伝説だけの存在へと化してゆく。。
愛すべきロッカー達の死は、なんとも切なくてはかないことだけれど、
そうやって時代は代わってゆくのかも知れない。
今夜も僕のヘッドホンからAC/DC『地獄の鐘の音』が聴こえてくる……。
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- 2006/06/30(金) 13:21:40|
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『現象(Phenomenon)』1974年を今聴きながら、書いてます。
このマイケル・シェンカー在籍時のUFOによる“ドクター・ドクター”が一番好きだ!
とてもマイケルが当時17歳だとは思えない。なんだかんだいってもやはり“選ばれた”ギター・ヒーローだったことを痛感する。
さて、UFOは1969年にフィル・モグ(V)、ミック・ボルトン(G)、ピート・ウェイ(B)、アンディ・パーカー(D)により、レッド・ツェッペリンの後継としてその後のHMに多大な影響を与えたバンドである。世界的な成功は上記マイケル・シェンカー加入から。
しかし、マイケルの英語力の問題からリーダーであるフィル・モグとの確執が、結局UFOの成功の道を閉ざしていく。
※マイケル・シェンカーの度重なる失踪劇は以前の
記事を参照されたい。
かくして、UFOは1988年に解散。しかし、1992年に再結成、今年の9月にもニュー・アルバム
『Monkey Pazzle』を発表したようだ。
現在までのディコグラフィー、バンド詳細は
ここで。

『現象(Phenomenon)』における17歳のマイケル・シェンカーのギターは特筆に値する。
74年という時代背景、日本では殿さまキングス“なみだの操”、郷ひろみ“よろしく哀愁”、山本コウタロー“岬めぐり”が世間に鳴り響いていた年である。因みにこの年の年間トップ・アルバムは井上陽水の『氷の世界』だ。当然、前にも書いたが僕はちょうどフォークにどっぷり寄り道していた時期である。だからUFOを聴いたのは恥ずかしながら、マイケル・シェンカーを知ってからとなる。そんな時代に“天才”を醸し出していたマイケルのギターが、スタイル・演奏ともに既に今の彼が出来上がっていることに驚愕する。
●(お宝)UFO+マイケル・シェンカーのLights Out! 渋っ!!●(お宝)UFO+マイケル・シェンカーのShoot Shoot! 若っ!!●MSG、スコーピオンズのドクター、ドクターを観る♪
♪試聴は
ここ!
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- 2006/06/20(火) 00:00:00|
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