
ニール・ヤング、知ってる?
ジャクソン・ブラウン、イーグルス等との関係も深く、ミスター西海岸のように思われがちだが1945年カナダ・トロント生まれである。
歌もギターも上手いのか下手なのかよくわからないのにカッコいい。
正にヘタウマを地でいく孤高のミュージシャン。
その音楽性はフォーク、カントリー、ロカビリー、テクノ、グランジと変化し、一見節操がなく見えるが実は彼ほどのロックン・ローラーはいないと僕は思っている。

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングやバッファロー・スプリングフィールドのメンバーとして活躍した後、1969年にソロ活動を開始。ソロでは主にニールのお気に入りバンド、クレイジー・ホースとセッションする。

古くは『ウッド・ストック』で、米国の保守化や右傾化に反撥し、1990年の湾岸戦争時もコンサートでボブ・ディランの『風に吹かれて』を歌い、あの9.11では当時放送が自粛されていたジョン・レノンの『イマジン』をあえて歌ったそうだ。イラク戦争後もブッシュ政権への反目を貫き通している、生粋のロッカーだ。
ミュージシャン仲間からも絶大な師事を受けており、ニルヴァーナのカート・コバーンの遺書にもニール・ヤングの歌詞が引用されていたという。
作品数は膨大で、僕も全てを聴いて来たわけではないが特に『ハーヴェスト』1972年は高校のときかなりハマった。1992年に発表された後期の最高傑作の呼び声高い『ハーヴェスト・ムーン』と翌年の『MTVアンプラグド』はiTunesに落としてあり、今も毎日のように聴いている。
72年のハーヴェスト(収穫)から20年の時を経て、ハーヴェスト・ムーン(中秋の満月=秋分のころ、穀物を豊かに実らせる)に至るニール・ヤングの円熟の極みが見事に凝縮されている。
【Rock/Pops:ニ】ニール・ヤングNeil Young / Harvest(CD) (Aポイント付)
【Rock/Pops:ニ】ニール・ヤングNeil Young / Harvest Moon(CD) (Aポイント付)
【Rock/Pops:ニ】ニール・ヤングNeil Young / Unplugged(CD) (Aポイント付)ニール・ヤングの激情的で抑揚の効いたボーカルやギター、ハーモニカを聴いていると、疲れているときには癒され、ハイなときにはさらにパワーをもらえる。

どんな精神状態にいても安心して聴ける偉大なロックなのだ。
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- 2006/03/28(火) 12:58:00|
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ロック史の中で、80年代のMr.ギター・ヒーローとはエディ・ヴァン・ヘイレンのことである。
異論のある方、います?
78年、『炎の導火線』で衝撃デヴュー!
僕はヴァン・ヘイレンといえば『1984』までしか認めない。つまりデビッド・リー・ロスがいた頃まで。そんな僕みたいなファンを
クラシック・ヴァン・ヘイレン・マニアというそうだ。
今、聴いても凄い!! プロデュースのテッド・テンプルマンのサウンド・メイクも絶妙で、あたかもイギリスのバンドかと見紛うほどの重厚なサウンドになっている。
シングル・カットされたキンクスのカヴァー曲『ユー・リアリー・ガット・ミー』を聴いたときのショックは電撃的だった。
ギターが凄い!「なんじゃ、こりゃ~」とはこういうときに使う台詞だとしみじみ思ったものだ。
ピング、ライト・ハンド奏法といって右手の指で弦を叩く演奏法を確立した。
さらに、ギターは自分流にがんがん改造してもいいのよ! って概念を全世界のギター小僧に提示したのも彼の偉業といえる。
フロイト・ローズというネックで弦を固定して、クレイジーなアーミングを繰り出すトレモロをお披露目したのも彼だった。
1955年、1月26日オランダ生まれ。父親がクラリネット奏者だったそうで、幼い頃からピアノなどを演奏。67年にカリフォルニアのパサデナに移住し、兄のアレックス・ヴァン・ヘイレンと共にロックに目覚めた。
兄弟はカレッジに進みさらにバンド活動に没頭。
マンモスというバンドで校内の人気者だった彼らは、同校で人気を二分していたジェッツのボーカル、デヴィッド・リー・ロスを引き入れ、さらに同校で人気のあったスネイクのベーシスト、マイケル・アンソニーも引き入れ、晴れてヴァン・ヘイレンが誕生するのである。
因みに、兄弟は当初エディがドラムを初め、アレックスがギターを初めたそうだが互いの適性のためか入れ替わったそうだ(笑)。
84年にリリースした『1984』からはジャンプ、パナマなどのシングルヒットがあるのでご存知の方も多いと思うが、何といっても
マイケル・ジャクソンの『スリラー』のビート・イットのギター・ソロで決定的な知名度を確立したのではないでしょうか。
『1984』は全米2位の成功を納めるが、同時期に1位に君臨していたのが『スリラー』だったというのが皮肉である。
当時、プレイヤー・マガジンかなんかの記事で読んだ記憶があるのだが、ビバリー・ヒルズのエディの豪邸の広大な敷地内にはベンツ、フェラーリ、ポルシェなどがそれぞれ明後日の方向に向け無造作に駐車してあったという。
それを読んで、車をバックに注意しながら白線内に駐車するのは間違いなんだ、と思った(笑)。
さらにエディは超絶なギター・プレイをするために自宅の庭に壁を完備しており、日夜ウオール・クライミングをして指を鍛えていたともいう。
凄過ぎる!
そんなだから、凄い演奏をニコニコしながら平然とできるのだ。
因みに、ニコニコハイテク・プレイといえば日本ではヨッちゃんが有名である(笑)。
咽頭癌を患ったそうで、近影を観ると黄昏れてしまうが、
エディ・ヴァン・ヘイレンこそ、80年代最高のMr.ギター・ヒーローなのである。
ヴァン・ヘイレン/ヴェリー・ベスト・オブ・ヴァン・ヘイレン★今すぐ観ちゃう?人気blogランキングへ←大人のロックを盛り上げよう!
- 2006/03/02(木) 12:55:29|
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ここらでそろそろ、イーグルス!!!
【ドンも僕もソングライターのせいか、ギター・ソロが好きなんだ。僕はジミ・ヘンも好きだけど、60年代後期のクラプトンがすごく好きだった。あの頃の彼はメロディーを弾いていたからね……グレン・フライ】
これはイーグルスの初期にグレン・フライが語っている。
グレン・フライとJ.D.サウザーがジャクソン・ブラウンと共同生活を始めたのが全ての始まりだった。月60ドルの安アパートで、いつも A.MやF.Mラジオで流れているような素晴らしいバンドを作って金儲けをしたいと語り合っていたそうです。リンダ・ロンシュタッドのブレーンなどと交遊が出来、初期の全てのアルバムのプロデュース、エンジニアを手がけるグリン・ジョーンズによりファースト・アルバム『イーグルス』が世に出る。
因みに収録曲のWITCHY WOMANとはリンダのことである。
【ロスの雰囲気を誰が一番よく伝えているかといえば、やはりイーグルスだと思う。彼らはバッファロー・スプリングフィールドのスピリットを感じさせてくれる、唯一のバンドだ……ニール・ヤング】
そんな彼らが幾度かのメンバー・チェンジを繰り返し、ホテル・カリフォルニアの世界ヒットに昇りつめる。途中、プロデューサーがビル・ジムジクに替わりよりロック色を濃くしている。
ハーモニーとロックの融合はビートルズの後期の影響が色濃いとも云われている。
【いつだって段々キツくなるよ。とにかくグレンも僕もいつも“来年はおしまいだ”みたいに考えているんだ。僕が“どうだい来年はもっと狂うかい?”というと奴は決まってこういうのさ。“ああ、またもう一回死んでみるか”ってね。……ドン・ヘンリー】
イーグルスのバンド名は、インディアンの神話から鷲はどんな鳥よりも高く舞い上がり、太陽のそばまで飛ぶことができる。鷲の霊性は鳥の中で一番ということから由来するという。
1977年に日本のイーグルス・シンパが出版した『THE ILLUSTRATED EAGLES』というムックがある。当時高校生だった僕は偶然本屋で発見し、購入。今でも僕の宝物である。
改めて読み返すと上記のような貴重な、メンバーやゆかりの人々の声が記されている。
本の制作に携わった日本のスタッフも今や夢のようなコラボレーションとなっている。

イーグルスを語ったブログは山ほどあるので、バンド詳細は割愛しますが、最後に『ホテル・カリフォルニア』の一節を。
夜の砂漠のハイウェイ
涼しげな風に髪が揺れて
コリタス草の甘い香りがあたりに漂う
はるか遠くに かすかな光が見える
僕の頭は重く 目の前がかすむ
どうやら今夜は休息が必要だ
ミッションの鐘が鳴ると
戸口に女が現れた
“ここは天国か それとも地獄か?”
僕は心の中でつぶやいた
すると 彼女はロウソクに灯をともし
僕を部屋まで案内した
廊下のむこうで
こう囁きかける声が聞こえた……
ホテル・カリフォルニアへようこそ
ここはステキなところ
そしてステキな人たちばかり
ホテル・カリフォルニアは
いつでも あなたの訪れを待っています
(途中割愛)
天井には鏡を張りつめ
氷の上にはピンクのシャンペン
“ここにいるのは 自分のせいで
囚われの身となってしまった人たちばかり”と 彼女
やがて 大広間では祝宴の準備が整った
集まった人々は鋭いナイフで獣を突くが
誰も殺すことはできなかった
最後に覚えていることは
僕が出口を求めて走り回っていることだった
前の場所に戻る通路が
どこかにきっとあるはずだ
すると夜警がいった
“落ち着きなさい
我々はここに住みつく運命なのだ
いつでもチェック・アウトできるが
ここを立ち去ることはできはしない”
訳詩*山本安見
2006年現在に至まで、夏になればラジオから流れる定番曲である。
この曲を聴くと湘南にいかねば……なんて思う方々も多いのではないか?
でもね、詩の内容を一読すれば一目瞭然!
決してサーフィンや夏の海の歌ではない。
当時、すでに米国いや全世界の退廃に憂慮したドン・ヘンリーのシニカルなメッセージ・ソングなのだ。
【16歳のときに僕らを聴き始めて、いま21歳で世界に向き合っている連中がいる。僕らと同じように何かを持っていた連中がね。まだ一人で自分の夢と格闘している連中、“ホテル・カリフォルニア”はそういう人たちへの、僕らからの一つのサークルの終わりでのステートメントなんだ……ドン・ヘンリー】
イーグルス/ホテル・カリフォルニア ★今すぐ観ちゃう?人気blogランキングへ←大人のロックを盛り上げよう!
- 2006/03/01(水) 12:53:44|
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